【キルギス/ビシュケク】中央アジア歴史研究家

ハングル語の本

Are you Korean?
Yes. You?
Japan.
Oh, Japan...
それからたっぷり3秒は間があったと思う。ぼくは挨拶のつもりで右手を上げて韓国語で言った。
「アニョハセヨ」
2秒の間をおいてソンジェは日本語で言った。
「コンニチハ」

クロイを見送った後ぼくはゲストハウスを変えた。理由は、気分だ。宿を変えると出会う人が変わる。何か起こる。それが分かっていた。上の会話は二つ目のホステルにチェックインした午後、二階のフリースペースにいた韓国人男性のソンジェに声をかけた瞬間だ。一目見て、良い男だった。堤真一を細面にした感じだ。視線の動き方は日本人のようだった。さり気なく観察すると、パソコンを広げていた彼の傍らに積まれた本の表紙にハングル語が覗いていた。それが日本語だったら、ぼくは躊躇したと思う。しかしハングル語を見た瞬間、なぜか安心したのか、考えるより先に声をかけていた。その日はそれきりだった。ぼくはまた街に出て、オーガニック食品の店で、乾燥させたオレンジにベルギーチョコがかかったお菓子を買って、食べながら歩いたりして過ごした。

 

今後の旅のルート

翌朝、ホステルに追加料金を払って朝食をオーダーした。朝食をオーダーしていたのはぼくだけだったが、ソンジェもキッチンにやってきた。ソンジェは中央アジアの歴史の研究をしており、ここにもう数週間いると言っていた。「大学教授か?」と訊くと「違う」と言う。しかし「ときどきソウルの大学で教えている」と言った。次の目的地がウズベキスタンだと話すと、クロイが辿ったのと同じ道である、オシを経由するルートをおすすめされた。ぼくが29歳で旅をしていることを話すと、「30歳は旅に最適な年齢だ」とソンジェは言った。「若すぎない、しかしまだ十分に若い」。ソンジェはそう言った。ソンジェに年齢を訊ねると41歳だと言う。これには驚いた。せいぜい35歳にしか見えなかった。

キッチンには、キルギスとその隣接諸国が描かれた大きな地図が貼られていた。それを指差しながらぼくは、ソンジェにいろいろなことを訊ねた。中央アジア歴史研究家の名は伊達ではなく、ソンジェはぼくが興味を持っている国と、その国境越えルートについて正確に把握していた。

ぼくは旅のルートを考えあぐねていた。モンゴル、新疆ウイグル自治区を経て中央アジアに入ったは良いが、このまま西進を続けヨーロッパに行くつもりはなかった。なぜならそのルートをとると東南アジアとインドを完全にスルーしてしまうことになるからだ。それはいただけなかった。東南アジアとインドはぼくたち旅人の「聖地」だ。聖地の巡礼をすませずしてヨーロッパの華やぎを見る資格はない、と考えていた。では、どう行くか。

いろいろ考えた末の結論は、中国の新疆ウイグル自治区に再入場することだった。新疆の西端にはカシュガルという街があり、カシュガルキルギスが陸路が繋がっていることは何度か人伝に聞いていた(このルートがいわゆる正統派のシルクロードだ)。加えて、英語でググったところによれば、カシュガルタジキスタンとも繋がっているようだった。ぼくは情報の少ない後者のルートに惹かれた。
プランはこうだ。キルギスの次はウズベキスタンに「西進」する。ウズベキスタンからはタジキスタンに「南下」しつつ、タジキスタン国内を「東進」してカシュガルに抜ける。反時計回りのイメージだ。カシュガルからは中国を鉄道で横断しつつ陸路で南東の方角を目指す。その際、西安成都、広州、などの都市を経由し、一度香港で体制を整えた後、ベトナムを皮切りに東南アジアに勝負をかける…。懸念点はいくつかあった。ひとつはタジキスタンのビザ。これはネットでとれるが8000円くらいした。もう一つは中国のビザ。これまではノービザで切り抜けたが、横断するとなるとノービザ滞在可能期間の15日をオーバーするだろう。中央アジア諸国の中国大使館でビザを取るか、ノービザ入国の後、中国国内で取得するしかない。いずれにせよビザ申請から取得までリードタイムがあるため、「その日の気分」ではなく最低限の計画に従って動く必要があった。最後の懸念点は、キルギスウズベキスタンタジキスタンの都市間の移動手段と訪問地の決定だった。これらはすべてひとりで思い描いていたプランと懸念点だったが、ソンジェと話すことで具体化が進み、実現可能性は十分にあることがわかってきた。

 

中国の古い本

ソンジェにとっての中央アジアの定義を訊ねた。カザフスタンキルギスウズベキスタンタジキスタントルクメニスタン、そこに中国の新疆ウイグル自治区を含めるようだった。ソンジェは西安への留学経験があり中国語を話した。日本語も多少話しているので理由を訊ねると、「中国の歴史を学ぶためには日本語の文献を読む必要がある」と言った。
「中国語の文献ではだめなのか」
「中国の歴史についての本は、中国よりも日本のほうが充実している」
そんなことがあるのかとぼくが言葉を失っているとソンジェは続けた。
「中国の古い本は燃やされた。文化大革命のときに」
なるほど。確かにそんなこともあった気がする。とはいえ、そういった書物を焼き払う行為は一種の見せしめのようなものだとぼくは思っていた。現実はそうではなく、研究に困る程に、徹底して燃やされていたようだった。
「ところで」
ソンジェはグラスをクイッとやる動作をして言った。
「ビールを飲みに行かないか」
ぼくは聞いた。
「ビール好きなの?」
ソンジェははにかんで答えた。
「好きだ」
ぼくがビール好きなのはインスタグラムの写真を見せたときにきっちり知らしめていた。
「行こう。いついく?」
「明日の昼か夜か」
ぼくたちは連絡先を交換した。

(たいchillout)

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