【キルギス/ビシュケク】街バスいろは

街バスいろは

翌午前は早速、ワゴン車バスにトライしようと街に出た。最寄りのバス停から、昨日歩いた街の中心まで乗ってみよう。同じようにしてバスを待っているおじさんに運賃を訊ねると10ソムとのこと。10ソム硬貨を握りしめて待った。ひとつのバス停にたくさんのワゴン車が止まる。目当てのワゴン車がきたら手を挙げて自ら近寄っていく必要があるみたいだった。ぼくのワゴン車がきた。遠くに見えた段階からそちらに歩き出し、もっともワゴン車が止まりやすそうなところで手を横に伸ばした。ワゴン車は止まった。右車線、左ハンドルだ。ぼくは助手席にあたる位置にある扉を自分で開けて、身をかがめてワゴン車に乗り込んだ。

ドアは自分でしめる必要があった。試しに運転手に硬貨を差し出した。運転手は運転しながらそれを受け取り、備え付けの硬貨ケースにセットした。硬貨ケースは10ソム硬貨に限らず、それぞれの硬貨専用のものが揃っていた。これにより、お釣り硬貨のピックアップなども「運転しながら」効率的にできるということだろう。

運転席周辺以外は遮光窓になっており、薄暗い車内にたくさんの人がいた。12人くらいだろうか。座席は空いていなかったので立っていようと思った。しかしそれができなかった。なぜなら天井が低いのだ。同じように立っている人もいた。彼らも身をかがめていた。ぼくも最初はそれに倣ったが、途中から立ち膝の姿勢で座ることにした。小学生が運動会の徒競走の順番を待っているときのような、すぐ立てる体勢だ。その姿勢のまま手すりにつかまった。車内のいたるところに手すりがあった。

座った理由は他にもあった。窓の位置が低く、立っていると外が全く見えないのだ。おまけに正面の窓以外はモノクロームである。電光掲示板もアナウンスもなかった。降りる乗客もドアを自分で開け閉めしていた。要するにこのバスでは、目的地に到着してるかどうかを前方の窓から目視で確認し、目的地のバス停に近づくにつれ、「降りそうな気配」を運転手にちらつかせ、バス停に止まってくれたらすかさず自分でドアを開けて降りることが要求されていた。

ぼくは昨日歩いた記憶を頼りに目的地との距離を頭に描きつつ、ひとり片膝を立てて徒競走前の小学生のように座り、特等席から運転手と同じ視界を楽しんだ。なるほど、なかなか面白い。乗り方をマスターして余裕が出たので、結局目的のバス停はあえて見逃し、まだ見ぬ次のバス停で降りた。

そこはカジュアルな若者のエリアだった。ストリートフードが並んでいた。露店に囲まれるようにしてあるこじんまりとしたフードコートで、立ちながらケバブ肉が乗ったガーリックライスを食べた。

若者街だが規模は小さく雰囲気は牧歌的だ。若者たちは「街の中心に遊びに来ること」を楽しんでいた。キルギスの男性同士は仲が良かった。出会ったら必ず握手をするのだ。見た感じ、その握手はNice to meet youの握手ではない。彼らは毎日会う友だちや仕事仲間でも握手をしている。彼らにとっての握手はそういうものに見えた。キルギスの女性は髪が綺麗だった。

 

ビシュケク鉄道駅

Adrian Coffeeでアメリカーノを二杯立て続けに飲みながらカフェのWiFiをフル活用してYoutubeで音楽を聴いた。カフェを出たら気になる街角を直感で曲がることを繰り返し、来た時と違う路線のバスで宿まで帰った。

クロイがいた。朝の時点で、今日はウズベキスタン大使館に行くと言っていた。「ビザおりた?」とぼくは聞いた。おりたようだった。明日、キルギス南部の街「オシ」に向かい、そこからウズベキスタンに向かうらしい。クロイの最終目的地はトルコで、イスタンブールからフランスに飛ぶチケットをすでに持っていた。それまであと一ヶ月あった。クロイの旅は中央アジアに的を絞った中期旅行であると言えた。simカードの話をするとクロイは、もう使わないから、と言ってその場でぼくにくれた。

再び街に出た。クロイはオシを経由するバス旅を選んだが、ビシュケクからタシュケントに直行する鉄道もあると聞いていたので、鉄道駅に行ってみようと思った。ネットで調べれば早いだろうが、これ以前もこれ以後も、ぼくは直接鉄道駅の駅員に「真実」を確認しに行くのが好きだった。駅までは最短経路を走るバスもあれば、徒歩でも行けそうだ。しかし少し遊びたいので、あえて遠回りするバスに乗ってみることにした。バスのルートはアルマトイと同じく2GISという地図アプリで確認できた。バス停までリンゴをかじりながら歩いた。実はアルマトイにいたときからぼくは大のリンゴ党になっていた。アルマトイの「アルマ」はリンゴを意味しており、事実、香港ボーイズたちと出会ったホステルの庭にはリンゴの木があった。インディラとナルギスがリンゴをキャッチするための布を広げ、椅子の上に立ったぼくが棒で枝を叩き、三人でリンゴ取りをしたのは良い思い出だ。

首都唯一の鉄道駅にもかかわらず、夕方の七時頃の時点でビシュケク駅は閑散としていた。かろうじて電気がついている窓口にも人はいない。それでも警備員や一組だけいた客とコミュニケーションをとっているうちにどこからか現れた駅員から情報を引き出せた。タシュケント行きの鉄道は毎週土曜の朝に一本だけ。到着は月曜。チケットは3500ソム。スマホで今日が金曜であることを確認して訊ねた。

「てことは…明日出発?」

「イエス

「チケットをいま買う必要はあるか?」

「ない。明日で良い」

「オッケー。明日くる」

そう言って駅を後にするころには、ぼくは一週間後の土曜日の鉄道に乗る方向で考えをまとめていた。丁度良い。あと一週間ビシュケクでなにをしようか。

 

物価というやつを知らない

鉄道駅からゲストハウスまで歩いて帰ることにした。お腹が空いていた。いくつかのレストランに入ってメニューを見ては「オーケーサンキュー」と言って出てくるのを繰り返した。高い。高い。高い。このあたりにはオシャレなレストランが多かった。しかし何度目かで気がついた。ぼくが高いと言って諦めてきたレストランのメニューは皆日本円にして500円程度だった。ウランバートルで会った世界一周経験者のMくんに言われた言葉を思い出した。モンゴルの物価に感動しているぼくに彼は言ったのだ。「物価というやつを知らないな」。なるほど。ぼくの物価感覚はだんだんと変わりつつあるのかもしれない。「500円のレストランは高すぎて入れない」「10ドルの宿にはクオリティを期待できる」などと。とはいえ結局この日は、しっかり肉を食べたい思いもあり、チキンが売りのコリアンレストランに入った。見切ってきた店とそれほど価格は変わらない上にしっかりビールを飲んでしまったのだった。

(たいchillout)

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ぼくのベッドに居座る猫