【エジプト/カイロ・ピラミッド】ゼロになる文明

到着日

アブダビ発カイロ行きエティハド航空EY655便のキャビンアテンダントは金髪だった。手元に置いておきたいデイパックも頭上の荷物入れに仕舞うように指示されたが、機内食はなかなか美味しい。お昼を回っていたので飲み物にはワインを選んだ。アブダビからカイロまで四時間。四時間は東京から香港までの距離に相当する。同じアラブ圏ではあるし、地図で見ると近いようだが、あっという間というほどの時間ではない。
アフリカそしてアラブ世界の中心的都市の国際空港にしては、カイロ国際空港は小さかった。シャトルバスのエアコンはきいておらず、これはぼくの確認漏れだった可能性もあるが空港と街中をダイレクトに繋ぐ「エアポートバス」が存在しなかった。ちなみにシャトルバスは、「空港」と「空港のバスターミナル」を結ぶバスである。ともあれ25USドルでアライバルビザを買って入国できたぼくは、アラブ首長国連邦では買わなかったSIMカードを久しぶりにエジプトでは購入し、ATMで2000エジプト・ポンドを引き出して(2000というのはカフェのエスプレッソが38ポンドだったところから検討をつけた適当な数字)、空港内でやたらと電話をかけているエジプト人たちを横目にそのシャトルバスに乗った。バスターミナルで別のバスに乗り換えたが、そのバスからも乗り換えが必要である由を確認していたぼくは切符切りの男の指示に忠実に従い、まったくよくわからない幹線道路沿いで降ろされた。車がびゅんびゅん走っている。エジプトの車は外観がレトロだ。角張っていて、背が低く、古いヨーロッパ映画や大戦期のアメリカの都市の写真などで見かけるようなデザイン。レトロな趣味が人気なのではなくて、どうやらこれがスタンダードなようである。ほぼすべての車がそんな感じだからだ。そして運転の荒さにかけては、世界随一であることを、ぼくはこの旅の経験にかけて保証できる。
問題の幹線道路では、あまりに車が速すぎてぼくは何分も対岸に渡ることができずにいた。そんなとき、後ろからやってきた二人の女性に声をかけられた。二人もどうやら同じようにこの道を渡りたいようだが、ぼくとは危険に対する感覚が違うらしく、渡ろうと思えばすぐに渡れそうな様子である。二人は及び腰のぼくを見て「こいつは放っておいたら永遠にこの道を渡れないだろう」とでも思ったのかもしれない。一緒に渡ろうと言ってくれた。陽が傾いてきて、車たちのヘッドライトが点灯しはじめた頃だ。ぼくは二人のヒジャブ姿の女性と一列になり、片方の女性の合図を待った。「XXX!」女性はアラビア語で言った。「いまだ!」「行くよ!」そう言ったのだとぼくにはわかる。ぼくたちはヘッドライトの海の中に飛び出していた。こっちにきて。走っているぼくに女性はジャスチャーでそう示した。そして走りながらぼくに手を伸ばした。手を繋ぐのだとわかった。さすがにそこまでしてくれなくても大丈夫だったが、ぼくはなにかの記念にと思い、その手を握り返した。渡った先を歩くと乗り換えのバス停がある。女性たちは別の道を行くようだ。ちょっとした雑談をしようにも、ぼくが英語で話すとアラビア語で返事が返ってくる。ぼくはアラビア語を理解しない。そうすると女性は適当になって「one! two! three! four!」と言う。ぼくがそれにウケて笑うと、それでコミュニケーションは完了した。
乗り換え先のバスは、バスではなく、乗合式のワゴン車だった。車内ではいかにもアラビアンな音楽がBGMとして流れているが、もちろんこの車は観光客向けのものではない。要するにこの日エジプトに乗り込んできたぼくのために雰囲気を作ってくれているわけではなく、人々が望むからこの音楽が流されている。アラブ人にとってアラビアンな音階は、今も普通に親しまれているポップスであるということだ。例えばラジオや有線で日本の伝統的な音階を使った音楽が日常的に流され、ごく自然に人々がそこにチャンネルを合わせるようなことは日本ではないだろう。
そしてカイロの中心であるラムセス駅でぼくは降ろされた。そのワゴン車が市の中心部に入るに従って見えてきた街並み、そして活気のある駅周辺の様子と人々の姿は刺激的だった。車だけでなく、カイロは駅やマンションなどの建築もことごとくレガシーな外観をしている。駅前からいくつものバスが出発しているが、どれも英語の表記がない。高いミナレットのモスクが見えてきて、そして鳴り響くコーラン。フルーツ売りの馬車。レンガ造りのシーシャ屋の軒先にいる、ターバンの老人。椅子専門店。そのすべての椅子が竹で編まれている。串焼きの煙が立ち込める一角。商いは路上でも行われている。ある少年は地面に売り物の煙草を積み上げ、客が来ないあいだは教科書を広げて勉強をしていた。あるステッキの老人は、地面にトイレットペーパーを敷いて、その上に座りなにかを売っていた。千年以上前にイスラム化されたエジプトではもうピラミッドは信仰されていないが、遺伝的には古代のエジプト民族固有の血が今も続いているという。なるほど、たしかに、アラビア半島や南アジアで見てきたアラブ人とは違った面差しをしている人がいる。鼻が、高いだけではなくその先端が鋭角で、老人なんかだとそのせいで悟りでも開いたみたいに哲学的に見える。目も鼻もクリッとした、ティピカルなアラブ人が、フレンドリーな分だけ少し軽薄に見えたりするのとは対照的だ。女性はヒジャブをつけているが、アラビア半島と比較するとカジュアルなファッションをしている。目と鼻と口は出している人がほとんどだ。マレーシアなどに近いかもしれない。地域柄、ムスリムは世界的に褐色の肌をしているイメージがあるが、カイロではヒジャブの下に白い肌と青い目をした女性をときどき見かけてはっとした。スキンケアでは及びもつかない、白人の白い肌である。観光客ではない。たとえばある女性はスクールバッグを背負いノートを胸に抱えて、褐色の肌をした友人と並んで路線バスの吊り革を掴んでいた。ファッションもヒジャブも振る舞いも、肌と目の色以外はすべてこの土地の周囲に溶け込んでいた。白人の血が主体となったエジプト人なのだとわかった。ヨーロッパに近づいている。

