【インド/ムンバイ→コチ】地球の歩き方を自分で見つけること

旅立ちからジャスト八ヶ月の日に、コチへついた

例によってsleeperクラスの三段目。コチ行きの鉄道も20時間を越えた。大都市ムンバイからすると下りの路線なので乗客はこれまでよりも少なく、車内は乾いていて落ち着いていた。南下するにつれて如実に暑くなった。デリーではウィンドブレーカーを着ていて、ムンバイではカーデガンを羽織って、コチ行きの鉄道でTシャツになった。車窓からはときどき海が見え、ときどき、まっすぐとその海へ続く誰もいない一本道が見えた。天気は無限に晴れている。植物はマングローブのように大きく丸みを帯びたものになってきた。いくつもの河にかかる橋を渡ることが増え、熱帯の湿地に入っていることはわかった。暑さが暴力的なものになる。だが、景色は美しい。男が一人、河に足を浸した牛の背中に水をかけている。男が一人、河の水に浸した服を石に叩きつけて乾かそうとしている。尽きかけていたミネラルウォーターを買おうと停車駅でホームに出ると電車が走り出したので慌てて戻った。暑さは暴力だ。日本にいて暑さが暴力にならないのは、そこにアイスコーヒーが、スタバが、図書館があったからなのだ。ぼくはHIGHWAY TO HELLと書かれたAC/DCのTシャツを着ていたが、首回りも肩もボロボロになっていたので次のモルディブで会う彼女に渡して日本に持って帰ってもらうことを決めた。黄緑色の、遠くからでも目立つHIGHWAY TO HELLはお気に入りだった。苦楽を共にしたHIGHWAY TO HELLは天国に一番近い島で天命を全うすることになるのだと思った。同じコンパートメントにはおじさん二人、おじいさん一人、おばさん一人、「国は?」と聞かれたのを皮切りに質問攻めにあった。
「国は?」
「仕事は?」
「結婚は?」
BMWは日本製?」
「インドに何日いるの?」
「宗教は?」
宗教はないんだ、と答えると、
「じゃあrollは?」と聞かれた。
ロールってなんだろう?と首を傾げるぼく。おじさんは、
「ほら、信仰する神のことだよ、シヴァとか」
と補足してくれたが難しくて答えられなかった。

「日本はテクノロジーがアドバンストしてるよね」と言われた。インド人は日本の技術を褒めてくれることが多い。日本と聞いて連想されるイメージは、当然だが国によって違う。インド人は技術。石油の国々ではトヨタなどの車。フランスやアメリカ西海岸の人はアニメなどのサブカルチャー。それらはむろん、自分たちがどの分野に力を入れているかという関心の裏返しだ。ちなみに中国人の男は、少し親しくなると、東京のナイトライフとアダルト系WEBサイトの話をしてくる。だいたい中国なまりがひどい英語なのでほとんどなにを言っているのかわからないのだが(しかも若干声を潜める)、ニヤニヤしているので、ぼくは言いたいことに勘づくスピードが早くなった。日本は性的な意味で楽園だと思っている中国男子は多い。

この鉄道の中で、お守りのひとつだったビールジョッキのキーホルダーの金具が引っ張られてバックパックからちぎれた。旅立ちからジャスト八ヶ月の日に、コチへついた。

 

地球の歩き方を自分で見つけること

南インド、ケーララ州コチ。旅好きでなければ知らないであろうこの土地にぼくが行ったのは、そこからモルディブに飛ぶチケットを買っていたからだった。
インド以西のルートを考えあぐねていた。本当はパキスタン、イラン、トルコと陸路でヨーロッパまで行きたかったが、パキスタンとイランの国境は閉鎖されていると話に聞いており、インドとパキスタンの国境は通れるには通れるが両国は一触即発だと言われていた。だからぼくは空路を選んだ。空路を選ぶからには空路ならではのルートをとりたい。その結果のモルディブであり、次のスリランカであり、そしてぼくはスリランカから、未知の極みであるオマーンという国へ飛んだ。モルディブオマーンは旅立ちの時点では全く意識していなかった国だった(スリランカは憧れたビールがあるので行くつもりだった)。
いまでもそのときの気持ちを少しだけ思い出すことができる。オマーンという、自分が一切の情報を持っていないイスラムの国へ飛ぶことを不意に思いつき、そのアイデアが具体化していき、ついにチケットを買ってしまったときのワクワク感。またこれで面白くなる、そう感じたときの喜び。ほとんどの人間は、その人自身がよく知っているものが好きだ。「好きなもの」があるのではなく、「知っているもの」が好き。よく知っているものに出会うと、反応し、饒舌になり、自分の正しさを感じる。だから彼らは知識の断片をすでに所有している憧れの国へ出かける。あらゆる情報を行動の前に調べ上げ、同じ思い出話を永遠と繰り返し、未知にはただ口を閉ざして感覚を遮断して緊張し身構える。ぼくは違う。違うのだなあと最近よく思うし、違うことを誇りに思う。ぼくはオマーンの楽しみ方を知らない。ぼくは未知のものに、既知のものよりも絶対にときめく。知らない景色に親しみを感じることができ、知らない現象・トラブル・屈辱をその場で解釈し、ノリと常識が通用しないところでコミュニケーションを開始し、はじめて出会った人の人生の話を自分の人生よりも何倍もすごいストーリーだと確信して聞くことができる。ノリと常識が通用しない場所に旅で身を置くことは、ノリと常識がピタリと一致する人と旅で出会うことよりも圧倒的に本当の幸せに近い。
スリランカ、そしてオマーンからは全く新しい旅がはじまる。リゾートのモルディブではこの旅の例外的なバカンスがある。一年間を目安にした旅のうち八ヶ月が経過し、アラブに踏み入り、いよいよアジアをフィニッシュしようとしている。だからコチはこの旅の、前半が終わる場所だった。地理と時間における区切りだった。デリーやムンバイからモルディブに飛ばなかったのは、コチの方が安いからだ。安いという理由だけでインドの南端まで行ってしまうことが大事だった。それがぼくにとっては、インドを楽しむことにおいても、ベストなアイデアだった。インターネットを見ればたとえコチだって日本人の誰かがそれについてブログに書いている。ぼくはそれを見ない。テレビでは過去に一度はどこかの局が世界のあらゆる辺境を特集している。ぼくはそれを見ない。地球の歩き方を読まない。歩き方を自分で見つけることが一番エキサイティングで、それは、安全や安心が欲しいからといって軽い気持ちで手放してはいけないものだ。そのエキサイトには、どんな絶景よりも、人間を解き放つ力がある。
楽しみ方を自分で見つけた時だけ、対象について本当に自分オリジナルの意見を持った時だけ、本当の充実感が手に入るのだといつかどこかで知った。そのきっかけはゲームだったかもしれない、レゴブロックだったかもしれない、昆虫飼育だったかもしれない。
いずれにせよ、その直感に忠実に、より自覚的に、より頑固にやっていく。

(たいchillout)

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