【ネパール/ポカラ→バルディヤ】ゲイル2

雨の夜

ポカラ発バルディヤ行きのバスはほぼ定刻通り、午後一時過ぎに出発した。ぼくは窓際の席で隣には小柄なネパール人の男が座った。この時刻に出発するのにもかかわらず、バルディヤ到着は明日早朝の予定だ。そしてショックだったのが、座席に一切のリクライニングがないことだった。
ゲイルは出発間際に乗り込んできた。目が合い、手を振り合う。無事チケットは買えたようだ。残念ながらチケットは指定席なのでぼくたちは離れて座った。

ぼくはバスが休憩するたびにトイレに行った。お腹の調子は悪くなっている。こんな状態で最低のクオリティの夜行バスに乗って旅をするなんて。今振り返るとよく気持ちが萎えなかったよなと思う。ぼくは休憩があるたびに究極に汚いそこのトイレをきっちりと訪問し、そしてトイレから出るとゲイルと話した。
舞台美術を学ぶ女子学生であるゲイルは、中国の重慶出身であり、並んで立つと背の高い女性であることがわかった。百七十センチくらいはありそうだ。靴のかかとはぺったんこで、上下ともトレーニングウェアのような服装である。動きやすさ重視。頭にはニット帽を被り、ショートヘアの襟足がくるっと飛び出している。ポケットに手を突っ込んですっと立つ様子がとてもイカしてる。すごくボーイッシュな人だった。自らのイングリッシュネームをゲイルと名付けるその感性からも、それはわかると思う。
ぼくはここまで七ヶ月の長い旅をしていることを話した。オーマイガー! お世辞ではなく、本当に驚いた様子でゲイルは言う。ゲイルの旅はネパール周遊に的を絞った短期のバケーションだ。このバス旅の移動時間がこんなに長いなんて知らなかったとゲイルは言った。ぼくはそれを笑い、俺はモンゴルで二十六時間のバスに乗ったぜと語った。

バスは終始山岳地帯を走り続け、ごくまれに農村を通り抜けた。そして夜がやってきて、やがて雨が降り出した。どんどん強くなる。夕飯休憩の時間。ぼくのお腹は最悪の状態で、ついに夕食そのものをパスした。とりあえず目的地に到着してほしい。そんなときに限って、バスは真夜中の山の中の休憩所でついに止まってしまった。大雨のせいだ。雷も鳴っている。ぼくは何度もトイレに行ったが、トイレに行くことをバスの運転手と添乗員に毎回大々的に宣言してトイレに行った。トイレに行っている間に出発するなんてことも、ありかねない。ていうかこのネパールで一度あったことだ

 

霧の朝

朝だ。バルディヤに着いたのは四時以降、五時より前だったと思う。辺りは真っ暗だったが、じきに明るくなってきたことを覚えている。明るくなった頃、ぼくはゲイルと二人でトゥクトゥクに乗って霧の林の中を走っていた。ぬかるんだ道だ。雨はかろうじて上がっている。トゥクトゥクは二人をそれぞれ別のゲストハウスに運ぶために走っている。運転手は言った。「どこからきたんだ?」ぼくたちは答えた。チャイナ! ジャパン! 運転手から見ればぼくとゲイルは同じ顔をしている。当然同じ国から一緒にネパールに来たと思うだろう。だが違うのだ。現地の人に「どこからきたんだ?」と訊かれて、ぼくは何度か、「チャイナ!」「ジャパン!」、あるいは「コリア!」「ジャパン!」とそれぞれ答えるという経験をした。そのときぼくは、二人一緒に「「ジャパン!」」と言うときとは明らかに違う気分を味わっている。俺は旅をしている。その事実が切なさのようなものを伴って胸を刺す。わずかな睡眠をとり、腹痛は一時的に引いている。
バルディヤはこれまで訪れたどこよりも、何もない場所だった。それでもゲストハウスがある理由は、ここには雄大な国立公園があり、そこには珍しい動物が放たれて生活しているからだ。ぼくはここバルディヤで引き続き腹痛と闘い、療養に比重を置いた滞在を送ることになる。自然を愛するゲイルはプロにガイドを任せ動物を見にいく予定だ。ぼくたちはインスタグラムのアカウントを交換し、この朝に別れてから一度も会っていない。あとでメッセージを交換したときに知ったことだが、ゲイルは中国人でありながら韓国のソウルへの留学生だった。出会ったときぼくにそれを言わなかったのは日韓関係がセンシティブな話題であるという聞きかじりの知識からくる、要らぬ気遣いだったのかもしれない。
ゲイルのインスタグラムは非常に見応えがあった。写真がめっぽううまい。ぼくは写真というメディアに関心を持っている人間ではなかったが、旅をして、自分でも撮り続けるにつれ多少は見る目が養われていた。思ったのは、どうして中国人の若い女性は皆写真が上手いのだろうということだ。ゲイルは別格だが、クラウラも、センもすごく上手かった。クラウラとセンの共通点は食べ物の写真とセルフィーが一切無いことだ。クラウラは風景を引きで、静寂を撮る。センは対象をしっかりと意識しながら、その動静の予感を撮る。ゲイルは、事物が消えていく瞬間を撮る、と言ったらいいだろうか。
ゲイルは自分のポートレイトもときたま残している。セルフィーではなく、誰かが撮った写真だ。それを見てぼくは思う。けっこう美人だな。って。いつもそうだ。ぼくは誰かがそばにいるときコミュニケーションをケチって、二度と会えないようになってから、けっこう美人だったな、って思う人間だ。髪の長い頃の写真もあった。女性らしい服装をしている写真もある。誰かと出会って、出会う前のその人の写真を見ると不思議な気分になる。

(たいchillout)

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