【オマーン/マスカット】ここで死んだらかっこ悪い

ここで死んだらかっこ悪い

交通のハブとなっているRuwiまでタクシーで行き、Ruwiから観光の中心地であるMutrahまで、この土地ではそれほど数の多くない路線バスに乗った。月が出ている。到着したところで安い店に入りケバブを食べた。それから南に、海沿いを歩いた。湾曲した歩道は海に沿っており、道路を挟んだこちら側にはイスラム風建築。大多数の人々が宗教的な装いをしている。美しい。
土産物などが売っている賑やかな場所に出た。初めての街で、時間も遅く、土産関連で買うものはない。日用品は今のところ事足りている。見物だけして往きとは別の道に入り、大体の方角の目安をつけて引き返すことにした。今度はRuwiまで歩き、そこで乗合のタクシーを探せばいい。まずは基本的な土地勘を身につける、そして交通機関の乗り方をマスターする。そうすれば、翌日から自由に動くことができる。
砂漠の国であると同時に自動車大国のオマーンには鉄道路線がない。首都マスカットの中心であるここMutrahと入り組んだ裏道も魅力的なRuwiの両地区へも、人々は自家用車で通勤や買い物に出向くと思われた。路線バスは安いが便数も路線数も充実していない。したがって旅人は工夫を強いられる。以上のことは最低限の事前情報として知っていたが、考えていた以上に難易度は高い。特にバックパッカーはガイドと車を雇わないのがポリシーなので尚更だった。
オイルマネーで潤う豊かな国である。だがそんなオマーンにも意外にも乗合タクシーが走っており、そこでは料金交渉が行われた。Ruwiからハッサンの自宅近辺へと帰るために乗り込んだタクシーで、「フィリピーニ?」と同乗客に言われた。そのタクシーはドライバーの必死の呼びかけにも関わらず一向に乗客が集まらず、いつまでも出発しない。価格にも疑問があったので、ぼくは勝手にタクシーから降りて別の乗り場を探しに行った。
次のタクシーは人が集まっており今にも出発しそうだったが、価格は前よりも高かった。しかし帰りたい気持ちの勝ったぼくはそれに乗ることを選んだ。
高速道路の路肩で降ろされた。確かに高速道路なのかと言われると分からない。だが、その道路には見渡す限り信号が無く、幅広の複数車線が直線で走っており、なによりスピードが出ていた。マスカットの道路は整っており、スピードを出す車は多い。しかしその中でも最上級の「高速」だった。
ぼくは対岸に渡る必要があった。デイパックの紐をきつくしめて腰を下げ膝に軽く手をつく姿勢をとった。見れば見るほど車は速い。何十もしくは何百の車を見送っただろう。日本でも車道を渡ることはあるが、そのときと同じ緊張感ではいけない、と自分に言い聞かせたことをよく覚えている。盗塁のような気持ちでスタートを切った。ここで死んだらかっこ悪い、真剣にそう思いながら。

 

火事騒動

ハッサンの家に帰るとドイツ人の二人が来ていた。今日のゲストは二人とぼくを合わせた三人だ。ドイツ人はラージとアレックス。二人とも逞しい若い男性でアラビア語を学んでいる。何かのプログラムでオマーンの他の都市に中期滞在しており、それが終了しこれから母国に帰るという。二人と話していると突然マンションの火災報知器が鳴った。誤報だろう、といつもの感覚で構えているとハッサンが現れ、今から外に出ろという。本当に火事なのだろうか。分からないらしい。しかしマンション全体に避難が呼びかけられているようだ。
階段で降り、外に出て見上げても火は出ていない。やはり誤報なのか、最悪の事態を回避できたということなのか。ラージとアレックスとぼくは見上げたり足元の石ころをいじったりしていた。ハッサンは状況確認に努めている。そしてハッサンの奥さんも一緒にいた。奥さんは敬虔なムスリムだとわかる、漆黒のニカーブを着ていた。こちらから見えているのは、その目だけだ。奥さんは、我々ゲストの男性陣とは最低限の挨拶だけ交わし、サッと距離を取る。人当たりというか、接した「感じ」はいいのだが、「交流」する気はないことがわかる。それなのに、同じようにマンションから出てきた別の奥さんを見かけると駆け寄って饒舌におしゃべりをはじめたのは少し面白かった。奥さん同士、手を取って耳の横でチュッとするイスラム式の挨拶をしている。

火事騒動は騒動のまま終わり、シャワーを浴びて、個室で眠った。翌日はハッサンが我々をもてなしてくれることになっていた。金曜日。真っ白のトーブを貸してもらい、ぼくたちはモスクへ礼拝に行ったのだ。

(たいchillout)

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