【アラブ首長国連邦/ドバイ】I Don't Have My Place

「テレビで観たんだけど、日本人はカエルを食べるんでしょう?」

煌びやかなドバイにも下町があると知って、ドバイメトロのAl Ghubaiba駅から歩くスパイススークという地域に向かった。だが、ぼくはスパイススークを楽しめなかった。歴史的な街並みや、ローカルな文化を感じられるというのは触れ込みばかりで、パーフェクトなありきたりの観光地である。どこにでもありそうな、雰囲気だけがアラビックな土産物を並べている店々の前で、UAEの人間ではなく、おそらく移民と思われるニヤついた男たちが、怪しい日本語を口にしながら、肩を組もうとしてきた。こんな図々しい客引きは、東南アジアやインドの巨大観光地でもなかなかお目にかかれない。彼らの図々しさは(例えばインドの詐欺師たちがそうであるように)仕事熱心であるのとは少し違っていて、人を不快にさせ、憂さ晴らしでもしているかのようだった。この男たちは、人と金が集まるドバイで、美味い汁を吸うことができずにいる。ぼくはぼくで、無知な日本人が、パッケージされたアラビア風の雰囲気で旅気分を味わうこんなレベルの低い場所に、自分が足を踏み入れてしまったことが分かって、落ち込んだ。

翌日、イブン・バットゥータ・モールへ行く。ドバイには多くのモールがあるが、イブン・バットゥータ・モールには世界一美しいと言われるスターバックスがあった。それは実際に美しかった。モスクを模した天井は高く丸く空間を広げ、午前中ということもあってか人は少なく、ベビーカーを押した日本人の若い女性が二人いた。観光客には見えなかったので、きっと駐在員の奥さんたちだろう。ぼくはスターバックスが好きだ。スパイススークのようなミーハーな観光地は嫌うが、世界一美しいスタバというミーハーな観光地は好む。そんなさじ加減が、これを読んでいる人に、わかってもらえるだろうか?

次の日の朝、ホステルの狭いキッチンでマギーという麺を茹でていると、ロシア人のおばあちゃんが入ってきた。ぼくがドブラウートラとロシア語で挨拶するとニコニコしてロシア語で返される。おばあちゃんは英語が一切話せないので、ひとつも会話ができないのだが、ぼくはおばあちゃんを喜ばせることができたのが嬉しい。夕食どきのキッチンでは、アゼルバイジャン人女性の二人組と英語で話をした。直接は聞かなかったが、彼女たちはドバイで働きつつも家は借りておらずここに住んでいるような雰囲気がある。片方の女性が真剣な表情で誰かと電話しているときにこう言ったのだ。「I don't have my place」。ぼくが日本から来たと言うと、部屋着と下着の中間のような開放的な服装の二人は目を見合わせてから、大笑いしながらジャッキー・チェンのモノマネをした。そしてこう言った。「テレビで観たんだけど、日本人はカエルを食べるんでしょう?」

 

「あの便には政府の要人とドクターが乗っていた」

男性用ドミトリーでは、数日のあいだ固定のメンバーで寝泊まりしていた。アルジェリア人のウワリ、エジプト人のモハメド、タイ在住フィリピン人のヴァーンなどだ。ウワリは、ドバイでシステムアドミニストレーターとして働いていると言い、部屋の隅でお香を焚きながら、ぼくに故郷のコンスタンティーヌの写真を見せてくれた。赤茶色の渓谷にいくつもの橋がかかっており、渓谷の方々に散った街並みには旧宗主国であるフランスの影響か、ヨーロッパの感覚が残されている。中世ファンタジーをモチーフにしたゲームの中の王国のような世界だった。世界は広い。ぼくは今回アフリカを巡る予定はないが、いつか必ずコンスタンティーヌに行かねば、と思った。そんなウワリたちとも、お互いに対して強い好奇心を抱いて根気良く自己紹介するのはだいたい初対面のときだけで、数日もするとHow are you? 調子はどう? と一日一語だけ交換するような気楽な間柄になった。

