【ギリシャ/アテネ】「赤ちゃんでも使える」

「赤ちゃんでも使える」

アテネの中心部の街並みは美しく、ツーリスティックで、数えきれないほどのレストランが密集していた。テラスや通り沿いに客席は迫り出し、朝と夕方は白いテーブルクロスの上にワイングラスが逆さに置かれて、浮かれた団体客や豊かなファミリーが訪れるのを待っていた。賑わう時間になると、テーブルの真ん中にバスケットが現れ、大きなパンが積まれた。ぼくはそれら幸福な風景を横目に、通りから通りへと、人混みのメインストリートから静けさの裏路地へと、歩き続けた。教会や街灯ひとつとっても、ヨーロッパだなあ、と無邪気に観察して喜ぶ。石だたみ。出窓の鉢植え。広場の噴水。なんてことない意匠。アパートの聖像。暖かい日差し。坂道の向こうには小高い丘、アクロポリス……。

総体としてのアテネの街は、歴史と伝統を持つ温暖な地中海の観光都市としての白く輝いた側面と、ただの大規模な経済圏として近隣の途上国から移民を惹きつける産業都市としての側面が、くっきりと分かれていることが印象的だった。むろん、バックパッカー宿は地価の安い後者のエリアにある。だからぼくは、日々、後者のエリアから前者のエリアに歩きで通い詰めた。そうしてまた、後者のエリアに帰ってきて、安い飯を食った。

そんな生活スタイルはここから先数ヶ月、ヨーロッパのほとんどの街で似たり寄ったりのものとなった。華のヨーロッパは移民だらけだ。期待も大きかったので、移民の存在感はある程度のショックをぼくに与えた。そうした地域は匂いも違うし、ゴミの散らかり方や、道路の舗装にも差がある。だけど、見なかったふりをして次の国に行くことはできなかった。煌びやかな写真だけを日本に持ち帰り、「こんなに綺麗だった」と振り返る旅も、それはそれでなにも悪くないと思うが、ここまでそうじゃないやり方でやってきたぼくには馴染まない。ヨーロッパにおいて、光と影は、溶け合うのでも反発し合うのでもなく、でたとこ次第といった感じで不規則に共存し、どこの誰からも理解と整理を拒む複雑系を築いていた。

顔用の保湿アイテムをひとつ、ぼくは唯一の美容グッズとしてこの旅で持ち歩いていた。出国前に荻窪無印良品でホホバオイルを買い、中国でクリームに切り替え、エジプトでココナッツオイルを使いはじめたのだが、このココナッツオイルがよくなかった。エジプトからイスラエル、そしてここギリシャにいたるまで毎日、シャワーの後にそれを塗っていると、口元の肌がひどく荒れてきてしまったのだ。いま思えば、あの頃は若かった。土地の物を臆せず食べて、不規則な生活を送り、染みのついた枕で寝て、あやしい水道水のシャワーを浴びていても、肌や髪の状態は日本にいるときとたいして変わらなかった。それが、この数週間で目に見えて悪化したのだ。原因はココナッツオイルに違いない。ぼくは、肌に優しい保湿アイテムを手に入れることをアテネでの最初のミッションに掲げ、とある小さなドラッグストアでそれを達成した。

そこで買った保湿クリームは、19ユーロ。当時のレートでもなかなか高い。量が多かったことと、おばさんの店員が「赤ちゃんでも使える」と言って強く勧めてきたことが決め手になった。静かで外光が店内に行き渡っていた。最初は若い女性の店員に接客を受けた。新人だったのか、あまり商品知識がなく、やがてレジの近辺で見守っていたおばさんが出てきた。ぼくは本当は、おばさんにバトンタッチする前から、この店で買おうという気になっていた。金色のうぶ毛が光る腕でいくつかの商品を手にとってぼくに手渡す女性の応対は、ぎこちなかったが、とても感じが良かったからだ。

 

2019年4月 たいchillout