【イスラエル/エルサレム】王国の城下町からパレスチナへ

1973とユダヤ人の美しさ

街路樹の木は枯れている。だいたい鹿児島県と同じ北緯31度に位置するエルサレム。4月の末はまだまだ肌寒い。昨晩の雨はあがって、青く硬質な空が澄み渡ったが、遠方では雲の流れは早い。街はまだ少し濡れていた。ウィンドブレーカーを着て適当に歩き、客がよく入っているベーカリーを見つけ、そこで朝食とする。ホットアメリカーノとポテトパイで24シェケル。プラスチックのスプーンが添えられている。窓辺の席に座り、トラムの路線が敷かれている通りを眺めながら食事をした。行き交う人々の数は、一国の中核都市の心臓部としては、それほど多くはない。お手洗いを使わせてほしいと店員に頼むと、トイレの入室パスワード「1973」を教えられる。創業の年だろうか。

噂は耳にしていたし、他の土地でこの国の出身者と出会ったこともあったので予感はしていたのだが、イスラエルはめっぽう美人が多い。この国についてなにも知らない初日の朝からぼくはそれを確信した。アイドル的な「可愛い」とも違うし、ハリウッドやセレブの世界の「綺麗」や「セクシー」とも違う。さばけていてノリがよければ歓迎される日本の「垢抜け」なんて問題にならない。じゃあ、なにが違うのか。それを言葉にするのは難しい。ユダヤ人というのは民族的なカテゴリではないと聞く。見た目は白人だ。ラテンやゲルマンよりもスラブ系に近いかもしれない。鼻の先は少し丸い。しかし、そうした諸要素は決定的な要因にはなりえない。精神的なバランスがものすごくいい人間の顔。野心やコンプレックス、集団、自意識といったものから自由であり、また、自由であるための葛藤なども特に必要なく大人になり、十代のエネルギーを他者への思いやりや、芸術の勉強に向けて生きてきたような顔。エルサレムにはそんな美しさを持った女性が多くいた。

 

王国の城下町からパレスチナ

すぐ近くのTHE COFFEE BEAN & TEA LEAFでこの朝二杯目のコーヒーであるエスプレッソを飲み、それから、旧市街へと歩いて出かけた。入り組んだ城壁で迷路のようになった旧市街は、有名な「嘆きの壁」などの聖地(モスク・教会)をその中に抱え、同時にまた活発な、飲食と交易の商業地区でもある。山のように観光客が訪れていたが、ツーリスティックと呼ぶには素敵すぎる・細かすぎる旧市街を歩くのは楽しかった。RPGで言えば、大陸で一番賑わっている王国の大きな城下町のような雰囲気である。その中のアラブ人のやっている店の一つで、ケバブに似たものを昼食とし、午後の移動に向けてそこを後にした。

屋根裏のホテルは一泊でチェックアウトし、ぼくはパレスチナ自治区のラマッラという街に移動した。朝から宿泊アプリをあたっていたが、直近のエルサレムは宿の空室が少なく、安価な部屋となると皆無だった。最終的にはテルアビブから出国することになるため、その前にエルサレムに戻ってくることができる。エルサレム観光の続きはそれからでも間に合うだろう。初日からパレスチナ自治区を見に行くことを選んだのは、そうした事情からだった。
天候は急変した。雨と雹が降ってくる中でぼくはラマッラ行きのバスに乗った。エルサレムからラマッラまでの道のりは街続きで、検問のような場所もない。しかし、ラマッラ側のバスターミナルに到着すると周りにユダヤ人はまるでおらず、ぼくは、これまでに通り過ぎてきた国々のどこかに再び戻ってきてしまったかのような感触を持った。ムスリムの世界だった。

2019年4月 たいchillout