狭いキッチンではいろんなことがあった。
アフリカ系の女性が、ぼくと二人しかそこにいないときに、突然自分の携帯電話に向かって大声で歌を歌ったときは驚いた。どこの国の言葉か分からなかったが、世界共通のあの曲だ。ハッピーバースデートゥーユー。女性は誕生日を迎えた誰かに向けて、電話越しに、一切照れることなく、その歌を歌い切った。
ある夜は、中国人の二人の男と話し込んだ。二人の名前は、ウェイとフラン。二人ともぼくより年上だが、まだ青年の面影があった。ウェイは妻子がいるが、ドバイでMBAを取得するために大学に通っている。フランはドバイモールに併設されたオフィスビルで土地のセールスの仕事をしていた。二人とも頭脳明晰で、ぼくの前だということを意識して二人は英語で議論した。フランは少々迷信深いところがある。マレーシア航空370便の墜落事故に関して、フランは「あの便には政府の要人とドクターが乗っていた」と言った。同時期に中国国内で鉄道の衝突事故があったらしく、フランは二つの事件を関連づけて誰かの陰謀だと説いた。それに対して冷静にして舌鋒鋭いウェイが「ソースは?」と聞く。フランが少し恥ずかしそうに「インターネットだ」と言うと、ウェイは鼻で笑った。このあたりのやり取りは、いかにも日本のネットで社会問題を議論する頭でっかちのオタクたちそのままで微笑ましかった。その頃、ちょうど日本では新しい元号である「令和」に切り替わる手前の時期で、ウェイとフランもそれを当たり前のこととして知っていた。どうやら国際政治や国際社会に一家言あるらしいフランは、日本について見聞きした知識を確かめるチャンスだと思ったのかぼくに多くのことを聞いてきた。それは例えば次のようなことだ。日本人の労働観について。日本の大学受験システムについて。日本の桜の開花時期について。孫正義について。東京の土地について。日本国憲法改正について。ことによるとセンシティブな話題に行き過ぎるフランを、ウェイは「よその国の政治には口を挟まない」とたしなめた。政治信条を持たないぼくにとってタブーとなる話題は一つもなかったが、ぼくはそんな二人のコンビネーションを面白がった。ウェイは信じなかったが、フランは今は東京よりも北京の方が地価が高いと言った。中国の男は土地や車を持っていないと結婚が難しいらしいが、北京に小さな土地を持っているフランは、ちなみにまだ独身である。
台湾の話題をぼくが出すと、ウェイだけでなくフランも言葉を選ぶようになり、歯切れが悪くなった。台湾については話したくない、もしくは台湾を嫌っている、というのとは少し様子が違うようだ。「台湾についてだけは慎重にならざるを得ない」。ぼくが感じとったのは、中国本土の人間である二人のインテリのそんな控えめな姿勢である。他方で「じゃあ香港は?」とこちらが話題を変えると、張り詰めた雰囲気はすぐに失われた。ちょうどその頃香港では、逃亡犯条例改正案に反対するデモが拡大していた。国際的な注目度も高まっており、中国本土は西洋や日本のジャーナリズムでも一方的な悪者として扱われる場合が圧倒的に多かった。しかし、二人は目を合わせて笑った。ぼくに向けて話すことはなかったが、それは少し香港のことをばかにしているような笑い方だった。「あいつらはしょうがねえ奴だよな」とでも言っているような。
次の日、ぼくはフランのオフィスに招待された。夕方、ドバイモールの入り口近くで待ち合わせた。併設されている、一般客は一人も入ってこないオフィスビルに案内され、エレベーターを乗り継いでいくつかの廊下を折れ、フランはカードキーをかざしてオフィスの扉を開いた。宿にいるときとは違い、紫のシャツを着たフランはカジュアルだがれっきとしたビジネススタイルである。すでに定時を迎えたのか、人はほとんどいなかったが、そこは正真正銘の企業オフィスだった。いくつものデスクトップパソコンに、大小の会議室、給湯室、回転式のワークチェア、ブックシェルフ、書類の束。ぼくも、かつて日本で、いくつかのオフィスで働いた経験があるが、それらと比較してもここは洗練された上等なオフィスといえよう。特に、会議室からの眺めが素晴らしかった。そこからは、あのドバイモールと、世界一高い塔であるブルジュ・ハリファの夜の姿が一望できたのである。

 

I Don't Have My Place

翌朝、ひとりでスクランブルエッグを作っていると、トーブを着た大きな体躯の男がキッチンに入ってきた。宿泊客ではないようだ。オーナーを呼んでほしいと言われ、ぼくはすでに馴染みになっていたアフリカ系のファンク(会うたびにBooking.comに口コミを書いてくれとうるさい)を呼んできた。男とファンクは英語で話す。だから、ぼくには会話のおおよそが理解できた。男はどうやらこのホステルの宿泊客の、ある女と会おうとしているようだった。その女は今日チェックアウトし、男と一緒にどこかに行く予定だと男は言った。その態度はどこか切羽詰まっており、威圧的でもある。ファンクは了解したが、まだ朝だったこともあり、その女性が休んでいる女性用のドミトリーに自分は入ることはできないと言った。男はどの扉が女性用のドミトリーかファンクに訊ね、ファンクが教えるとその扉を叩いて、女の名前を呼びはじめた。ファンクがやめてくれと頼むと、じゃあお前が呼びに行けと言う。そして逡巡するファンクの垂れ下がった左手に、男がUAEディルハムの札束を握らせるのを、ぼくはこの目で見た。
ファンクがやって来るまでの間、ぼくは少し男と話をしていた。ぼくがはじめて個人的にコミュニケーションをとった本物のUEA国籍そしてドバイ出身というその男は、なるほど、見るからにブルジョアジーな雰囲気を滑らかな白いトーブなどから醸し出しており、28歳だというのに世の中に対する余裕に満ち溢れていた。それなのに尾田栄一郎の『ONE PIECE』とスナップチャットが大好きという子供っぽさに、また妙なリアリティがあった。
不穏な雰囲気があった。ディルハムを乱雑にポケットに仕舞ったファンクが意を決して女性用ドミトリーを強くノックしたとき、女性が出てきた。それは、ぼくが数日前にキッチンで言葉を交わしたあのアゼルバイジャン人女性のひとりだった。ジャッキー・チェンの物真似をしたときのひょうきんさは見る影もない。沈んだ硬い表情をしている。開かれたドミトリーの扉から男は部屋に押し入り、女性のスーツケースを持ち出して今すぐにここを出るぞと宣言した。ファンクは、関わらないことを決めたようだ。ぼくも、おおよその事情を察した。これは犯罪となるような事件ではない。いささか乱暴で切実ではあるが、ただの痴話喧嘩である、ということをだ。アゼルバイジャン人女性は男とのコミュニケーションを拒んでいるが、男のことをよく知っているのは明らかだった。恋人なのか。あるいは女性は夜の街に職を持つナイトワーカーだったのかもしれない。不祥な態度を崩さなかったが、宿を巻き込んだトラブルだけは避けたかったのか、女性は最終的に男に従い、二人でこの宿をチェックアウトした。
I don't have my place.
数日前、ぼくとの会話がはじまる前にキッチンで電話をしていた女性は電話相手にそう言った。宿暮らしだから家がない。そんな意味だとぼくは受け取ったが、違ったのかもしれない。居場所を教えたくなかったのだ。

(たいchillout)