【エジプト/アレクサンドリア】地中海と1929年のコーヒーショップ

地中海

七十ポンドの鉄道チケットを買って、首都カイロから、地中海を望む港街であるアレクサンドリアに向かった。アレクサンドリアといえば、古代の図書館であるアレクサンドリア図書館や、小説『アレクサンドリア四重奏』が有名な、なにかとロマンチックなイメージがある街だった。
ファイナルファンタジーⅨというゲームがある。あの物語も、主人公であるジタンたちが、架空の国であるアレクサンドリア王国の王女、ガーネット姫を誘拐するところからはじまるのだ。

アレクサンドリア鉄道駅に降り立って、ダウンタウンのメインストリートを通り抜け、海に近いところの宿にチェックインした。ぼくにはめずらしく個室を予約していた。ゆとりのあるツインルームだった。骨董品の家具のような建物には、このホテル以外にもオフィスなどが入っているようだ。部屋にはブラウン管のテレビがある。カーテンやベッドカバー、ベッドサイドの照明器具、そうした細々とした備品の一つ一つが、古びているが「いいなあ」と思えるものばかりだった。決して高級なものではない。機能的でもない。だけど、無印良品ニトリビックカメラなんかには絶対に置いていないことだけはわかる。建物のエレベーターの操作の仕方すらぼくはわからなかった。薄暗い一階でまごついていたところを、掃除夫に助けられてやっとこさレセプションのあるフロアに向かうことができた。それだけ、かけ離れているのだ。
二泊三日の予定だった。それをさらに二泊、延泊した。しんと静かな部屋のバルコニーから、地中海を見ることができた。
地中海である。旅は十ヶ月目に入っている。この海を渡れば、ギリシャにもイタリアにも行ける、というところまできたことになる。ワイン、オリーブ、白身魚、白い壁の輝く島々、太陽の光、海鳥の声。地中海は、南ヨーロッパを象徴する海だ。資金は目減りしているが、いよいよ、いよいよ、とぼくはヨーロッパを意識する。まだ見ぬ世界への期待を強く持っていた。


ブラジリアンコーヒー

小さな半島に向かって緩やかに湾曲した海岸線に沿って堤防が築かれている。堤防に沿う車道と遊歩道が、この街のもう一つの中心地だ。街は堤防まで隙がなく広がっており、海風に吹かれながら歩ける遊歩道には人通りが絶えなかった。しかるに、ぼくは退屈しない。夜になれば、若者たちがくり出した(ホテルからそこまで二分で行けるぼくもくり出した)。堤防に座るカップル。お互いの肩を支えにし、エメラルド色の地中海の風に、シャツの背中を膨らませている。孤独に釣竿を投げているセーターの男。その背で、セルフィー大会を開く青年たちが騒がしい。半島の向こうに陽が沈み、等間隔に椰子の木がシルエットを浮かび上がらせた。その横を、汚いガスを多く出す埃まみれの平たい車たちがせっかちに走り抜けた。
カイロでその魅力に取り憑かれた、シャウェルマというストリートフードがある。ぼくは駅から一直線にホテルを目指す中で、ダウンタウンを通り抜けたが、そのとき注意してシャウェルマスタンドを探しており、しっかりとそれを見つけていた。到着初日にそれを夕食にした。それから、昼に夜にと通い詰めて、その何度目かで、顔を覚えてくれたスタッフたちと記念写真を撮るにまで至る。

一夜明けて、1929年から営業しているという「ブラジリアンコーヒー」に、朝食を目当てに立ち寄った。ここも昨日のうちに目をつけていた店だ。二階まである建物が、地元の人々でいっぱいだった。日本人はおろか、西洋人のツーリストだって一人もいない。開放的な一階は、ハイテーブルに肘をもたれて、立ちながらターキッシュコーヒーのミニカップを一杯引っかけて出ていくような、せわしない男に適している。天井の低い二階は二人掛けのテーブルが所狭しと雑多に置かれていて、夕方に行けば、話し込む男女もたくさんいた。
チーズクロワッサン、ピザ、アメリカーノで47ポンド。名前だけでなく、実際にブラジルのコーヒーを出すことがこの店の売りらしい。しかし惹かれたのはその外観、内装だった。今その場に身を置いているわけではないので、具体的に書けないのがもどかしい。しかし……例えば、椅子やテーブルの手触り、照明や窓枠の装飾、壁のレンガの色合い、階段の軋み、ウェイターの服装、歓談する濃い髭の男たちとヒジャブの女たち、換気扇から差し込む光、古くて大きな扇風機、鈍い光沢を放つ食器──そのような無数の要素が、西洋文明の影響を多分に受けながら、アラブの長い歴史の中で人々の生活と共にあり続けた本物のコーヒーショップとしての佇まいを持っていた。

(たいchillout)