 

二日目

一晩明けて、ホステルの朝食を食べる。ブラックコーヒー。コッペパン二つ。オムレツ。クッキーが二種類。エジプトは建築が魅力的だ。バルコニー。扉。扉の取手。錠前。階段。エレベーター。街灯。植木鉢。天井の色。天井の高さ。すべてが冒険映画で立ち寄る街のセットのように、ぼくたちにとってはファンタジックに見えるが、つくりはしっかりしている。信じられないが、すべて本物で、あとから雰囲気を出すために作ったレプリカじゃない。四月のカイロは気候もいい。乾いていて、晴れている。雨上がりの初秋の朝の透明な空気が正午いっぱい続くような感じだ。ホステルから出て、あまりの気持ちよさに深呼吸をしていると、鍋を抱えた少女がどこからか現れて隣のマンションまで走っていった。
さて、なにをしよう。新しい街の一日がはじまってまずぼくはカフェを探す。その街での最初の商業的やりとり、最初の探検、人との初歩的な交流、それをカフェという空間でカフェの店員さんを相手に実践する。街歩きの計画もほとんどそこで立てる。トイレなどで困ったら簡単にホステルに帰ることができる距離が大事だ。それなら地図もいらない。雨も許せる。一杯のコーヒーだから注文のハードルも低い。カフェには地元の人がいる。カフェからは街が見える。リッチな店に入ってしまってもたかが知れている。カフェでは観光業に従事しているわけでもないごく普通の人が働いている。だいたいの場合、若い人たちだ。目が冴え、頭が冴え、姿勢が正しく、呼吸も正しい、体温は適正で、空腹感まで理想的。新しい街でカフェを探すとき、ぼくはだいたいそんな状態でいる。自然にそんなコンディションに整っていく。すべてに注意が向いて、自分が最も冴えているその時間は、街についても人についても自分についても人生についても過去についてもこれからについても、すべてを同時に考え、すべてに関する考えが並列的に正しく、間違いない方向で整理されていくのである。
東西南北、一日を街歩きに費やした。賑やかそうな地区から地区へ、疲れたらカフェへ、ときにはトイレを堪えて早歩き。お昼はあらためてラムセス駅を見にいき、構内のレストランでアラビアータとストロベリースムージーを注文した。昼下がり、あるショッピングセンターの裏手のテント小屋のようなところでシーシャ屋に入る。日本ではシーシャというとどうも若者の遊び場のような浮かれた印象があるが、なんてことはない、シーシャの本場アラブ圏では昼間から暇をしているほこりっぽいおじさんたちが客層の中心だ。音楽なんてかかっていない。だけどそれがいい。粉っぽいターキッシュコーヒーとシーシャはよく合った。ぼくは煙草を吸わないが、煙には不思議な力があるなあと思う。煙が漂うと空気の流れが可視化される。そして、そのゆったりとした空気の流れを見ていると、それはまるで時間の流れでもあるかのように見えてくる。落ち着いた気持ちになるのだ。加えてシーシャには物質的大きさ、造形の美、そしてそれを楽しむための手続きがある。蕎麦の薬味が最初からつゆに入っていないで別皿に乗っているのと一緒で、「セットアップ」という一手間が、これからの時間に意味を持たせてくれる。
夕食は前日と同じスタンドでシャウェルマを買って立って食べた。ぼくはわざわざローカルフードをネットで調べたりしないが、どうやらシャウェルマはその類らしく、ホステルの周囲を歩き回っているうち繁盛しているようだったその店に行くと会心の当たりだった。これが本当に美味しかった。シャウェルマは巻き物だ。この店は肉も野菜も入っており、安く、次々に売れていくので常に出来立てだった。そう、忘れてはならないが、エジプトは物価が安いのである。ヨーロッパに向かう前の、最後の経済的自由をぼくはここで味わえていたのかもしれない。
酒屋で瓶ビールを買ってホステルのある建物に帰ると、アンティークなエレベーターが動いていない。居合わせた中年の男性とボタンを押したり叩いたりと試行錯誤したが男性はあきらめて階段に向かった。するとその直後にエレベーターが降りてきて、ぼくを迎え入れるその扉が開いた。ぼくがホステルのある階に到着すると、ちょうど男性も階段を上ってきて、エレベーターの透明なガラスを挟んで(ガラス張りなのだ)目が合った。男性はにやりと笑って、ぼくに向かって親指を立てた。

