【オマーン/マスカット】異教徒と無宗教

way of life

Airbnbのホストであるハッサンに宗教を訊かれた。当然だが、ぼくには宗教がなかった(当然ということもないか)。ない、と答えたぼくにハッサンは「宗教は誰だって持っている、なぜなら、宗教はway of lifeだから」と、そう言った。wayには方法や道という意味がある。lifeは人生、もしくは生活。宗教は生活スタイルだから。宗教は人生の歩みそのものだよ。ハッサンはそう言いたかったのだろうか。フォーマルな定義から離れた、幾分抽象化された話だとすると、言いたいことは伝わった。お前だって、なにか大切なものがあるだろう? そんな問いかけだと解釈するのも悪くない。でも、どうしてそんなこと言うのだろう? 英語が下手なせいもあり自分の言葉で表現ができないでいるぼくが、深くものを考えていない人間だと見えているのだろうか。

 

すべてはデザインされている

「ふと目覚めたら、知らない電車に乗っていた。たどり着く場所には何があって欲しい?」とぼくに質問をする。そんなこと、いますぐに答えられない。日本でよく聞く、無人島にひとつ持って行くとしたら何にする、と似ている。ぼくはその類の質問が苦手だ。
「その場所にあるものが◯◯なら、◯◯があなたの人生を助けてくれる」
肝心の◯◯が何だったか、ぼくは一つを除いて忘れてしまった。ハッサンは、◯◯にいくつかの単語を当てはめて実例を示した。唯一覚えていたのは「マネー」だった。「それがマネーなら、マネーがあなたの人生を助けてくれる」
マネーを記憶している理由は、ハッサンがここでマネーを否定的な意味合いで使ったからだ。皮肉なのだと、ぼくはわかった。そして、つづけた。
「すべてはデザインされている。洗濯機がデザインされているように、人間もデザインされている。洗濯機にメタル(金属)を入れてはいけないように、人間も食べてはいけないものがある」
ムスリムは食に厳格だ。その話をしているのだとわかった。ハッサンはデザインする主体を明確に言葉にした。神。すべては、神によって、デザインされている。真剣に、神だ、と口にしたのだ。

 

深夜特急』が響かない

ぼくは自分のway of lifeについてまったく話すことができず、変な緊張を感じた。way of lifeという言葉で考えたことはなかったが、もちろんぼくにもそれに類するものはある。何かを考えて生きている。だが、それを伝えるのは困難だった。前の日に、長い旅をしているのだと自己紹介したぼくに「ワタシはlazy to travelなんだ」とハッサンが言ったときに感じた気持ちの延長にいると感じた。お世辞でも、それはクールだ、と言われるものだとぼくは思っていたので、すごく簡単に言えば、『深夜特急』がこの人には響かないかもしれない。という、感覚を持った。それはこの長旅でほとんど初めての感覚だったので、ショックというよりは驚きが多く含まれていた。
宗教の件を含めたいくつかのやりとりから、ハッサンは日本のことをあまり知らないとぼくは感じた。ちっちゃいくせに経済大国で、人々は拝金主義で、豊かな人生というものに思考を巡らせず、働き続け、物を買い続ける。それが事実かはさておき、ざっくりそんな風に思われていると感じた。嫌悪されているのではない。オマーンには日本に関する情報は少なく、人々が興味を持ってもいないようだった。あるいは、中国のパブリックイメージが先行しており、中国と日本は「ほとんど同じ」という感覚もあるかもしれない。深読みしすぎだろうか。

 

異教徒と無宗教

異教徒とはなんなのか。無宗教の我々がそうした問いかけに関心を持つことはまず無い。日常的にも無いし、旅をしていても無い。なぜなら異教徒理解と異文化理解は別物だからだ。異文化はただ奇妙だったり面白かったりするだけだが、異教を尊重することはつきつめれば自己否定につながるのではないだろうか(想像でしかないけれど)。切実さが違う。ぼくはそれを肌で感じた。信仰心の強いアラブや西洋のインテリはおそらく、自らについて考える過程で、異教徒について深く考えている。そうして導き出されたスタンスというものを持っている。ハッサンも、西洋的なものと東洋的なもの、イスラム的なものと非イスラム的なもの、といったことについて、すでに自分なりの勉強を踏まえた結論を持っているように見えた。ハッサンは賢く、多様性を理解する。キリスト教徒のドイツ人アレックスがムスリムのトーブを着ることを拒んだ際、ハッサンは優しかった。それどころか、そのときのハッサンにぼくは、信仰心を裏切ることをできなかったアレックスへ強い敬意を見た。だが、心ではイスラム教が絶対の至高であると、優越していると、信じ続けている。ハッサンの家で過ごした数日でぼくが出した結論だ。そして、ハッサンは異教徒を理解するが、無宗教への理解には苦しむ。
ハッサンはクルアーンアッラーという聖なるイメージと対置する形で、半ば無意識に、嫌悪と、その裏返しの執着をにじませて、「マネー」という言葉を何度もつかった。

(たいchillout)

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