【スリランカ/コロンボ】命短し旅せよ乙女(その3)

「積極的に無知でいる」こと

ホステルの朝食ではパンやフルーツがビュッフェ形式だったが、好みの卵料理を一品だけシェフにオーダーできた。ぼくもサキさんもオムレツを選ぶ。食事を終えて紅茶を持ってソファに移動した。
サキさんは今どきの若者にしては非常に珍しく、SNSをやらない。FaceBookだけは旅で出会った人と交換するために持っているが、更新していない。日本の若者に特に人気の高いTwitter、次いでInstagramには触れていないようであることに驚いた。インスタはキッパリやめたそうだ。
「インスタにあげようとしている自分がいやだった」
と、その理由を教えてくれた。インスタをやっていた頃のサキさんは、旅の景色や食べ物の写真を撮るとき、景色や味そのものを楽しむよりもインスタに投稿して人に知らせることに強い目的意識を持ってしまっていたらしい。それがどこか不健全であることに気がつき、やめることを選んだという。
こんな若者もいるんだなと思った。TwitterInstagramにはその不健全さをまったく自覚せずに没頭している人間が年齢を問わず大勢いる。あたかも、この宇宙に誕生した人類がこの宇宙の物理法則によって立つ生命活動を100%運命づけられているように、人々はTwitterによって立つ生命活動を行いはじめている。Twitter的快楽、Twitter的怒り、Twitter的憤り、Twitter的盛り上がり、Twitter的マナー、Twitter的自分の独自性、Twitter的感動、Twitter的自然な振る舞い。
──この人からSNSを取り上げたら、旅をしなくなるんじゃないか──
ぼくはときどき、現実での行動が命である旅関係のアカウントを見てさえもそう思う。
そのくらい、「フォロワーのみんな」への報告や、流れてくる小ネタやニュースを通して「意見を一致させる」という行為が、その人が日々を生きるための無視できない活力の源になってしまっているように見受けられるのだ。
サキさんの年齢だと、現実の友人関係を深め維持するためにもSNSは必須ツールに近い。ある時代において支配的となっている価値観から距離を取るには勇気がいる。距離を取るということは、それに対して「積極的に無知でいる」ということだ。Twitterに無知でいる。流行に無知でいる。いま世間を賑わしている話題に無知でいる。みんながやっていることや知っていることに積極的に無知でいることができる。そういう人を一般に、芯のある人と言う。

 

野球の話

サキさんはコロンボがはじめてなので、ひとまず我々は、簡単な目安だけつけて街の中心へと繰り出した。昨晩と打って変わって、晴れ上がっている。冷たいコーヒーをテイクアウトし、路線バスをひろう。ぼくは真面目な人間なので、座席について「部活は何をやってたんですか」と真面目な質問をした。サキさんの部活はテニスだったが、ぼくは野球部だったと話すと、野球も好きらしく野球の話で盛り上がった。関西人ということもあるだろう、甲子園がご贔屓で、春夏の大会を現地で観戦しに行くほどである。ぼくの知り合いでも野球が好きな女性には甲子園を特に愛する者が多い。彼女たちの多くは野球というゲームに面白みを見出しているのではない。一途な男の子たちによる白球にかける青春のドラマにスカッとしたものを感じ、情熱的に見つめているのだ。ぼくはそう思っている。以前、ある「野球好き」の女性に山本昌の引退という特大のニュースについて話した。しかしその女性は、あろうことかあの伝説的左腕の存在そのものを知らなかった。その女性は甲子園好きだがプロではスワローズを応援している。野球好きにも色々あるのだと、そのときぼくは思った。
「甘いもの好きですか」とぼくはサキさんに訊いた。好きでも嫌いでもない、という。サキさんはコーヒーもお酒も飲まなかった。ぼくは、「ぼくの統計上、コーヒーとお酒を飲まない人は甘いものが好きなんだ」と、真面目に話して、バスはフォート駅前に到着した。

 

