【ベトナム/ホーチミン・シティ】一時のバスと四時のバス

オレンジの香り

狭い屋上で朝食をすませて街にでた。晴れている。荷造りは後でいい。今日は移動日なのだ。
ドラッグストアで虫除けスプレーを買った。日焼けした両腕にそれをかけると辺りにオレンジの香りが漂った。
オープンカフェベトナム式コーヒーを飲んでいると、ロッタリー (宝くじ) を売る人が実に平然と店内を巡回しはじめた。ベトナムに限らず、東南アジアにはロッタリーの歩き売りがたくさんいた。それを買っている人をぼくはそれまで見たことがなかったが、この日はじめて、ひとりの客がロッタリーを買う一部始終を見届けることができた。

続けて、片足のない中年男性が杖をついてやってきた。男性は店員にひと声かけて、店内の椅子に座った。
なにかを注文したのかと思いきや、ドリンクが出される気配はない。やがて、男性はまた店員にひと声かけて、なにも飲まずに店から出ていった。一休みしていくこと、ただそれだけが男性の目的であるようだった。
ぼくも一休みしたので、街の中心まで歩き、インターネットで調べをつけていた店で両替をした。なるほど、そこは日本語で検索した「ホーチミンのレートの良い両替所」だったので、その店にはやはり日本人の旅行者が当然のごとくいた。ぼくは彼らには見向きもせず、そそくさとベトナム・ドンアメリカ・ドルに両替して店を出た。

次の目的地であるカンボジアの公式通貨は「リエル」だが、日常的にはアメリカ・ドルが流通している。そう、カンボジアだ。ぼくは今日の長距離バスで、カンボジアの首都であるプノンペンへと向かう。クリスマスは終わり、年の瀬があと数日と近づいていた。
虫除けスプレーのオレンジの香り。鼻が慣れてしまうまでこの香りを楽しむことができそうだった。

 

手応えの無さ

ここベトナムでは、長距離バスのチケットを買うと、宿泊している小さなホステルまで「迎え」がきてくれる。もちろん大型の長距離バスそのものが迎えにくるわけではない。トゥクトゥクやバイタク、あるいは小さなバンが一斉に乗客それぞれのホステルまで出向き、乗客たちを拾って長距離バスターミナルへと連れて行ってくれるのだ。
無論、これは気前の良いバス会社がサービスでやっているのではない。運転手たちの労働対価はしっかりとチケット代金に含まれているのである。

ベトナムは極めてバックパッカー向けのインフラが整っている国だった。
バスの例に顕著であるように、バックパッカーに長く愛されるこの国では、バックパッカーを受け入れるビジネスがとても成熟しているのだ。
行き届いたサービスが便利かつ形式化されているので、正直、「手応えがない」と感じることもあった。ぼくは冒険がしたくて旅にでているからだ。
しかし、本当のところぼくらは、ベトナムの (あるいは東南アジア、もしくはインド、そして世界中の「かつて発展途上国だった」国の……) 「手応え」が以前よりなくなってきていることを嘆くべきでない。言うまでもなくその現実は、世界が豊かになり、貧富の均一化が進んでいるなによりの証拠でもあるからだ。
「手応えのある」国と先進国の境目は確実に溶け始めている。長い旅でその事実をこの目に焼き付けてきたことは、多くのバックパッカーが無意識に求める「貧困を目に焼き付ける」ことよりも、むしろ大切で意義あることだったのではないか。帰国したいま、ぼくはそう考えている。

 

一時のバス

その約束の午後一時を、ぼくはホステル一階のロビーで待っていた。しかし、時間が近づいても迎えが来ない。ぼくは立ち上がってレセプションへと歩み寄った。
カンボジアに行くバスをここで予約した。一時に迎えが来ると聞いているんだが」
スタッフの二人は顔を見合わせた。困惑顔だった。男性が言った。
「バスが出るのが午後一時だ。ホステルへの迎えはその十五分前にくることになっている」
認識違いがあったようだ。つまりぼくは十五分前にここにいなければならなかったのだ……!
スタッフは、ぼくがバカな誤解をしていたと思っているようだった。しかしそうではない。予約したときのスタッフに対してぼくは「一時にここにいればいいんだな?」と確認をとっていた。彼女は (女性スタッフだった) YES と言った。あるいはぼくの英語がまずかったのかもしれない。今更悔やんでもどうしようもないことだったが、とりあえず (ぼくの記憶力とリスニング、スピーキング力は正しく機能しているという前提に立って) ぼくに非がないことを伝えると、誠実なスタッフは責任を感じて (総じて良いホステルだった) 即座にバス会社に電話してくれた。やはりすでに迎えがきてしまっていたらしい。ぼくは「どうしてくれるんだい?」という顔でスタッフを見た。申し訳ないが、それ以外にできることがなかったんだ。
するとスタッフの男性は寸分考えを巡らせてぼくに言った。
「今から行こう」
「??」
男性はそばにいた女性スタッフにレセプションの対応を任せ、ホステルの外にさっと出てぼくを手招きした。
「バイクで行く。急げ」
小走りで歩み寄ったぼくの胸に男性は薄汚れたヘルメットを押し付けた。

 

