【エジプト/アレクサンドリア】クレオパトラのBeautiful

お気に入りの「タスク」

狭い雑貨屋で、肌に塗るためのココナッツオイルと二つの固形石鹸を買った。石鹸の原材料は、片方がゼラニウム。もう片方が死海の泥。ぼくがこの旅で持ち歩いていた洗面用品は唯一、二つあった。それが、固形石鹸と顔用の保湿剤である。
固形石鹸は、それ一つで全身と髪、顔、手もまかなう。旅に出る前はむろん、ボディソープにシャンプー、洗顔料、ハンドソープと使い分けていた。それを固形石鹸一つに絞ったのは、荷物を最小限に減らす目的もあったが、旅の覚悟を自分に抱かせるためでもあった。バックパッキングは「どこまでできるか」という実験だ。肌が荒れて髪がベトついてもかまわないか。「綺麗でいる」ことよりも、したいことがあるか。ぼくにはそれがあるということを、自分に対して証明する必要があった。

しかし、顔だけは乾燥するので、保湿するためのなにかが必要だった。日本では化粧水を使っていたが、とにかく保湿力が強ければ調整が効くだろうということで、荻窪無印良品で買った「オイル」を一つ持って旅に出た。そのオイルを中央アジアのどこかで使い切ってからは、ウルムチにあるウイグル民族のマーケットで手に入れたシカだかヤギだかのクリームをせっせと顔面に塗りたくっていた。
固形石鹸の方も、小さくなってくると早めに次の石鹸を買うようにしていた。全身に使用する石鹸なので、「洗浄力」よりも「オーガニック」であることを重視する。必竟、そういう類の店に入った。石鹸が小さくなり、オイルやクリームが底をついてくる。そうすると、そのときいる街でオーガニック系の雑貨屋なんかを探しはじめる。どこにでもある店ではないので、完全に使い切る前に気にして街を歩くようにし、無いならそれはそれとして、次の街、次の国への宿題にした。その一連は、自由気ままな旅における数少ない、そして定期的に発生する「タスク」のようなもので、ぼくは案外この「タスク」を気に入っていた。

 

クレオパトラのBeautiful

街を歩いていると、現地の青年、少年たちが遠くからでもぼくに「ニーハオ」と声をかけ、両手を合わせて拝む仕草を見せてくる。からかわれているように感じたので、どちらかと言えばぼくはそれを不快に感じた。顔は向けるが、返事はしない。数を重ねるにつれ、顔も向けないようになった。
意外にもアレクサンドリアには観光客が少ない。カイロでギザのピラミッドを見た外国人は、こっち(北)ではなくナイル沿いを南下するケースが多いようだ。「ピラミッドを見る」ことがエジプトでのミッションであれば無理もない。エジプト文明のルーツはエジプト民族ではなくスーダンにあるという説もあり、南にはギザよりもさらに本格的な遺跡群が存在するからだ。
「ニーハオ」の青年たちは外国人に慣れていない。そんな彼らに「中国人と日本人を見分けろ」なんて要求はまかり通らない。外国人を笑うことは、いかにその人が閉鎖的な世界で完結して生きているかの証明である。といった考え方を身につけることもきっとない。それを知るのは彼らが、完全に一人で、異国の地に立ったときだ。そしてそこで生きようとしたときだ。そうした機会は、ほとんどの人間には一生訪れることがない。
公園にある背もたれのないベンチでぼんやりとしていると、猫が寄ってきて、ぼくの背中合わせに座った。二、三回、訳もなく「ニャア」と鳴いた。この街で、ぼくと猫だけが言葉を持っていないようだった。ぼくがこの街にいて、一日のうちで唯一口にする「シャウェルマ」という言葉を発する回数と、猫がニャアと鳴く回数はだいたい同じくらいな気がしたからだ。猫は旅人の匂いがわかるのかもしれない。身を寄せあって晴れた昼間の孤独をやり過ごした。
次の日の朝、「ニーハオ」を聞きたくないので、イヤホンをして音楽を聴きながら街を散歩していた。それでも、あるとき背後から笑い声が聞こえてきた。笑い声はぼくの後ろからついてきた。声が高い。まさか、小さな子供なのだろうか。いかにも鬱陶しそうに、一度だけぼくは後ろを振り返った。子供ではなかった。なんと、二人の女性だった。会話をしようとしたら声を張り上げる必要のある距離だったが、ヒジャブをつけているそのシルエットだけでも性別はわかる。子供の身長ではなかった。ぼくは呆れ返った。まさか、女だなんて。
一目見た瞬間に女性だとわかっても、半ば睨みつけるような気持ちで振り向いた勢いはそのままだった。ぼくの気持ちと態度にブレーキは掛からなかった。二人はぼくの、けっして穏やかではない(少なくとも笑いかけてはいない)顔つきを見たはずだった。しかし、それも一瞬のことである。言いたいことがあったわけでもなかったぼくは、二人がぼくに対して反応を示す前に再び前を向いて歩き出す以外にできることが無く、実際にそうした。音楽の再生は停止していた。
はたして、追跡をやめてほしい気持ちは伝わらなかったようだ。ぼくが歩き出すと、二人は後ろでまた歩き出した。ぼくは進行方向を変える決断をし、車通りの少ない一車線の対岸の歩道に渡った。そこから脇道に入るつもりだった。すると、女性たちも同じように渡ってくるではないか。偶然を装うにしては、なんて雑なやり方だろう。ぼくは、続いて女性たちが早足で回り込んでぼくの正面に立つだなんてまったく思いもよらなかった。ぼくは立ち止まった。英語が通じるのかもわからず、言葉に詰まった。二人は笑っていた。ぼくをからかっている笑い方ではなかった。ばかにしているのでもなさそうだ。二人はぼくにどこからきたのかと訊ねた。片言の英語だ。ぼくはそれに答えたが、こちらが困惑しているのだと、二人は今になってやっと気がついたようだった。ぼくも今になって理解した。二人はぼくに好奇心を持っている。
二人とも若く、大学生くらいに見える。先頭に立ってぼくと言葉を交わそうとする方がファトマ。ファトマとぼくのやりとりを見ては、ファトマを小突いてなにかを言ったり、二人で目を見合わせたりしているもう片方の女性がシュリーンという名前だった。シュリーンは太っているが、ファトマはとても美しかった。そのファトマが、二人の存在そのものに困惑しているぼくに、こうやって追いかけてきてしまった理由を説明しようとして言った。beautiful、と。
「なにがだ?」と思うだろう。ぼくが、である。ファトマもシュリーンもほとんど英語ができなかった。きっと、相手を褒める表現を他に知らなかったのだろう。それでも、美しい、と言われたのはうれしかった。疑り深い読者ならここで、彼女たちの目的は詐欺やスリではないかと勘繰るかもしれない。しかし、そうではなかった。どちらかが、立ち止まったぼくの背後から荷物に手を伸ばしたりはしなかった。ぴたりと横並びになり、二人はぼくと一メートルほどの距離を維持して向き合っていた。場所を変えて話さないかと誘われることもなく、妙なガイドを申し出られたわけでもない。と、状況証拠を挙げるまでもなく、その場に居合わせればそういうことは雰囲気でわかるものだ。ぼくは、クレオパトラの生まれ変わりのように美しいファトマが、手振りで「あなたは」とジェスチャーした後、口にした唯一の言葉、beautifulが嘘ではないと信じることができる。
それを裏付けるのが、ほんの数時間後に、アレクサンドリア図書館の中を歩いているときに、知らない女性からまた声をかけられたことだ。その女性の体型はファトマよりもシュリーンに似ていたが、内気さとお茶目さが同居した、いかにも太った女の子にありそうなハニカミ笑顔もシュリーンに似ている。ぼくの肩をポンポンとたたいて、一緒に写真を撮ってくれないかと言った。シュリーン二号はぼくとのツーショットを撮り終え、くすくす笑いながらそのまま弾丸のように学生仲間の中に飛び込んで行った。

