【マレーシア/クアラ・ルンプール】怪しく懐かしい東南アジアへ

KLへ

東南アジア屈指のハブ空港、クアラ・ルンプール国際空港に到着した。飛行機を降り立った瞬間から全身の肌に生暖かい湿気がじわりと張り付いた。これだ。怪しく懐かしい東南アジア。ぼくが待ち望んでいたもの。長い長いイミグレーションの待ち時間に本を読み終え、機内から見た景色を思い出していた。

タシュケントを発ってしばらく砂漠が続き、だんだんと山岳地帯に差し掛かっていた。飛んでいたのはタジキスタン、あるいはパキスタン、新疆、チベット。それらの中間地点だった。ソンジェが「他の惑星のよう」と絶賛した、カシュガルからパキスタンへの越境ルートをぼくは空から探した。

ふいに山岳地帯のサイズが拡大した。真っ白い山々が雲を突き破っている。山が地球規模のダイスのように無造作に転がり、ときに緩やかに、ときに緊密に繋がって、山脈がどこまでも伸びている。白く輝く山頂は意外と近い。目を凝らせば勇敢な登山家が見えるような気がした。ここは、ヒマラヤ山脈だろうか。

次にインドの上空を通過した。主に深夜特急で覚えた伝説の街たちの名前が、現在の航行地点とともにモニターに映し出される。それらの街にも、やがてぼくは行くことになるはずだった。

そしてマレー半島が姿を現した。空から見るタイとマレーシアは一面が緑だった。どこまでいっても深い緑だった。そして海があった。砂漠の内陸国を数ヶ月旅してきたぼくには、そのグリーンとブルーのコントラストだけで涙を誘うものがあった。海があること、雨が降ること、温暖であること。それはなんて豊かなことなのだろう。東南アジアとは、なんて豊穣な大地なのだろう。気がつけば、眼下に虹がかかっていた。

ついに、クアラ・ルンプール(KL)が見えてきた。KLの象徴であるツインタワーも見える。大都会だ。無数のハイウェイが渦を巻き、レゴブロックのような高層ビルは大地に軽々と積まれている。クアラ・ルンプールに来たのは二回目だった。はじめては五年前。その時点で二度目の海外一人旅にぼくは、ほとんど直行便があるという理由だけで、マレーシアを選んでいた。なぜだか、その旅の記憶はあまり残っていなかった。ぼくは全くの新鮮な気持ちでクアラ・ルンプール国際空港に降り立った。

 

KLにて

イミグレーションを終えて、空港内のATMで600リンギットを引き出した。10リンギットで市内行きのバスチケットを買い、待ち時間で3リンギットのカレーまんを食べた。上空から見たKLは晴れ渡っていたが、イミグレーションの待ち時間が長かったためにすっかり夜だった。

バス内は冷房が効いていた。中央アジアでは、もう暖房を必要としていた。KLのバスは大きく、席の幅も広い、いわゆる高速バスだ。中央アジアでは長距離バスが存在しなく、ぎゅうぎゅう詰めのシェアタクシーばかりだった。何もかもが違った世界に、ぼくは来ているようだった。しかし、車内灯の暗さのせいか、重たく豪奢なカーテンの装飾のせいか、このバスにはどことなく怪しげな雰囲気があり、それはここがただの洗練された都会ではなく異国であることを、それも東南アジアであることを雄弁に主張していた。大都会の夜景をその車窓に映して、バスはいわばマレーシアの東京駅、「KLセントラル」に到着した。

ホステルの最寄り駅に向かうため、モノレールのホームへとエスカレーターを登った。ホームには、今が夜なのにも関わらず、乗客が列をなしていた。行き先の駅によってモノレールのキップの値段が異なっていた。この街にはセブンイレブンヒルトンがあった。すべて、この数ヶ月見ることのなかった光景だった。

最寄り駅を降りると、ぼくは太い車道沿いの、細い歩道を歩いた。ヘッドライトでぼくを照らした車が近い距離をビュンビュン追い越していく。早朝の便からの、一日がかりの移動だった。

ホステルのインターフォンを押して、上階へと通された。ガソリンスタンドの隣の細長いビルの一角を占める、コンクリート打ちっぱなしの内観を持ったホステルだった。部屋も同じくコンクリート打ちっぱなしで、二つある二段ベッドの格子は細く灰色の金属製だった。シーツは紫、ブランケットは薄かった。ルームメイトが一人。マレーシア国内のボルネオ島からきたスキンヘッドの壮年男性だった。クーラーで汗が引いていく。その前にシャワーを浴びよう。ベッドの下を覗くと、そこにはゴキブリホイホイがあった。
たいchillout(@ネパール)

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