【エジプト/ダハブ→エルサレムへ②】エイラトから死海を通って

イスラエル入国

バスのチケット代を持ち合わせていなかったために賭けのような気持ちで乗ったシェアタクシーは無事にイスラエルとの国境に到着した。バスよりも早かった。砂漠の中をひた走り、ときどき海岸線が見え、寂寥としながらもうつくしいビーチをいくつか通り過ぎた。商売をしにきたと言っていた同乗の男たちは、国境の直前で下車した。ターバハイツという名の、ジオラマのような街だった。そこは奇妙に静かで、ひまわりが畑に咲いていて、その向こうに海へと土の道が延びており、すべてが太陽と向き合って生きているような場所だった。

難関で知られる国境では、噂通りの厳密な持ち物チェックが行われた。イスラエルは、過激な思想を持つイスラム教徒のテロ組織を第一に警戒している。ぼくはいくつかのアラブの国を巡ってきたので、それぞれの国にどういった目的で入国したのか、そこに知り合いがいるのかと質問される。それでもトラブルなくイスラエルに入国することができた。

 

エイラトから死海を通って

清潔でいい匂いのした国境の建物をイスラエル側に出ると、右手はエメラルドブルーのアカバ湾だ。素晴らしい天気で、海面は透明で、キラキラと輝いている。ATMで1,000シェケルを引き出し、最寄りの街であるエイラトまで行くために16番のバスを待った。ヤシの木が街路樹になっている。アカバ湾の対岸を臨めば、そこは岩石の世界。ヨルダンの国土だった。ヨルダンへの渡航は物理的には可能だが、心を残して、今回の旅では行かないことを選んでいた。

バスはエイラトに到着する。しっかりとした現代的な路線バスだった。ぼくはこの日どこに泊まるのか決めていなかった。その理由はどこまで行けるかわかっていなかったからである。エイラトへの到着は早かった。スムーズすぎるくらいだった。街への興味はあったが、バックパッカー向きの宿が少なく、エルサレム行きのバスチケットも手に入ったため、ぼくは午後も移動を続けることを選んだ。

エルサレム行きのバスのチケット代金は70シェケル。途中トイレ休憩があり、売店には日本のサービスエリアのようになんでも売っている。物価は過去最高水準だった。

街も自然も、たんなる街道も、ひとつひとつの風景には言葉にできない魅力的があった。イスラエルという国は、物質的で豊かな暮らしが営まれていると同時に、複数の宗教の聖地としての牧歌的な佇まいがあり、欧米的でありながら、アラブの風土を持つ。長時間、車窓にこめかみをもたれて、終わらない風景の流れを見続けると陶然としてくる。到着は夜になるだろう。SIMカードは買わないで乗り切れるだろうか。今日の宿はどうしよう。いくつも不安を抱えていたが、それによって一人旅の時間は濃密になり、風景は心に染み入ってくる。

軍服の女性が途中のバス停から乗車していた。バスは混んでいた。近くの乗客が下車しても女性は座らなかった。周囲が座るようにすすめても何度も断っていた。毅然とした表情を崩さず、姿勢も変えない。凛とした、という形容は彼女のためにある言葉だ。イスラエルには徴兵制度がある。街中でも軍服の男女を見かけた。他の国で見た軍人よりも、彼らは高い緊張感を持って仕事についているようにぼくからは見えた。女性は、兵隊だから座らないのだろうか。兵隊が座らないのは、規則だからか、あるいは個人的な考えからだろうか。

死海を通り過ぎた。塩分が高すぎるためにあらゆる生物が生きられないその湖で、人間は浮く。バスから見たたそがれどきの死海に浮いている人はいなかった。山の稜線が美しい。くっきりとした雲の形が焼けている。軍服の女性は立っている。やがて、街道が死海沿いを離れ、バスがエルサレムの位置する内陸の方に道を逸れていっても、たそがれは起伏のある農村の風景を照らしつづけた。

2019年4月 たいchillout