【ネパール/ポカラ】チトワンレディース

街の路線バスにて

バルディヤ行きのチケットを今度こそ買うために、長距離バスステーションにもう一度出向いた。昨日は徒歩で行ったところをこの日は街の路線バスで行くことにした。一つの街に滞在できる時間は限られているので、同じ場所に行く必要が生じた際は別の交通手段を使ってなるべくバリエーションをつけるように心がけていたのだ。
ホステルの前から乗り込み、しばらくして隣の席に女性が座った。「ここ、いいかしら?」。そんなことをネパール語でぼくに言った。ぼくは目的のバスステーションが近づいたところで財布を取り出し、集金係の男にいくら払えばいいのか訊ねた。「ハウマッチ?」。25ネパールルピーとのことだが、ぼくはどの紙幣とどの紙幣を組み合わせてそれを払えばいいのか瞬時に判断がつかず、もたもたしていると隣の女性がネパール語で助けてくれた。「これとこれで25ルピーよ」。そう言って紙幣を選び、集金係の男に渡してくれた。
それをきっかけにその女性と、女性と一緒にバスに入って来た三人の女性と、集金係の男の間でなんやかんやと話が盛り上がり、どうやらそれがぼくについての話であるようだった。ぼくも合わせてニコニコしていたがバスステーションに到着したので心を込めたお礼を述べて別れた。だが、驚いたことに四人の女性はぼくの後を追ってぼくと一緒に降りて来た。「チケット買うの手伝ってあげる」。先ほど隣に座っていた女性が身振り手振りを交えてそう言った。バルディヤの行きのチケットを今これから買うのだということをぼくは彼女たちに話していたのだ。
四人のおかげでチケットはスムーズに購入でき、ここでさようならだと思っていると、四人はぼくにこう言った。「泊まるところはあるの?」。ぼくは答えた。「あるよ。レイクサイドに泊まっている」
ぼくの英語が伝わったのかは分からなかった。だが、いずれにせよ彼女たちはこう言ったのだ。
「うちらのホテルにこない?」
どうやら四人ともネパール人でありながらも他の土地からきた旅行者らしい。ぼくは耳を疑った。出会ってからせいぜい二十分かそこらだ。このときぼくは二つのベクトルへ思考が働いた。一つはこれがなにかの危険な事態であるという推測。詐欺? ぼったくり? 美人局? いずれにせよこの急速な距離の詰め方は、旅のセオリーからするならまず疑う余地なく警戒すべきものだった。もう一つは真逆である。つまりぼくに対して仮に彼女たちが好感を持ち、いっときの交流を深めたいと考えたとしても、男に対していきなり「ホテルにこない?」はさすがに女性として無防備すぎるのではないだろうか、という驚きだ。

 

狭いホテルの四人部屋にて

ぼくはホテルに行った。四人の女性は終始無邪気であり、嘘の気配はないと直感で判断したところもあるし、仮に直感に誤りがあり、四人束になって襲いかかってきても力で勝てると思った。出会った場所とタイミングもある。ポカラは小さい街であるためほぼ全ての外国人が徒歩とタクシーを移動手段とする。トレッキングツアーに参加する場合はホステルが手配したバンなどを利用するが、いずれにせよ街の路線バスでせこせこと移動するやつなんて少数派だ。そんなところでカモを探すのは合理的じゃない。
ぼくの直感は正しかった。ぼくは彼女たちが泊まっている狭い四人部屋に招待され、そこでパイナップルジュースをプレゼントされた。ぼくはベッドの一つに腰掛け、四人はそんなぼくを囲み、拙い英語で一生懸命困惑混じりにコミュニケーションをとった。簡単なネパール語を教えてもらい、FaceBookのアカウントを交換して、日本に来たら連絡してと言った。お決まりのやりとり以上に深い会話をする英語力は彼女たちにはない。四人は家族だった。長女のサールー、次女のマニーシャ、三女のプラティマ、そしてお母さんのチャビカラ。言われてみればお母さんのチャビカラだけ圧倒的におばちゃん風情でずんぐりとしており、穏やかな落ち着きと微笑むだけでこちらが安心する包容力があった。バスでぼくの隣に座っていたのはサールーだ。サールーはもっともぼくのことを気に入っている様子だったがどうやらバツイチらしい。よく見るとそれほど若くもなさそうだ。三十代後半だろうか。マニーシャとプラティマは若く、そして美しかった。
四人はチトワンから来ていた。チトワンも、ポカラと同等かそれ以上のネパール有数の自然の魅力をたたえた観光地だ。どうしてチトワンにこないんだと言われたが、それを言われても困ってしまう。ぼくは西へ西へと進んでいるのだ。だからというわけではないが、次ネパールに来たらチトワンに行くとぼくは言った。「またネパールにくるの?」と言われた。「来る」とぼくは言った。「いつ?」「いつかは分からない。でも来る」。本心だ。ネパールに限ったことではなく、ぼくには「この国はもういいや」と思える国は一つも無かった。どの国でもやり残したことがあった。行きそびれた街があった。
ぼくは四人がぼくを持て余す前に席を立って、帰るよ、と言った。チャビカラ以外の三人が見送りに来てくれた。ぼくは自分の力で帰ることができた。しかし三人はぼくのためにバスを探し、タクシーを呼び止め、値段を交渉し、それなのにぼくは「その値段では乗れない」と言った。十分の一の値段でバスに乗れることを知っていた。豊かな国から来て、世界中を巡る予算を持った人間がこんなにケチだということを、三人は、もしかしたら訝しんだかもしれない。だがぼくは意地でもバスで帰ることを主張し、無理してぼくに付き合わなくても大丈夫だよ、と三人に言った。やがてバスが来た。日は暮れかかっており、舞い上がっている埃も目立たなくなった時間帯。このバスが湖に向かうことをプラティマが乗務員に確認し、ぼくは乗り込んだ。

 

旅の最中のバレンタインデーにて

この日は2019年の2月14日、バレンタインデーだった。ネパールにもバレンタインデーはあるらしい。ホテルでもらったパイナップルジュースは即席のバレンタインデーのプレゼントだったのだ。バスの中は外に比べて眩しいほどであり、ネパールの現代ポップスが流れ、かび臭かった。車窓に目を向けたらサールーとプラティマが外灯のあかりを受けておぼろげに夜の中から浮かび上がり、こちらを見た。ぼくは手を振った。バレンタインデーだろうがクリスマスだろうが誕生日だろうが、この一年、ぼくはひとりぼっちで過ごすつもりで日本を出た。それなのに……こんなにモテたバレンタインデーははじめてかもしれない。一体どういう了見だろう。これだから旅の神様というやつは信用ならない。なにをしでかすかわからないのだ。

(たいchillout)

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