「旅行ではなく、旅」の写真

まず、ペターという地区を歩く。ペターはいわゆるマーケットで、コロンボ一と言える大規模さだ。一応車が通れる舗装された路地が縦横に何本も交差しているが、人混みで歩行者天国に近い状態になっている。観光客もいるのだろうが、ざっと見たところでは、スリランカ人によるスリランカ人のための市場である。生活家電、衣類、IT機器、用途不明の工具、出どころ不明の金具、野菜、果物、スパイス、乾燥麺、なんでもあるが、旅人が世話になるものは案外少ない。
サキさんは前を歩く。白のTシャツに、バックパッカーの定番であるタイパンツを穿き、ポニーテイルにしている。誰かと行動を共にするとき、ぼくは大体後ろを歩く。後ろを歩いて、前を歩く人の行動に合わせ、前を歩く人の目を通して、街を見る。サキさんは商店の売り子に対して、ぼくよりは愛想良く接する。軽口であしらうのだが「受け取ったら終わり」と考えており、服を手渡そうとしてくる売り子がいれば堂々と断る。その加減が絶妙だ。一方ぼくは、物売りに対しては、1ミリも反応しない。「そんなに無視する人初めて見た」と言われた。
サキさんはシャボン玉を探していた。うちわタイプではなく、吹けばシャボンになるタイプのシャボン玉に拘っていたのだが、幸いにも見つけることができ、それを吹きながら歩き続けた。
途中、サキさんの歩いている姿を写真に撮った。勝手に撮ったのではない。「 歩いているところを撮ってもらって良いですか」と頼まれて、サキさんのケータイで撮ったのだった。ポートレートではなく、斜め後ろからの写真だった。写真の趣味にも色々あるのだなあとそのときは感じたのだが、仕上がりを見てみると、異国を冒険している感じが色濃く出ている。旅行ではなく、旅。自分の写真は自分を愛でるために撮るものだが、サキさんの、愛でたい自分像、がわかった気がした。

 

聞き上手

ジャミ・ウル・アルファー・モスクというモスクでは、黒いローブを手渡されて入場した。見所は少ないのだが、その中でも男性だけが入れる部屋があるのが印象的だった。宗教的な理由だ。その部屋はサキさんを外に待たせてぼくだけが見学した。これ以後、ぼくはいくつかのアラブ系国家で同じような制限のあるモスクに入った。
フォート地区をくまなく歩く。ダッチ・ホスピタルというオランダ植民地時代の病院を改装したレンガのショッピング地区を抜け、我々は近代的な高層ビル、ワールドトレードセンターを見た。レストランを探す目的もあったのだが、その中にあるコロンボ証券取引所になぜか入場し、涼みながら株取引を眺めた。
バスに乗ってCity Centerというショッピングモールに出かけそこで昼食を食べた(インド以西、City Centerという名前の駅やショッピングモールが非常に多く、一つの謎だった)。上層フロアはフードコートになっており世界各国の料理が楽しめる。ぼく一人なら安定のチャイニーズで済ましかねなかったが、そこは体験に貪欲な同行者がいたおかげで、スリランカ料理のビュッフェをセレクトする。
食べながらぼくはたくさん自分の旅の話をした。出国間際、西日本豪雨に大幅にプランを狂わされて危機一髪釜山行きのフェリーに乗り込んだ話。モンゴルを横断する長距離バスで隣同士になったほっぺがむちむちの幼い兄弟とトランプした話。見渡す限りの砂漠。そしてたどり着いたホブドという街で、国境行きのシェアタクシーを確保するまでの苦労話。
サキさんは、聞き上手だった。ぼく自身、どっちかというと聞き役に回ることが多いタイプなので、ここまで饒舌に話してしまう自分が意外でもあった。きっと、本当はぼくだってこうやって止めどなく話したかったのだろう。他でもない自分のことを。サキさんは異国のことなら幅広く興味を持った。知らない国、聞いたことない土地、出会ったことのない種類の人、変わった食べ物。聞き上手には特徴がある。彼らは基本的にすべての話が身を乗り出すためのトリガーになりうる。共感力が高いのではない。共感のない状態に、強い好奇心を持つのだ。話し上手なのに聞き役に回ると盛り上がらない人がいるが、そういう人はサキさんとは逆で、身を乗り出すトリガーが万年同じラインナップに限定されている。食いつく話題とそうでない話題に落差がある。なぜ落差があるかというと、聞き下手は「知っていることを話すこと」が会話だと思っているからだ。
聞き上手は、知らないことについて話す。

大学四年生のサキさんはあと半月で卒業し、社会人になる。
就職はいや?
と聞くと、「あと三回くらい大学生やりたい」と言った。

 