幸運の整合性

ぼくはバックパックを担ぎ、ヘルメットのあごひもをキツく締めて、後部座席にまたがった。
車高の低いバイクが走り出す。この三日歩き続けた狭い道を滑るようにたどっていく。屋台形式の食堂、路上にはみ出して謎の金属加工をしている店、部品屋。
やがて大通りにでて、前後左右の車やバイクたちから均等な距離をとり、風を感じるスピードが出た。
こりゃいい。
不安はあった。心臓が妙な動悸を打っていたが、不意のドライブは身体的な爽快さでぼくの内面をクリアにしていった。
こうして追いかけるからには、バスはまだバスターミナルを出発していないのだろう。そして、間に合う算段があるのだから、こうして追いかけるのだろう。
ぼくはやがて安心し (安心するように自らに言い聞かせ) 、見納めとなるホーチミン・シティをこれまでと違った角度から十二分に堪能してやろうとマインドセットした。
しかし、運転しながら片手で電話を受けたスタッフが、電話を切ると、半身で振り返りぼくに言った。
「引き返す。バスは行ってしまった」
間に合わないんかい!
正直なところぼくは、あらゆる幸運が完璧な整合性をもってしてぼくの旅の成功を助けてくれるものだと信じて疑っていなかった。すべてはぎりぎりでうまくいく、これまで多くのぎりぎりの場面で、ぼくは間に合ってきたし、助かってきた。今回もその一例になるだろう。なんてったってぼくはぼくなのだから……。
しかしそうはならなかった。現実はときとして美しい物語を描かない。それがこの世の真理であるとぼくらは受け入れなければならない。苦労は報われず、愛は一方通行、信じる心は自己満足。それでも (きっと) 世界は美しい。プノンペンの宿はもう予約してしまっていた。さて、どうしよう。

 

地球の歩き方

飛び出したときとは大違いのノロノロとした速度でバイクはホステルに戻った。ぼくは再び途方に暮れた顔をしてスタッフを見た (この人たちだって困ってるだろうけどさ) 。男女のスタッフは相談し、ぼくに提案した。
「もし余ってれば、四時のバスのチケットを取ってみる。それでいいか?」
ぼくが一時のバスを選んだのは、それだとぎりぎり明るいうちにプノンペンに到着するからだった。四時のバスだと真夜中の到着になる。深夜に街を出歩くことそれ自体は特に問題ない。それがどこの国であっても、深夜の街歩きに際してのぼくは、「警戒心ゼロ」だったと言っても過言ではない。しかし、はじめての街、はじめての国に到着するその日に限り、打って変わってぼくはとても慎重に到着時間を選ぶ傾向にあった。多少値が張っても、日付が伸びても、明るいうちに到着するバスや鉄道を選んできた。帰国した今になって思えば、一年ものあいだ身体的危険に晒されることなく旅ができたのは、そのようにして「押さえるところは押さえて」きたからに他ならないのかもしれない。

しかし、今回は四時のバス以外になすすべもなかった。ぼくは「それでいい」と言った。
結果的にチケットは取れた。ぼくは、コモンエリアに引っ込み、このときはじめて本棚に見つけた「地球の歩き方 カンボジア編」を読んで四時のバスを待った。これまでのぼくはガイドブックの類を読まない主義だったが、これも (バスを逃したのも) なにかの縁だと考え、極めて自然に手に取っている自分がそこにいた。自分の中の頑固でストイックな部分が少しずつ柔らかくなってきているのかもしれない。このときぼくはそう感じた。
そういえば、気がつけば Booking.com の言語設定も English (US) から日本語に戻し、日本人の口コミも普通に見るようになっていた。
三時半、今度こそちゃんとバイタクにピックアップされ、ぼくはバス会社の前まで運ばれた。

 

四時のバス

バス会社は小さく、チケットカウンターの前に六つほど備え付けの椅子が横並びにあるだけだった。隣の椅子に置いたバックパックを片手で (レイトショーの映画館で恋人の肩を抱くように) 抱き、ぼーっとバスを待っていると雨が降り出した。しかし、雨よりもぼくが気にしていたのは、ぼくと同じ並びの椅子に座っている二人の日本人だった。
日本語が聞こえる。二人とも男性だった。顔が見える位置にはなかったが、その話し声で彼らが若いことはわかった。ぼくらは二十分はそこでそうしていたと思う。つまり二人は話し続け、ぼくは愛するバックパックの肩を抱きながら二人の話と雨の音を聞き続けた。
一方の男性が多くを話し、一方はほとんど聞き役だった。話し手は旅の経験が豊富そうであり、聞き手は不慣れのようだった。話し手は旅や外国、世界史、地理の知識を得意げに語っており、聞き手はそれに感心している様子だった。その意味では、二人の関係はどうも一方的に見えなくもないが (たとえば上司と部下) 聞き手の相槌はところどころが適当、おざなりであった。やはりただの友人同士かもしれない。
もうバスが来るだろう。そのくらいの時間になってぼくは二人の前を横切って、店内奥のトイレに立った。戻ってくるとき、ちらりと二人の顔を見て、自分の席に座って、もう一度バックパックの肩を抱き、それから思い切って「こんにちは」とぼくから声をかけた。

 

カズキとカズキ

よくよく見ると、二人の顔は思ったよりもずっと幼かった。あとから分かったが、二人の年齢はともに二十四歳 (二十四歳が幼く見えるのだからぼくも歳をとったものだ) 。バスが走り出したとき、乗客は数えるほどしかいなかったが、座席位置は指定されており、ぼくと二人は離れて座った。それまでの間にお互いの素性がわかりあえる程度には会話ができた。
一方の名はカズキ。もう一方の名もカズキ。旅慣れて大柄で話し上手なカズキと、小柄で控えめでメガネをとると可愛い目をしてるカズキ。一時のバスを逃したからこそ出会うことのできた二人の「カズキくん」と共にぼくは、カンボジアへと、またひとつ国境を越えたのだった。

 

(たいchillout)

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