【ネパール/マヘンドラナガル】俺はイミグレが必要だ

マルチタスク

ネパール西端の国境の町マヘンドラナガルに到着し、その足でバスターミナルを訪ねてその日の夕方に出るデリー行き夜行のチケットを買った。マヘンドラナガルに行けばチケットはあると言われていたので、それを信じてやってきたが、実際に買えて安心した。この町は泊まらずに通過する。なにも知らずにここまできたが、バルディヤよりもよっぽど町として成立している感じがあり、二、三日いても退屈はしないだろう。全体として乾いた印象がある。山地から低地へと降りてきたのだ。インドは近い。

バスまでに時間があったので、薄暗いバーでグァバジュースを飲んだ後、宿泊はしないがシャワーだけでも浴びれないかと二つのホテルに続けて飛び込んだ。熱いシャワーに、占拠できるトイレとコンセント、荷物を広げられるスペース、それにWiFiと併設の食堂が三時間だけでも手に入れば旅人のエネルギーはチャージされる。
ひとつ目のホテルでは盲目の男性スタッフが現れ、部屋を見せてもらう。ぼくはこれだけは抑えておきたいポイント「ホットシャワーはあるか?」を訊ねると「ホットシャワーはない」と言われた。
ふたつ目のホテルでは最初から「一泊しない。数時間でいいんだが、ホットシャワーの出るいい部屋はあるか?」と訊ねた("いい"のニュアンスは"比較的高級な"ではなく、"自信を持って提供できる"という意味だ)。「ある」と言うのでここに決める。値引き交渉を終え、一室に案内された。
ホテルだけあって良い部屋だ。洋風ではなく、調度があくまでネパール・インド風であるところもいい。早速バックパックを広げ、未使用の着替えを取り出してベッドに並べ、服を脱いだ。
だがしかし、満を持してひねった蛇口から流れだしたのはまぎれもないコールドウォーターそのものだったのである。ぼくはあらゆる角度に蛇口をひねり、あらゆるポジションでそれを一時停止し、その度に数分間待った。待てば水がお湯に変わるかもしれないと思ったからだ。それを一周し、それでもダメだったので、ぼくは待つ時間が足りないのだと思い直し、もう一度あらゆる角度に蛇口をひねり、あらゆるポジションでそれを停止し、その度にさっきよりも長い時間待った。薄着であるうえに水温を確認するために手で水を受け続けたため、身体ははじめよりも冷えている。体力を養うために宿をとったのに、念を入れてホットシャワーの有無を口頭で確認したのに、それでもダメだったか。ぼくは服を着直しレセプションに出向いて「なんとかしてくれないか」と言った。スタッフの男性は「日中は出るはずなんだけどなあ」と首を傾げぼくの部屋についてきて、ぼくがさっきやったのと全く同じことをシャワーに対して試した。しかしホットシャワーは出なかった。ぼくはもう諦めかけていたが、男性は最後の手段として暖めていたのか、エレクトリックウォーターをやろうと言い、フロントから道具を持ってきた。エレクトリックウォーターというのは日本では「投げ込みヒーター」と言われるものだ。投げ込みヒーターは、電源コードと、持ち手と、ステンレス素材でできており、電源を入れるとステンレスの部分が発熱する。それをそのまま水の溜まったバケツなどに入れておくと水があったまるという仕組みだ。バケツヒーターとも言うらしい。電気ケトルの仕組みはこれの応用だろう。
エレクトリックウォーターのやり方を教えてもらい、バケツを借りたぼくは、バケツいっぱいのお湯を沸かし、それで少しずつ身体を洗いながら同時に新しい水を注ぎ足して新しいお湯を温めるというマルチタスクを必死こいてやり抜いた。

 

俺はイミグレが必要だ

それでも休憩にはなるものだ。浴室から出てベッドにひととき身体を横たえたら、ぼくは早めにチェックアウトしあらためてバスの乗り場を確認してから町を少し歩き、陽がくれていくような時刻にデリー行きのバスに乗った。この町は嫌いじゃない。国境だからか商売の匂いがある。物流の活気がある。カトマンズやポカラはどこか超然としているところがあった。山に守られており、インドとは違うのだという感じがあった。マヘンドラナガルには神秘がなく、代わりにいい意味での俗っぽさがある。
バスが走り出すとすぐに国境だった。どうやら乗客に外国人はぼくひとりだけだった。他は全員がネパール人かインド人だ。ネパール人とインド人はお互いの国をフリーパスで行き来できる。これは少しやばいかなと思った。なにがやばいのか。イミグレでパスポートチェックをしないかもしれないとしたらやばいのだ。不法入国になる。
ぼくは地図アプリを起動し、バスがまだネパール国内を走っていることを確認し続けた、そして国境に近い場所で一時停止する。止まってくれたか。念のため、乗務員の青年が通路を歩いてきたときにぼくは彼に向けて自分のパスポートを振って「俺はイミグレが必要だ」ということをアピールした。男性は頷いた。しかしバスはそのまま走り出した。
地図アプリ上ではインドに入国してしまった。洒落にならない展開がついにきたかもしれない。そう思っていると、バスが再度止まり、ぼくのところに乗務員が来た。男性は慌てており、ぼくを連れてバスを降りた。ネパール側のイミグレはやはり通り過ぎてしまっており、急遽ぼくはひとりでトゥクトゥクで引き返し、出国審査をすることになった。言わんこっちゃない。イミグレに戻るとそれは工務店の事務所のような大きさで、しかも閉まっている。ぼくは後ろで待っているトゥクトゥクの男に「閉まっている!」と言った。言ったところでどうにもならない。だが裏口のようなところが開いており、なんとかぼくはネパールを出国することができた。その出国審査もまどろっこしく、ぼくはトゥクトゥクの男がもう帰ってしまった可能性を何度も考えたし、バスがぼくを置いてデリーに行ってしまった可能性はかなり高いと考えた。
だが、トゥクトゥクの男は待っていた。トゥクトゥクの男はぼくを今度はインドのイミグレへと送った。その間に、ぼくがバスを降りた地点を通り過ぎたがそこにバスはなかった。さよならネパール。インドのイミグレで好意的な入国審査を終えると、乗務員の男が待っていた。バスはまだぼくを待っているらしい。だがここではない、もっと向こうだ。男はぼくを急かし、ぼくたち二人はバスまで夜の国境をダッシュした。

(たいchillout)

トゥトゥク代として100インディアルピーを出費した。もしこれがトゥクトゥクの男とバスが仕組んだ罠だったとしたらぼくは驚く。なぜなら100ルピーはせいぜい160円だからだ。

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