【エジプト/アレクサンドリア → ダハブ】砂漠と海

レベル3区域へ

夜の十時に、乗客の少ないダハブ行きの夜行バスは出発した。ダハブはシナイ半島の東の海岸沿いにある。そのシナイ半島はアフリカとアジアの結節点にあった。エジプトの国土だが、アカバ湾を挟んで対岸にサウジアラビア、そして北に陸続きでイスラエルが位置する。シナイ半島とアフリカ大陸の境界にはかのスエズ運河が開けている。その地政から、今も昔も政治的に重要な土地であり続けた。外務省の定める「危険レベル」は2019年の春時点で4段階中の「レベル3」。これまでレベル3の区域に入ったのは、キルギスウズベキスタンの国境だけだった。バスの乗客は、途中の検問で幾度も荷物検査をさせられるという。警戒されているのは、テロだ。シナイ半島はISILの動きが活発な地域として知られていた。北のイスラエルとエジプトは慢性的に緊張関係にある。ぼくはその両国をわかつ国境を越えて、陸路でイスラエルに入国するつもりでいた。そのために、まずはダハブまでというわけだ。

自己責任、という言葉が頭に浮かんでくる。むろん、ぼくはそれを受け入れる。もしも元気なままどこかの組織に生捕りにされて日本国政府がぼくの身代金を要求されたら……そのときだけは国民の血税で気前よくお支払いを済ませてほしいが(!)、それにともなう恐怖や苦痛あるいは死すらも、その責任はぼく自身にあることに疑問を挟むつもりは無い。自己責任という言葉は嫌いじゃない。その言葉を振りかざして誰か人を追い詰めるために使うのではない。自分の失敗の原因を他者に帰さないために、そして失敗からは必ず反省を生み出せるようになるために、それを自分に対して使いたいのである。

ところで、ダハブは少し南のシャルム・エル・シェイクと共に、穏やかで暖かい紅海にくつろぐ砂漠のビーチリゾートとしても知られている。リゾート? 治安は大丈夫なのか? どうやら大丈夫そうである。外務省の地図を拡大してみると、シナイ半島の南東の海岸沿いだけ、保護シールが剥がれかけたみたいに「レベル2」になっている。中東やヨーロッパの各地からは、リゾート目的に特化していると思われる直通の航空便がそこへ就航していた。「レベル3」のエリアは、空路で越えるのがスマートなようだ。ヨーロッパ人にとってのこのあたりは、我々にとってのバリ島やセブ島のような距離にある。案外、リゾート地としての位置付けもそういうところにあるのかもしれない。ただ、日本人のブログなどを少し見ると、ダハブのことを書いている人間にはバックパッカーが多かった。どうやらそこでダイビングのライセンスをとるのが定番らしい。日本人バックパッカーの定番なんて死んでも押さえたくない気持ちはある。

 

砂漠と海

色々なところで砂漠や荒野を見てきた。その中でもシナイ半島の砂漠は不思議な美しさで記憶に焼きついている。
真夜中にスエズを渡ったバスは、明け方にかけて半島を南下した。ダハブへの最短経路をとるなら、東へ直進するべきだったが、バスは南下した。結果、シナイ半島の西岸からしばらく、海の景色が広がった。左手に砂漠、右手に海。そのあいだにある乾いた道路をバスは走った。ちょうど、空が薄明るくなった頃だった。前評判と違い、ここまで荷物検査が一度もなかったので、ぼくは期待していたよりは眠れたような気がしていた。目覚めてからバスの中が異様に寒いことに気がついたが、夜明けの光の中で空よりも先に青く色づきはじめた海と、同じく地表から輝くような砂漠に陶然とするのが先だった。バスは凍てつく大気の透明なヴェールに包まれているみたいだった。
しばらくして、町が見えてきた。ダハブではない。平屋ばかりの小さな集落だった。海沿いにその町はあるが、周囲はどこまでも平たい砂漠なので、吹きさらしの剥き出しだ。海の潮にも砂漠の風にも洗われたような色をしていた。家々のうちの壁のひとつに美しい女性の顔の絵が大きく色鮮やかに描かれていた。女性がまとっているのは、ムスリムの見慣れた宗教服とは異なるベドウィンの衣装だった。
ペットボトルから水を飲み、ぼくは運転手の真後ろに席を移動した。少ない乗客が、途中で降りていくためにさらに少なくなり、それを咎める者はいない。移動の目的は二つあった。一つは、外の景色をフロントガラスからもっとよく観たいから。もう一つは、ひょっとすると運転席の近くでは暖房が効いているかもしれないと期待したからだ。砂漠の朝は大地が真空になったように冷えた。二十四時間で四季を一巡するような寒暖差を、日本での常識が拒絶する。だが、どちらかと言うとぼくは、気候そのものにではなく、暖房をつけようとしない運転手を恨んでいた。隠された第三の目的。それは、寒そうにしているぼくにどうか気づいてほしいということだった。

(たいchillout)

写真はダハブ到着後のもの