【スリランカ/キャンディー】命短し旅せよ乙女(その2)

手書きの旅日記

目覚めてトイレに行ってベランダに出ると、サキさん(仮名。チェックインの昨夜このホステルで会って一緒に朝食を食べる約束をしていた)はすでに身支度を整えてテーブルで書き物をしていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
朝日が眩しい。一日のはじめに日本語で挨拶するだけで、長きにわたる海外旅行者は新鮮な気持ちになれる。
「何を書いているんですか?」
「昨日あったことです」
どうやら、サキさんも日記をつけているらしい。ぼくも旅のメモを残しているのだと話した。
「やっぱり日記、つけますよね〜」
意外なところでうれしそうだ。
「でも手書きなんだ?」
と、ぼくは言った。
若いのにアナログ派らしい。
昨夜と同じ感じで話せてる、と思った。昨夜まで、この人とぼくの人生は一度も交わることがなかった。それがいまこの瞬間に限ってはもっとも身近な存在になっている。外国で日本人と一対一で出会ったとき、よくこういうことが起きる。

 

手書きの葉書

朝食の後、キャンディーで有名だという仏歯寺という寺院に二人で行った。仏歯寺はキャンディー湖のほとりにあり広い敷地を持ち、日本の寺ほど辛気臭くない。西洋人の観光客もちらほら見かける。タイなんかの寺もそうだが、アジアの寺はだいたい日本の寺よりもポップだ。だが長ズボンを履いていないという理由でぼくは仏歯寺に入れてもらえなかった。ぼくはあろうことかキャンディーではずっと海水パンツで過ごしていた。海水パンツのぼくは仏歯寺の入り口の真横にあるカフェに入ってサキさんが仏歯寺を見終わるのを待っていた。
仏歯寺を出たサキさんがカフェにやってきて、それから郵便局に行った。サキさんは、いつも旅先から家族に「葉書」を送ることにしているらしい。アナログ派、だ。サキさんは日記も手書きだし、他人事ながら、良い心がけだと思った。この人は旅を楽しんでいる。旅の楽しみ方を自分なりに求め、発見しようとしている。それが自然な形でこちらに伝わってきた。

我々は、昨夜の時点でそれぞれのスリランカでのスケジュールを共有していた。
サキさんはキャンディーにもう一泊する。つまり明後日までキャンディーにいる。それからコロンボに向かうが、コロンボには泊まらずに夜の便でデリーへ発つ。一方ぼくは、今日の昼にコロンボに戻る鉄道チケットを持っていた。コロンボにはすでに何泊かして気に入っていたホステルがあり、そこにバックパックを預けてある。したがって我々が一緒に過ごす時間は最長で今日の昼までということになる。それは我々が共通行動を取る上での前提である、とお互いに知っていた。
だが、その予定がくつがえった。

 

暖かい雨

ぼくがチェックアウトするためにホステルに戻る途中、サキさんがこう言った。「今日コロンボに行こうかな……」
すでにキャンディーのホステルをもう一泊予約しているはずなので、ただぼやいただけなのかもしれない。本気だとしたら、キャンセル規約も確認せずに随分思い切った方針転換ということになる。コロンボ行きの鉄道チケットや宿の空きがあるかもわからない。ぼくのもう一押しを待っているのか、今日の昼以降は別行動という前提の上で個人的なプランニングを進めているだけなのか読めない。おそらく、それらのうちのどれであるのかはサキさん自身の中でもまだクリアになっていない部分がある、という理解が最も正解に近いかもしれない。
そうした状況において、ぼくは反射的にこう言うことができた。「ぼくの泊まってるとこくる? エアコンめっちゃ効いてるし」こちらが一瞬でも迷ったら、サキさんはそれを見逃さない、そして遠慮してしまうかもしれない、そう思った。
そういうこと言うと本当に付いて行っちゃいますよ。とサキさんは言った。「でも今回は遠慮しときます」とその後に続いてもおかしくないくらい、それはカジュアルな返答だった。

ぼくの予約していたコロンボ行きの鉄道はすでに満席だったので、サキさんは少し後の列車に乗った。つまり我々は別々にコロンボに向かった。そのチケットを買うのにも難儀したので、やっぱりキャンディーに残る、と言い出さないか心配だったけど、行くと決めたら行く以外のことを考えていないという感じで、心配は杞憂だった。
ひとりで乗った鉄道の道中、雨が降り出してそれが強まった。南国の暖かい雨。車窓から見える緑の海が曇った窓ガラスでフィルターされる。