私決めました

ARPICOという平屋の大型スーパーマーケットに行き、ぼくは青リンゴをふたつ、サキさんはバナナを買う。陳列されたチーズケーキを見て 「統計上、コーヒーとお酒が好きな人は甘いものは好きじゃないんですよね?」とぼくに言った。
ヴィハーラ・マハー・デーウィ公園まで歩き、マンゴージュースを飲んだ。深夜特急の話題だった。一巻だけお守りとして持ってきているんだ、と話すと「読み返すことあるんですか?」と聞かれた。旅をしている間は一度も読み返さなかった。「影響されちゃうから、無いよ」と言った。
公園では、地域の催しなのか、大人と子供が混じってレクレーションをやっている。たとえばそれは、イラストを使った伝言ゲームのようなものである。眺めていると、呼びかけられ、ぼくはお父さんたちに混じってそれに参加した。サキさんはお母さんたちと子供たちに混じってそれを見学した。
ARPICOに向かう途中、サキさんはこんなことを言った。
「私決めました。バラナシに行きます」
バラナシというヒンドゥーの聖地について、バックパッカー友達から話を聞くことはあったらしい。日本人バックパッカーのバラナシの評価は異常に高く、情報は自然と入ってくる。サキさんは興味を持っていたので、ぼくからもバラナシの話を聞きたがった。ぼくは、バラナシが特別だったかといえば別にそうではないと思う、と言った。「ただ、汚さは一番かもしれない」そう付け加えた。だから、一見の価値はあるよ、と。
その話をしたのは朝もしくは前日だったかもしれないが、ずっとそれについて考えていたのだろう。突然「私決めました」と切り出したのだ。いつか必ず行く場所。ぼくにも、そう心が決まっている国や街がいくつかあった。バラナシがサキさんにとってのそのリストに追加された瞬間だった。
それにしても、
「私決めました」
なんて、うれしい言葉だろう。サキさんのその言葉でぼくは、自分が饒舌に語って良かったと思った。自分だけが持っていると自負している特別な経験を伝えて、それに対するリアクションとして「私決めました」以上のものはない。長旅経験者としての高い自尊心。あるいは年長の男性としてのささやかな力自慢。歳下の女性の「私決めました」という言葉は、その二つをバランスよく、鮮やかに満たす。

 

命短し旅せよ乙女

キャンディーを我々がぶらついていた頃。実家で犬が亡くなったと連絡を受けた。小五から飼っていた犬で、最終的に父が世話をしたが、ぼくも上京するまで、散歩をした思い出がたくさんある。

ぼくらがスリランカをぶらついたちょうど一ヶ月後、コロンボで大規模テロが起きた。前月ニュージーランドで起きたクライストチャーチモスク銃乱射事件に対するイスラム過激派による報復だと一部では言われている。ターゲットはキリスト教徒だと考えられているが、そのために外国人宿泊客の多いホテルが被害にあった。我々のコロンボ散策が一ヶ月遅かったら、テロに遭遇してもおかしくない地点を我々は徒歩で移動していた。

犬は寿命だったが、こうやって旅をしていれば、自分の命だって十分に危うい状況にあるのだということを意識した。

「あと三回くらい大学生やりたい」と言っていたサキさんは、社会人になったら旅なんかできないと悲観していたのが意外だった。だから、大学生のうちに張り切って旅をした。なぜ社会人は旅できないのか。まとまった休みが取れないというのは確かだが、サキさんの思いはもっと心理的なところにありそうだった。旅できるよ、と思ったが、ぼくは強くそれを主張しなかった。そんなこと言っててもいずれしたくなるさ、という余裕もあったが、それだけじゃない。
犬が亡くなって、テロの追い討ちがあり、ぼくは、人生の有限性を再確認した。それが大学を卒業するまでの22年だろうが、80年だろうが関係ない。いずれにせよ限られていることだけは確かなのだ。そしてやりたいことをやり尽くそうと思ったら、限られたその人生は絶対に短い。
社会人になったら旅なんかできない、と言ったサキさんの抱えるある種の切迫感をぼくは感覚的に理解した。そしてその切迫感は、やりたいことをやり尽くそうと願い実行する人間にだけインプットされた強い生命力の証であることを、自分に照らし合わせて理解した。それならば大いに旅をしようではないか、と思った。命短し旅せよ乙女。絶対に旅を続けてくれ。またどこかで会いたいなと思った。
(たいchillout)

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