【インド/バラナシ】川沿いに張り付くように広がった土色の街

どこか異なっている熱

不思議な世界観の夢から覚めるとぼくはバラナシ行きの三等寝台列車に乗っていた。夢では、辞めた会社の同僚や、南極、ラーメン、小中学校時代親しかった友人のヒトシ、弟、THE YELLOW MONKEYの1stアルバムなどあらゆる情報がごった煮で登場した。レイモンド・チャンドラーを読み、目覚めのチャイを一杯飲んで、買い込んでいたフランスパンをかじる。はっきりと目が覚めてきてしばらくするとガンジス川が見えてきた。

ぼくはそれを車窓からではなく、車間連結部のドアから見た。この鉄道のドアは走っている間もずっと開けっぱなしだった。バラナシが近づいていることを地図アプリの位置情報で確認したぼくは、外の景色をよく見ようと寝台から飛び降りてきたのだ。背後で人の往来はあったが、ぼくが風景を眺め、ドアからわずかに顔を出して風を浴びるのを邪魔する人はいなかった。あれが、ガンジス川。ぼくはいまガンジス川にかかる橋を渡っている。そして川沿いに張り付くように広がる土色の街。あれがヒンドゥー教のHoly City──バラナシだった。

植民地時代の旧名はベナレス。深夜特急にもベナレスとして登場し、ガンジス川沿いで死体を火葬しているシーンがやはり印象に残っている。だが、あくまで深夜特急に忠実な知識しか持っていなかったぼくは、同じインドの街であればバラナシよりもコルカタやブッタガヤ、デリーの方が重要だと考えていた。どうやら世間一般ではそうではないらしい。ということを理解したのは旅に出てしばらく経ってからだった。世間一般、とりわけ日本人にとっては。

ガンジス川を渡る列車から土色のバラナシを撮った動画をインスタグラムに投稿すると旅で出会った何人かの日本人から反応があった。「いよいよだね」「懐かしいなあ」「行ってみたかったところです」そんな風にコメントが集まったのははじめてだ。皆バラナシには一家言あるらしい。どうしてだろう? たしかにここはガンジス川沿いにありヒンドゥー教の聖地ではあるがガンジスの街は他にもある。宗教的な土地であればお隣のブッタガヤやイスラエルエルサレムサウジアラビアのメッカなども同様に関心を集めるはずだが、日本人旅行者がバラナシを語るときの様子にはそれらとはどこか異なっている熱があるようにも感じた。ぼくはそれも確かめたくてここまで来た。

 

頭抜けて汚く迷路のような街

バックパックを背負った状態で半身を外に乗り出し、列車がホームに入線しスピードを緩めるのを見届けた。まだ列車が止まる前から、ホームにいるおじさんがぼくに「ジャンプ、ジャンプ」と声をかける。飛び降りちゃえよ、ってなわけだ。コルカタよりは小さめの駅を歩きはじめると早速日本語で「コンニチハ」と声をかけてくるインド人のおじさんがいた。徹底的に無視をする。広いホームに大荷物を下ろす男たちは商売関係だろう。彼らの肌色は浅黒くほとんどが髭をはやしている。
駅前は広い。タクシーだかリキシャが石の裏のてんとう虫みたいに平べったく乾いた土に張り付いて駅から降り立った国内外の旅行者たちの顔を見ている。振り返ると、シンメトリーとなっている白とオレンジの駅舎の上に大きな時計がかかっている。晴れている空に薄く白い雲、午前十時過ぎだった。日本なら春先の気候で、男たちは薄手のジャンパーを羽織り、老婆たちはカーペットのように分厚いサリー姿だ。

街の中心部である川沿いに向かって歩く。ちょうど太陽の方角。バラナシの道は狭く、迷路のように無秩序で、舗装されていなく、そこをスクーターが走り抜けるからなお狭い。建物は高く、洗濯物にも陽が当たっていない(後で知ったがこの街の人々は屋上というリソースを有効に活用している)。どうして川沿いの決して広くない一角にこうして異常なほど人々が密着して暮らしているのかわからないが、その佇まいはどこかRPGの世界のようで冒険心はかきたてられる。
すれ違った牛が突然吠えてびっくりする。牛は普通にそこら中にいる。普通にあたりを歩いており、特に人々が牛を意識している感じはない。牛の方も特に人を意識している感じはない。ちなみに牛の糞もそこら中にある。特に人々が牛の糞を意識している感じはない(牛の糞の方も特に人を意識している感じはない)。犬が自転車に轢かれてキャンと鳴く。機織りのような音が断続的に聞こえると思ったらそれは商店のシャッターが開く音だった。一日はこれから始まるのだ。男が路肩に座り込んで小便をしていた。枝豆の皮のようなものを袋に入れて老婆が歩いている。あれはなんだろうと思っていると、老婆は突然道半ばで袋をひっくり返して、すべてを路上に捨てて去っていった。ホステルについた頃には昼だった。まだガンジス川は見ていない。この街で、道に迷わないわけがなかったのだ。ドミトリーにチェックインして一階のカフェでミルクコーヒーを飲んだ。コルカタで買ったSIMカードがバラナシに入ってから安定しない。なんとかしておかなければならない。
たしかにここは頭抜けて汚くユニークな構造の街だが、多くの国を旅したうえでバラナシこそが特別だと感じたりは今のところしていない。ここはコルカタよりはずっとコンパクトだが、とりあえず、スタバはあるのだろうか?

(たいchillout)

f:id:taichillout:20200812170656j:plain