 

三日目と四日目

そして次の日、ピラミッドを見に行く。ピラミッドというと砂漠の果てにあるものだとぼくは思っていたが、実はそうではない。ワールドクラスの観光地としては拍子抜けするくらいカイロの街に隣接しており、なんと地下鉄で近くまで出ることができる。ギザの大ピラミッド(クフ王の墓)もスフィンクスも、後世のカイロ市民とエジプト政府が観光業で潤えるべく五千年前に政治的な配慮が行われたかのようにコンパクトにそこにまとまっている。当のピラミッドへの感想だが、特にない。160ポンドで入場し、一通りを歩きながら見て、写真を撮った。ピラミッドは三つあるので移動にはそこそこ歩く。その周辺にはラクダを連れた男たちがうろついており、いくらか払えばそいつに乗ることができるらしい。誰かと一緒にいるならまだしも、そしてこんなケチンボな長旅をしていないのなら、ぼくも話の種にラクダに乗ったかもしれない。だがそのときぼくの財布の紐は激硬であった。激硬であるために、エリア内のレストランで食事をとったりもせず、ガイドも頼まず、チケットにもう少し上乗せをすると入場できる展示スペースやピラミッドの内部にも入らなかった。ぼくはただ、160ポンドか……と思いながらひたすらその四角錐のまわりをぐるぐると徘徊して、ここにはどんな観光客がくるのだろうと、いつものように人々を見渡していた。歴史へのロマンや、アカデミックな関心も、ぼくはそれほど少ない人間ではないはずだった。しかし、それよりも優先されるものがあった。余裕がなかったのだとも言えるし、意識が高かったのだとも言える。「あの」ピラミッドを見るにつけても、ぼくはそこがどれほどツーリスティックであるかを見極めようとしていたし、適正価格の判定に慎重になりもした。観光地としてのピラミッドが、その価値に与ろうとする現代エジプト人やエキゾチシズムを求める西洋人、中国人、そして日本人である自分自身にどのように映っているかを確認し、イメージと現実のギャップを炙り出し、それによってピラミッドが好きか嫌いか、ピラミッドを肯定するか否定するか、ピラミッドに感動できるかできないか、決めようとしていた。
今ならもう少し違う旅をするだろう。だけど、あのときあれだけシリアスだったからこそ、「この次は」という新たな気分も生まれるのだと思う。次にピラミッドを訪れたときは、似非ベドウィンの男らにチップをはずんで歯を剥き出しにしたラクダと並んでセルフィーでもしてみるかもしれない(しない)。
ちなみに翌日には、ナイル川沿いに建つエジプト考古学博物館に行っている。美術館や博物館はどの都市にもあるが、ここはまさにエジプト文明に焦点を当てている。やはりピラミッドを見るだけでは、悠久の歴史に想いを馳せるのにも限界があったのだろう。
その展示を見て思ったのは、エジプト文明の魅力は、その宗教と文化がある地点を境に完全に途絶えてしまっているということだ。だから当時の人々がなにを考えていたのか誰にもわからない。その手がかりはすべて掘り起こされたものの中から探すしかない。そして、同時代の日本では「縄文」という文明以前の社会が存在したに過ぎなかったことと対照的に、エジプトには文明があった。文明があったのに、それが完全消滅した。ヨーロッパも東アジアも前文明の上に新たな文明が積み重なる直線的な発展構造を有しているのに対し、エジプト文明はゼロになった。
博物館の帰りに、ナイル川にかかる橋を渡って戻ってきたところにあるタハリール広場で「ヘイマン!」と声をかけられる。タハリール広場は、アラブ連盟の本部に代表される政府庁舎やリッツカールトン、インターコンチネンタルなどの世界ホテルが立ち並ぶカイロの中心地のひとつだ。そこから放射状に道路が伸びる巨大ロータリーの心臓部分でもあり、芝生が敷かれて寛げるスペースもある。声をかけてきた男はぼくにスマートフォンを渡した。そしてなにかのモニュメントの前に八人のエジプトの若い男たちがニコニコして整列した。写真を撮れ、というわけだ。八人の男が並ぶのを見るだけでこんなに清々しい気持ちになったことはない。男たちは並んで立っているだけだが、それぞれがそれぞれのスタイルでわずかに気取った表情を作った。それがなんともいい雰囲気だった。かっこいいぞ、心の中でそう呟きながらシャッターを押した。

(たいchillout)