 

悲しきASIAN BOY

なぜ俺はモテるのか、なんて馬鹿げたことをこのときぼくが考えたことをお許しいただきたい。おおかた、常日頃はモテないからそんなことを考えるのだろう。
日本人の女性が旅先でモテた話はよく耳にする。純粋な親切から、一途なプロポーズ、一線を超えている事件まで、日本人女性と会うとぼくはそういう話を聞かされてしまうことが多い。バックパッカーに限らず、よく旅をする女性は、モテるということはどういうことか知っているように見える。
しかし、そもそも旅はモテるものだ。それは、旅そのものが人の親切で成り立っていることや、出会いの数の違いもあるし、自分がストレンジャーになるので周りからの注目度も段違いに高まった必然の帰結でもある。だからある意味、ぼくがbeautifulと言われるのとニーハオと言われるのは同じことでもある。
ただ、アジア人女性と比べると、同じアジア人の男性の注目度は低いという先入観がぼくにはある。ぼくたち日本人は、たとえば街を白人男性が歩いていると「外人かっけえ」とごく自然に口走ったりする。同じようにしてぼくが外国を歩いていて、「外人かっけえ」と言われることは無いだろう。それが、アジア人男性はモテないという先入観の具体例だ。ぼくは自分たちが彼らより文化的に洗練されていないような気がやはりするし、精神的に成熟していないと感じることもある。ひがみ根性ではない。上を見ようとするとき、そうしたなにかを文字通り「痛感」するときがぼくにはある。そして、男性にとって重要な身長というファクター。アジア人はそこでたしかになにかしらの遅れをとっている。しかし、ぼくはbeautifulと言われ、まるでアイドルのように一緒に写真を撮ってくださいと迫られた。
一つ仮説として考えられることがある。K-POP男性グループの世界的な活躍だ。プーケットで出会ったスペイン人女性のネレイダは言っていたが、あるK-POPグループがフランスで公演をしたら、スペインに住んでいるネレイダの友人は国境を超えてパリまで駆けつけてライブに参加したらしい。そのくらいK-POPはヨーロッパでも熱狂的に迎えられている。ポイントは、韓国人男性グループのファンにヨーロッパ人女性がたくさんいるということである(日本のアニメキャラにカリフォルニアのインドア男子が熱狂するのとはわけが違うということ)。アジア人男性の顔の、認知度が高まっている。その可能性にぼくは思い至った。ファトマたちは、K-POPのファンだったのかもしれない。

アレクサンドリア図書館の見学を終え、ホステルの近くまで戻り、近所の旅行代理店でダハブ行きのダイレクトバスのチケットを購入した。ダハブはここから南東、シナイ半島の海岸沿いにある。出発は明日の夜。再び外に出ると、世界の死に際のような夕焼け。その夜に、パリではノートルダム大聖堂が燃えていた。

(たいchillout)