【マレーシア/クアラ・ルンプール】間の抜けた話

間の抜けた話をしよう。ブログに書いていないだけで、旅にはたくさんのヘマがあった。その中でも、とびきりの一品の話をしよう。

クアラ・ルンプールでの三つ目のホステルは、ギターがあるという理由で選抜された。一階がフリースペース兼カフェになっており、ある夕方、ぼくはそのテラスに座って、人通りと車通りをぼーっと見ていた。

そこに現れたのはアラブ風の中年男性だった。いきなり話しかけてきて、中国人かと聞いてくるから、日本人だと答えた。そうかそうかと握手を求めてきた。ドバイから来た、と男性は言った。そうかドバイかとぼくは若干驚いて、リアクションをとった。男性はぼくの隣の椅子に座り、いきなり財布を取り出した。じつはカナダに住んでいるんだと言って、カナダドル紙幣をぼくに見せてきた。気がつくと正面に黒いキャップを被った若い男性が座っている。キャップの男性はどうやら息子らしかった。息子はぼくに笑いかけた。アラブ風の男性はぼくに、日本のお金を見せてくれよ、と言ってきた。

いま思えば、明らかに怪しい。いや、そのときだって十分に怪しいと思っていた。しかし、ぼくはポシェットを開き、そこからいざというときのための日本円と米ドルの入った、小銭入れを取り出した。千円札がなかったので、「これしかないや」と言ってぼくは一万円札を一枚男性に渡した。

いま思えば、不用意極まりない。いや、そのときだってこんなことやっちゃだめだと分かっていた。だが、仮に男性がソレをパクってダッシュしたとしても、ぼくは力ずくで取り返すくらいの自信はあった。それにここはKLの中心、人通りの多い衆人環境だった。

男性はもっと見せてくれよと言う。ぼくは、こっちは米ドルだからと断ると、それも見せてよと言われ、ぼくはなんと手元にあった全部の紙幣を渡してしまった。ただ、全身で警戒し、男性の手元から目は離さなかった。

男性は紙幣を揃えて、ペラペラと数え、ひっくり返しては数え直し、それを何度か繰り返し、ぼくに返した。ぼくはしっかりと受け取った。小銭入れにしまい、小銭入れをポシェットにいれた。男性は自分の泊まっているホテルに来なよと言う。何がしたいのかよくわからなかった。悪い企みの可能性はある。いや、その可能性は高い。依然として危険は去っていなかったが、このときもぼくは、仮に男性に悪意があっても、それを土壇場まで引きつけて回避する自信があった。そのほうが面白いと思った。ぼくは……退屈していたのだと思う。

息子も一緒に歩きはじめてわりとすぐ、男性は立ち止まって言った。「ワイフを呼んでくるからそこのセブンイレブンで待っててよ」。ぼくは言われたとおりセブンイレブンに入った。そして二人は戻ってこなかった。

遅いなあ。そしてはたと気づいて、心臓が大きく鼓動を打った。まさか。ぼくは慌てて外に出て通りの左右を遠くまで見渡した。男性はいない。いつもと変わらぬ小雨のクアラ・ルンプールだった。セブンイレブンに戻り、ポシェットから小銭入れを、小銭入れから紙幣を取り出した。一万円札が二枚。米ドル札がいくつか。あれ? ぼくは……、一体何枚の一万円札を持っていたんだっけ……。

悪い癖だった。ぼくはいつも自分がいくら持っているのか把握していなかった。一万円札を何枚か携えて旅立ったことは覚えていた。そして、それらは要所要所でその国の通貨に両替していた。日本から持ち出した一万円はそれほど多くはない。基本的には国際キャッシュカードを利用し、ATMから現地通貨をそのまま引き出すスタイルで旅をしていたからだ。ぼくはひとっつも覚えていなかった。一万円札を何枚持ち出し、そのうちの何枚を両替し、何枚残っていたのかを。

残っていたのは二万円だったかもしれないし、五万円かも、八万円かもしれなかった。もし最初から二万円だったら一円も取られていないことになる。しかし八万円あったとしたら、六万円も抜かれたことになる。大惨事だ。

ぼくは意気消沈して、ホステルの一階テラスの、まったく同じ椅子に戻ってきた。雨が降って雷が鳴った。確かめるのは無理だった。ぼくをセブンイレブンに置き去りにした以上、男性が何かしらの企みをもってぼくに接してきたことははっきりした。問題は、その企みが成功したから二人は消えたのか、失敗したから消えたのか、わからないことだった。仮に成功したとしたら、それはぼくの紙幣を抜き取った以外になかったが、ぼくはしっかりと男性の手元を凝視していた。実際、紙幣を返却されたとき、ぼくはなんの異常も感じなかった。とはいえ、最初の枚数を把握していなかった以上、その厚みに変化があったとしても気がつくことは難しかっただろう。男性が、日本円と米ドルを重ねて数え、重ねてぼくに返したのは、厚みに変化があったときに気づかれにくくするためのカムフラージュだと思えた。だがしかし、何度も言うように、ぼくは男性の手元に異変が無いか、一生懸命に見ていた。あとから振り返って、一瞬目を逸らしたかもしれないと思えるのが、男性が息子を紹介したときだ。しかしそれも本当に一瞬だったし、その隙に先方がミッションを遂げていたとしたら、それはもう神業だとしか思えなかった。手品師の所業だ。手品のように札束を消せることがどうしても信じがたい一方で、札束の厚さをわかりにくくしたり、絶妙なタイミングで目を逸らさせたり、セブンイレブンを使って効率的に雲隠れしたりなど、手口の隅々までがいやに洗練されていたことを思い出すと楽観視するのは無理な話だった。思いつきの遊び半分ではなく、計画的常習犯なのだ。おそらくこれから数日はもうこのエリアには現れないだろう。それらを鑑みると、ぼくだけが例外的に魔の手を回避できたと考えるのは、あまり現実的ではなかった。

まったく、間の抜けた話だった。もしぼくが海外旅行初心者だったら、こんな失敗はしないだろう。いきなり話しかけくる外国人にほいほいお金を渡すなんてばかなこと。基本中の基本だ。それがいつの間にかできなくなっていた。四ヶ月もの間、トラブルなく旅を続けたことで、気が緩んでいた。緩めるところと締めるところを、自分は上手に見極めてきたつもりだった。それが甘かったことで綻んでいた一点を、この一件はざくりと貫通してみせた。

丁度この時期、二つのニュースがあった。ひとつはエジプトを観光中だった英国人男性が急死し、その遺体から臓器が無くなっていたというニュース。もうひとつは、シリアで三年以上拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さんが解放され、帰国したというニュースだ。ぼくは自分を過信していた以上に、悪意のある人の本気の悪意と本気の技術を過小に評価していた。ぼくはここマレーシアで、それを知れて良かったと思う。大きなものを失う前に、小さな代償でそれを知れて良かったと思う。

はたしていったいいくら抜かれたのだろう。一番間の抜けた話なのは、自分が二万円持っていたのか八万円持っていたのかすら定かでないということだ。仮にアイツがぼくの札束にアイツの一万円札をこっそり忍び込ませてくれていたとしても、ぼくは気が付かなかっただろう。

(たいchillout@インド)

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