 

連絡先を知らなかった

サキさんが、キャンディーに二泊し、コロンボに一泊すらしないと計画していたのは、コロンボに観光地としての魅力がないとサキさんが考えていたからだった。魅力がないということが事実なのかどうか、ぼくにはわからない。ぼくはコロンボとキャンディーにしか行かなかったから、スリランカの他の土地の魅力を知らない。
それはともかく、サキさんがコロンボに惹かれなかったのは、サキさんがこの旅に『地球の歩き方 スリランカ編』を持参し、それを旅の基準にしていたからであることは確かなようだ。ぼくはコロンボでもほとんど日本人を見かけなかったが、サキさんは空港近くのナントカという世界遺産の岩に入国後すぐに友人と行き、そこで何人かの日本人と会ったらしい。日本人は、かなりの確率で『地球の歩き方』に忠実な旅をしている。『地球の歩き方』は世界遺産をほとんど盲目的にフィーチャーしている。ぼくはそれを悪いとは思わない。なぜならそれを参考にしているサキさんの旅を、ぼくは、けっして盲目的なものだとは感じなかったし、いくつかの具体的なエピソードからは、むしろぼくよりも高い自由度を感じ取っていたからだった。結局は気持ちの問題なのである。

コロンボ最大のターミナル駅であるコロンボ・フォート駅への到着は大幅に遅延した。雨は依然として強く、陽は暮れかかっていた。サキさんはいまどこにいるのだろう。ぼくはサキさんの連絡先を知らなかった。旅で出会って、コレクションするように人々から連絡先を聞きだしていく人の気持ちもわかるが、ぼくの場合、大切な出会いであるほど妙な美意識から自制が働くときがある。とはいえ、連絡先を知らないのに別行動をとって合流しようとするのは今時無謀とまで言わずとも、特殊だった。ぼくはスリランカSIMカードを持っていたが、サキさんは持っていない。もしすでに到着していれば駅近辺のWiFiをつかまえているかもしれない。そう思った直後、でもサキさんはぼくの連絡先を知らなかったんだと理解する。そんな不毛なイメージが何度も繰り返された。
サキさんの出発はぼくより三十分ほど後だったが、すでにぼくのコロンボ到着から一時間以上経過しており、ぼくになすすべはなかった。駅で会う想定だったが、これだけ遅延していると、駅を離れている可能性もあり、ぼくが駅を離れているだろうとサキさんが想定した結果サキさんも駅を離れてしまった場合も考えられる。限りなく近くに居合わせた瞬間があったとしても、人混みの中でお互いを見つけ出せなかった可能性もある。若い女性といえども世間知も英語力もあるのでトラブルに巻き込まれる心配はしていなかったが、貴重な時間をロスし体力の要らぬ消耗を強いて落ち込ませたくない。それもこれも連絡先を知らないのが問題だった。しばらくしてぼくは、サキさんも昼に予約を入れた、ぼくたちの今日の宿に電話で連絡を入れた。英語の電話は苦手だ。「日本人のサキという人が来ていないか?来ていたらそれはわたしの友人なので教えて欲しい」。来ていないとスタッフは言った。
ぼくはいくつかある駅出入り口を何度も巡回して見てまわった。かなり時間が経って、サキさんが現れた。やはり雨の影響による大幅遅延だった。もう完全に夜だが、いま到着したところらしい。サキさんは駅に着くとすぐに、日本人を見なかったかと周囲に聞きまわったのだと言った。誰かがぼくを目撃しており、居場所を教えてくれたそうだ。ほっとした。そしてその行動力に感心した。いや、感心という表現には年長者の傲慢さが含まれている。感心ではない。そのときぼくはサキさんにリスペクトを感じた。

ホステルに着くと「ああ電話したのはお前か」とスタッフは言って、個別のWEB予約で押さえられていた異なるドミトリーにある我々のベッドを、頼んでいないのに同じ部屋に変更してくれた。シャワーを浴びていなかったがひとまず腹ごしらえということで、1Fのカフェテリアに集合して、ナポリタンを半分に分けて食べた。我々の座っていたカウンターからは厨房が見えて太ったシェフが他のスタッフとコミカルなやりとりをしており、サキさんはそれを見ながら笑って「コロンボに来て良かった」と言った。疲れた様子はない。ここは南国なので、いくら雨に濡れても体は冷えない。

(たいchillout)

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 写真はコロンボで撮影