银河铁道TIMES

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【ネパール/カトマンズ】ウランバートルに似て

三種のカレーとモモ

ネパールのイミグレでアライバルビザ用紙を記入するのだが、用意されているペンが詰めかけている人数に足りず、ぼくはそばにいたポルトガル人男性にボールペンを借りた。日本に行ったことのある彼は東京よりも大阪が好きだと言った。夜が明けはじめたが太陽は出ていない。今日も雨天、もしくは曇天である。インドからの国境を抜けたその場所からいくつかの商店がありこんな時間からSIMカードなどをちゃんと売っているが、一旦ぼくは買わない道を選ぶ。ネパール人には二種類の顔があることにぼくは気づく。ひとつはインド人と見分けがつかない顔だが(鼻が高く目が鋭い)、もう片方はぼくたち日本人に似ているどこか懐かしい顔だ。頬骨がむっちりと張っており、冷えるのか少し赤い。目が細い。ヒマラヤを越えて、チベット民族との混血が進んでいるのかもしれない。一同はバラナシから乗ってきたバスに再び乗り込む。途端にポツポツと雨が窓に当たり出す。ぬかるんだ道を走り出す。
ネパールの景色を車窓から見ておおと思ったのはビールの広告看板がどどんと田んぼや畑の中に立っていることだ。インドでは酒はアンダーグラウンドなものだった。それがネパールでは簡単に手に入るかもしれない。高まる期待。農村地帯の平地を抜けて街を通過し、やがてバスは山間を走り続けた。昼食はぼくらのような山越え客だけをあてにしているだろう山中の大きめの食堂で乗客一斉にとらされる。空いているテーブル席に座ると少年が現れさっとプレートをぼくの前に置いていく。三種類のカレールーとポテトが乗っており、チャパティが配られる。ルーがなくなると勝手に注ぎ足してくれる。ホールスタッフは五人くらいで、全員が十歳から十五歳くらいの少年だった。
バスにはコンセントがあったのでぼくは地図アプリで都度現在地を確認していた。二十二時に出発し、国境到着が真夜中、確か三時くらい。その時点ですでにバスはバラナシからカトマンズまでの三分の二地点まできていたので、案外早くつくかもなと思ったのが甘かった。ネパールに入ってから山道が続きバスのスピードが全然出ていない。結局残り三分の一を進むために二倍以上の時間を使った。ここまで旅を続けてきて「キロメートル」の感覚が身についていたが、その常識が覆る山道だった。到着間際になって近くのインド人の若い男たちと少し会話をした。ムンバイの携帯電話の会社で働いている同僚たちでバラナシ経由のネパール旅行にきたらしい。ぼくはこれから先再びインド入りしてムンバイにも寄りたいと思っていた。ムンバイはインドで一番安全で綺麗だぜ、と若者はぼくに言った。
カトマンズ到着。国境越えバスの発着するバスターミナルなんだから街中にあるだろう。ぼくはそうタカを括っていたが案の定バスターミナルは街外れにあった。ホステルまでの行き方はむろん調べていない。ひとまずバスターミナルにある食堂だかバーのようなとこに入り、そこでモモとミルクコーヒーを斜視の男性店員にオーダーした。モモは桃ではなく、ネパール名物である、蒸し餃子に似た料理だ。だが、ぼくはその時点でネパール名物だと知っていたわけではなく、深く考えずに「うまそうだな」と思ってオーダーした。これが当たりだった。山椒のような味が効いており、やはり中国との近さを意識させられた。

 

ウランバートルに似て

そこから歩く。ひどく埃っぽいが、街の規模感や標高の高さ、遠くの山並みなど、ウランバートルを彷彿とさせるところがあった。ウランバートルでのような出来事がこの街でも起きないだろうか、ぼくはそう思った。大きなトラックが土埃をあげて真横を通り過ぎる環状線風の通りから少しづつ街中に入っていく。住宅街が長く続くが、基本的に道路は舗装されていなく、雨が降ったのでぬかるんでいる。そこら中ゴミだらけで家の壁も煤けている。川にも堤防がなく剥き出しの土に流れて、ゴミが溜まって中洲ができている。地表は灰色・泥色だがだんだんと空が青く澄んできているのが嬉しかった。新鮮なフルーツが香る八百屋や焼きとうもろこしの店を通り過ぎて、ホステルのある街の中心に近づくとさすがに道は舗装されバイクやバス、車が走り、店も人も増えてきた。気温は低く厚手のセーターやジャンパーを着ている人が多い。横幅の狭い青い四階建ての隣に黄色い五階建てがあったり、汚れているが色使いが明るい建物が中心部には多く、素敵だと思った。目についたのは「Study in Japan」「Study in Korea」と書かれた看板だ。その両方が街中のいたるところにある。塾か予備校か、留学サポートセンターのようなものだろうか。考えてみれば日本にネパール人は多い。日本のインドカレー屋のほとんどは実はネパール人が経営しているなんてのはよく聞く話だ。ネパールはインドよりも経済的に遅れをとっているイメージがある。だとすると、出稼ぎがよく行われるだろう。出稼ぎ先として、日本や韓国などの極東がネパールでは人気なのかもしれない。そしてこういうときにJapanと並列でKoreaがピックアップされることを、ぼくたち日本人は受け止めていかなければならない。
自力ではホステルが見つからず、結局いつもながら道を尋ねてチェックイン。早朝に山へ行き日の出を見れるツアーの紹介などを受けるが、聞き流す。ウランバートルでは初日にツアーの参加を決めてそこでクラウラとシャオロンと忘れられないときを過ごした。今回もツアーに参加すれば誰かと出会い特別な時間を過ごせるのかもしれない。今のぼくにはその能動性が必要なのかもしれない。そう考えたが、早起きはしたくないし日の出はお金を払わなくても見れる。宿泊代を考えるとツアー代金はどこも高すぎた。モンゴル以外でぼくはホステル主催のツアーにどこかで参加しただろうか。思い浮かばなかった。
ドミトリーに入ると感じのいい二人のフランス人男性がいた。インスタのストーリーズにカトマンズの写真を投稿して外に出た。寒い。季節の移り変わりに合わせて巧妙に寒さを遠ざけて旅してきたが、ここカトマンズでぼくはついに長旅ではかさばってしまうのでずっと忌避してきた分厚い防寒着を買うことになった。

(たいchillout)

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