【エジプト/ダハブ】西の山に陽が沈み

長い眠り

ダハブには三泊する。イスラエルとその国境には未知数なところが多く、出たとこ勝負になりそうだ。あちらは物価も違ってくるだろう。ぼくはダハブという海の町を、ヨーロッパに入る前に安くだらだらと休息できる最後の地点だと捉えていた。
小さなホテルで個室を借りた。部屋は一階にあり、目の前に中庭のプールがあった。係の青年がその水面に網をくぐらせ、入り込んだごみや虫を静かに取り除いていた。
朝だったがそのままチェックインさせてもらい、海の方を向いた裏口から、おもちゃのような町に出る。おもちゃのように見えるのは、背が低くカラフルな建物たちである。ダハブは近年の観光開発によって栄えた土地であるため、カフェや食堂、土産物屋などが最初から観光客向けに作られており、全体がテーマパークのようだった。ぼくはそのうちのひとつに入って、オーシャンビューのテラス席に座ってストロベリージュースを飲む。町のメインストリートは海に沿って伸びており、両サイドに店が立ち並ぶ。海の側にあるすべてのレストランが、この店と同じく海にほとんどせり出すようにしてテラス席を設けていた。
ホテルに戻って、昼寝をした。
再び外に出て、同じ通り沿いの中華料理屋でベジタブルヌードルを食べる。これは昼食。その後、なるべく地元の人が利用してそうな商店を選んで、「おすすめを教えてほしい」と言って店員おすすめの歯磨き粉を買った。そうすると、また眠気がやってきた。逆らういわれもないから、もう一度ホテルに帰ってベッドに横になった。それが昼の三時だった。

目覚めたのは、なんと翌朝だった。十五時間近く眠った計算だ。手洗いにも立たなかったし、ぼんやりとスマホの画面を確認するようなこともなかった。夜行バス明けだったので疲れはあっただろう。それにしても、こんなに眠るものだろうか。個室でよかった。それだけ眠る必要があった身体に、ふさわしい環境を用意できた。という意味でもそうだし、ドミトリーだったら死んでいると誤解されて誰かが騒ぎ出したかもしれない。さすがにこれだけ寝ると、夜行バスの疲れだけでなく、身体の芯で大きなリセットが行われて、どこか長い旅の疲れまでがとれたような感覚があった。

 

西の山に陽が沈み

朝食をすませて、少し本を読む。それから昨日と同じメインストリートに出ていき、海辺の席を選んでコーヒーを飲んだ。
エジプトではずっと晴れている。風は強めで、海は気持ちよさそうに波をつくっている。紅海は、鉱物のようなリッチな色合いに見飽きない。海面の皺も複雑な表情をしている。高級ホテルの朝食ビュッフェのカリカリベーコンのような、説得力のある皺だ。
イスラエルとの国境に向かうバスが出るという町外れ(というか町の外)のバスステーションを確認しておくために、そこまで歩く。再び中心部まで戻ってくると、朝とは別のカフェで、アメリカーノとチョコレートケーキを注文する。ツーリスティックなこの街では、西洋的な食生活が約束される。刺激はないが、考えることを減らして休むには最適だ。これからは大変だろう、これまでも大変だった、と考えることでぼくは自分を甘やかしたように思う。

髪が伸びていたので、床屋に入る。担当の青年は英語をほとんど話さないが、コミュニケーションが成立しないことをそれほど問題視しない様子で淡々とぼくの髪を仕上げていった。旅の最中に髪を切るのはベトナムハノイ以来、二回目だった。かなり短くなった。スタイリングで強力なオイルを塗られたようで、それから数日間はシャワーを浴びても髪がべとついていた(ダハブではシャワー水に海水が混じっているという噂もあるのでそれもべとつきに輪をかけているかもしれない)。
ベリーショートにしたベジータのような髪型をして、ぼくは海沿いを歩いた。
ウェットスーツ姿で、海からあがってくる西洋人たち。ダイビングのツアーから戻ってきたのだろう。既視感のある匂いが鼻につき、しばらく考えてそれが日焼け止めの匂いだとわかった。日本の夏でも、海で同じ匂いを嗅いだ記憶がある。日焼け止めの匂いは海の匂いである。
この日、山の向こうに夕陽が沈んだ。ダハブの西にはシナイ半島の内陸部が広がり、その中心に英語名ではカテリーナ山と呼ばれる、砂漠のど真ん中で焼けつく山がある。キリスト教では聖地の一つであるようだ。それにしても、夕陽というものは見飽きない。日中にその街をどれだけ探検し尽くしても、夕暮れの時間が迫ってくるとぼくは追われるような気分になる。そして早足になってさらに街をむさぼるように練り歩く。
同じ街に何日か滞在している場合はそれがより顕著で、夕方の表情になった街を歩き回るためにあえて日中をどこかで座って過ごすようなことさえしていた。サンセットツアーのようなものには参加したことはない。高いところにのぼってわざわざ日没を待つようなこともしない。夕陽そのものというよりも、夕空があればよく、それによって丸ごと背景セットを入れ替えたように見違えてしまう街を見過ごしたくないのかもしれない。しかし、ダハブの夕陽は美しかった。西の山に陽が沈み、そして東の水平線から大きな月が現れる。二日目の夜、それはちょうど満月だった。

(たいchillout)