【ギリシャ/アテネ】夏のはじまり

ユーロとヨーロッパ

機内食で出されたベーグルを食べながら、ロバート・A・ハインラインを読んでいると窓の下に山がちなギリシャの大地が見えてくる。イスラエルの国営航空会社である、エル・アル航空の機体は、アテネ国際空港に着陸した。
空港のATMでは、どういったわけか現金が引き出せず、ぼくは備えとして携帯していた米ドル札をユーロに両替した。ヨーロッパ未経験のぼくにとって、はじめて手にしたユーロだった。これから訪れるに違いない国々の大半は、このユーロで渡っていけるわけだ。これまでは、越境と両替、加えてSIMカード購入の三点は、常にセットで存在した。いくつかの事情でSIMを買う頻度も少なくなってきたが、両替すら不要になれば、出入国に伴って考えるべきことがさらに減り、旅は一段と身軽になる。
そのユーロをつかい、空港内のカフェでクロワッサンを買ってみる。一息ついたところで、エアポートバスを見つけ、アテネの市街に向かった。
前年の初夏に日本を出てからおよそ十ヶ月が経ち、季節は今や次の春になっている。この夏の終わりに帰国するが、そのイメージは湧いてこない。それはきっと、この先数ヶ月でヨーロッパをどのように巡っていくのか、自分でもまったくわかっていないからだろう。

 

夏のはじまり

予約していたホステルの入口の小さなドアは鍵が閉まっており、ぼくは誰かがやってくるのを待った。最初に現れたのは従業員ではなく、宿泊客らしき老夫婦である。ギリシャ人だろうか。婦人の、コーデュロイの帽子がいかにもヨーロッパという感じがする。ご主人がスタッフの女性を呼んできてくれ、チェックインが完了した。スタッフの女性はぼくをエレベーターに乗せ、上階にあるドミトリーまで連れていき、キッチンでのルールやシャワールームの場所を教えた。窓際のベッドに腰を落ち着けると外で鳥が鳴いている。もう夕方になっていたが、四月の末にしてはかなり明るく、日が長いのだろうと思った。「恐ろしく日が長い」。それこそがヨーロッパの美しい夏の最大の特徴の一つだと、ぼくはこの先の数ヶ月で学んだのだが、そのことに最初に気づいたのがこのときだった。
屋上からアテネの市街とアクロポリスが見えるこのホステルで、ぼくはまずアフガニスタン人だと間違えられた。幅広い人種のゲストが滞在していたが、彼らのうちの何人かは、我が家のようにキッチンを使いこなし、共同で自炊し、一緒に食事をとっていた。出会ったばかりのバックパッカー仲間にしてはくだけた、家族的な雰囲気。北アフリカや南アジアやアラブの国々から仕事を探しにきて長期で滞在している若者たちなのかもしれなかった。彼らは皆明るく、自由で、くつろいでいるので、旅人との区別はほとんどつかない。

2019年4月 たいchillout