【オマーン/マスカット】それはお金があるなしとは別の話なのである

温泉にて

ハッサンはなにかと我々をもてなす。金曜は午前に週次のpray(お祈り)のためモスクに連れ出してくれただけでなく、その昼に奥さんの手料理をいただいた後は近場の温泉に車で案内してくれた。
温泉? オマーンに温泉があるというのは意外だった。日本のように入館料を取るわけではない。更衣室なんかもない。岩と砂と民家が続く一帯に突然熱湯が沸いており、申し訳程度に囲いがあるのだった。番頭だっていない。適当に車を止めてズカズカとそこへ歩いていった。無人駅ならぬ、無人温泉。素っ裸になるものではないらしく、ぼくたちゲスト三人とハッサンは服の下に水着を着て出かけ、その三畳ほどしかない温泉に入った。
だが困ったことに、これがどうしようもなく熱い。日本の温泉でも42度を超えると耐えられない軟弱なぼくの肌が測るに、46度はあったのではないか。ぼくは水着になったが膝から下しかその熱湯に浸すことができなかった。驚いたことに、ドイツ人のラージ、アレックスは、苦難の表情で、肩まで浸かっている。肌がぼくの三倍くらい分厚いとしか思えない。出かけるときにトーブを脱いでカジュアルな洋服に着替えていたハッサンも、その洋服を車の影で脱ぎ、あろうことか温泉に頭まで潜った。日本だとマナー違反、しかしここには我々以外誰もいない。裸ではなく水着だし、アクティビティに近いのだろう。ラージとアレックスもダイブを試みる。しかし、二人が熱湯に潜ることができるのは一瞬で、ハッサンにははるか及ばない。ぼくは信じられない思いだった。三人の強靭さと、積極的に無理をしてはしゃぎ楽しんでいく姿勢。その両方が新鮮で、少し困った。身体を気づかわないでバカやってると早く死ぬぞ、と内心で毒づいたが、自分に無理しない立ち振る舞いを身につけてもう長いこと経つ自分のことを、つまらないヤツだとも思った。

 

ご実家にて

それから、同じマスカット市内にあるハッサンの実家に案内された。たかが民泊のゲストを実家に連れていくホストがいるだろうか? 
とはいえ、それは、オマーン人の生活の内部を覗ける稀有な機会だった。
実家はハッサンの家よりも空港に近い、より洗練された住宅地にあり、そして大きく立派な一軒家だった。生活水準は大多数の日本人よりも確実に、ツーランクほど上だ。居間には先代の肖像写真が飾ってあり、ハッサンのお母さんとハッサンのお兄さん家族が出迎えてくれた。小さな女の子と握手する。思えばムスリムの女性と握手したのははじめてかもしれない。子どもなら異性との接触も許されるのだろうか。この子は幾つになったとき"女性"になるのだろう。壁には火縄銃のようなものが飾ってある。ぼくはトイレに立ち、そして洗面所の前に山積みになった真っ白いタオルに驚いた。ホテルのようだった。もしかするとこの家にはメイドがいるのかもしれない。家中が見事に管理されていた。オマーンにはフィリピン人の労働者が多く出稼ぎに来ており、また、オイルマネーで潤うアラブの国々にはメイドの文化が根強く残っているという。フィリピン人女性の多くはメイドとして働きに来るのだそうだ。
我々ゲストは二階のバルコニーに通され、そこでフルーツの盛り合わせを振る舞われた。ちょうど陽が沈むころで、目の前のグラウンドで青年たちがクリケットをしている姿がやがて影になった。実家でホストを務めてくれたのはハッサンのお兄さんだ。お兄さんはハッサンよりも恰幅が良く、自信に溢れている。もちろんビシッとトーブを着込んでいる。ニュージーランドへの留学経験があり英語は完璧だ。ラージとアレックスも含め、このメンバーではぼくの英語力が最も低いため、話に割って入る余裕がないことが多かった。そんな中、お兄さんは一種のマナーとしてその場にいる全員に話題を振った。
後で知ったことだが、ハッサンも留学しており、その場所はフィンランドヘルシンキだった。息子二人を留学させ、これほどの家を建て、それを維持し続けるのは相当のやり手だろう。もちろんハッサンのお父さんのことだ。あるいは、恵まれているのはハッサンたちではなく、この、オマーンという国なのだろうか。家族の繋がりも強く、それは少なくとも三世代に渡る。大きな家は、まるごとアメリカのホームドラマの世界のような満ち足りた雰囲気に包まれている。隣国のUAEにはドバイという中東一の経済都市がある。日本は豊かではない、ぼくはそう思った。また、オマーンの豊かさにどこか納得いかない感情もあった。石油がでるなんてずるい、という簡単な話ではもちろんない。いくつかの貧しい国も見てきた。比較をしすぎて自分の立っている位置がわからなくなる感覚があったのである。

ハッサンもお兄さんもグローバル標準のソフィスティケートされた感覚を持ち、西洋先進国の中流以上の人々と言葉でも経済力でも人生を楽しむという姿勢においても同じ水準で生きている。言うなれば、無知ではないのだ。しかし、だ。ハッサンには放浪の旅への憧憬が根本からないのかもしれないと疑ったときのあの感覚をぼくは未だ解明できていなかった。新疆ウイグル自治区で苛烈な手荷物検査をされるとき、ぼくには高揚感があった。それがぼくのway of lifeだ。自分の家に移民のメイドがいて真っ白いタオルが山積みになっていてもぼくは高揚しない。三世代が良い関係で同居し、経済的余裕がふんだんにあり、世界の流行やサービスを英語でキャッチし消費する生活を送っても、ぼくには旅が必要な気がする。ラージは、アレックスは、どうだろう。豊かな生活というものに、ハッサンたちはそれだけ投資してきたのだ。それはお金があるなしとは別の話なのである。

すっかり遅くなった帰りの車で、助手席の奥さんがスマートフォンを見ていた。インスタグラムを開いているのだとわかった。ほとんどぼくたちと言葉を交わさない奥さんはインスタで何を見て楽しむのだろう。覗き込む気はなかった。しかし好奇心と自制心がせめぎ合った一瞬のうちに、ぼくの目は画面を捉えていた。目に入った写真は、大写しの女性の手、その褐色の手に美しいペイントが施されていた。

(たいchillout)

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