【日本/東京/文京区】旅にでるまで (5)東京ドーム

ひかrewriteが振られて、まずはじめにやったことは東京ドームで行われる THE YELLOW MONKEYのライブに行くことだ。2017年の年末だった。彼氏のためにとっていたチケットだったが、持て余していたようだったのでぼくはそれに立候補した。それは振られたその週の週末だった。イエローモンキーの音楽はいつかちゃんと聴かなければと思っていながら手をつけていなかったので、ちょうどいい機会だと思った。ぼくはライブ前に駆け足でベストアルバムだけをTSUTAYAでレンタルしたが、やがてドーム公演の後に全オリジナルアルバムをコンプリートするほど、そのバンドはフェイバリットとなることになる。
公演当日はお茶の水で一人で「カロリー焼き」を食べて後楽園で待ち合わせた。スタバに寄った後に、同じくチケットをとっていた、ひかrewriteの弟、さらにその友人の女性と合流した。東京ドームで音楽を聴くのは初めてだったが(野球は見たことがある)、思った以上に音響は良くない。東京ドームは音楽を聴く場所ではない、今度はライブハウスでイエモンを聴きたいと思った。しかし、「体験」としては、あの日はやはり特別なものであり、得難いものであり、不思議なものであり、どこか象徴的なイベントだった。

何日も続いたキーンと晴れた朝が印象に残っている冬だった。会社でひかrewriteが付き合っていたことはぼくだけが知っているはずだったが、振られた後、ひかrewriteはそれを立て続けに何人か、そのとき近しかった人々に話してしまった。もちろんその是非はぼくが判断することではない。だがそのときは「なんで話してしまうのだろう」とぼくは思っていた。
それを打ち明けられた人々は異口同音に彼氏のことを罵った。そんな男は別れて当然だと言った。ぼくはその断定を安易にすぎると思ったが、ひかrewriteはその言葉をそのとき必要としていた。一番近くにいたぼくはその言葉を決して言わなかったからだ。
ぼくは最初から「一番近くにいた」が、それをさらに押し進めたのが席替えだ。絶妙なタイミングでひかrewriteの部署の変更があり(それにもいろいろあった)、当初フロアが違っていたはずがぼくと同じフロアの、それもほとんど背中合わせの位置に来てしまった。それらが全て十二月の上旬に起こった。彼氏は全く別の事情でときを同じくして退社していた。ぼくは社員、ひかrewriteはアルバイトだったが(つまり労働条件が異なっておりそれも後に問題となった)、昼休みの後などは一緒に公園のスタバに行って、散歩をしてコーヒーをテイクアウトした。常連だったので店員さんはぼくたちの顔を覚え、ぼくたちも店員さんの顔を覚えていた。スタバの紙カップを持ちながらいろいろな話をした。運命について、あり得たかもしれない世界線について、シュタインズゲートについて。
ちなみにひかrewriteは、この時点で28歳だったぼくよりも歳上である。それもあったかもしれない、ぼくが決して上から断定的なアドバイスをしたりせず、そして親身になったのは。若者の恋愛より、それは何もかもが少し重かったのだ。

ぼくはありきたりな慰めの言葉をかけなかった。ぼくは彼氏のことをよく知っており、彼氏にとても愛着を持っていた。もちろん完璧な人間だと言う気はないが、魅力的な人だった。振られた理由はわからない。少なくとも、ある時期二人はとてもとても親密だった。穏やかな親密さではない、激しい親密さだ。
周囲の人はありきたりな慰めの言葉をかけた(とぼくは思っている)。社内の人も、社外の友だちも、この時期からひかrewriteが深く関わりはじめたネットで出会った人たちも。
別れて当然の男などない。別れて当然の女もいない。逆に、別れなくて絶対に正解という男も、女もいない。すべては個別の関係性なのだ。中途半端なりにやっていくしかない(そして確信が持てないまま別れるしかない)のに、まるで普遍的な正解と不正解があるように言う人々をぼくは信用しない。むろん、彼らが不誠実だったと言いたいわけではない。ある意味では彼らは、痛みを訴えている人によく効く痛み止めを処方することのできる人間だった。ひかrewriteは物販で買ったイエモンのタオルをデスクの目につく位置に飾って、大人しめにしていたメイクを好き勝手にするようになった。

忘年会がやってきた。場所は東京ドームホテル。年々規模が大きくなり、こんなところまできてしまった。社長はさぞかしご満悦だろう。普段は着ないスーツを着て、ぼくはひかrewriteともう一人の社員と三人で、仕事を切り上げてそこへ向かった。冷たい空気に東京ドームシティのイルミネーションが凛と浮かび上がる。今年もたくさんの社員が退社した。いろいろなことがあった。その極め付けはここにあるのかもしれないし、ないのかもしれない。しかしぼくらはそこに一種のクライマックスが来ているように、確かにそのときは思っていた。2017年の年末にすべての運命は凝縮され、そこに大きな転換があるのだと。とある有名私大から隔週で来社してシステムチームと一緒にAIの研究を進めていた教授と、ぼくと社長と一緒にアメリカに行き海外進出プロジェクトに関わっている通訳の女性がぼくと同じテーブルについた。忘年会には社外の人も招くのだ。そして、彼らと最も関わりがある社員がそのホスト役を務める。ぼくはそのお二方のテーブルに必要だった人間がぼくであることにも、この一年の充実感を静かに噛み締めていたはずだ。

忘年会の三日前に社内でカニ鍋パーティーがあり、忘年会の五日後にクリスマスがやってきて、その次の週末には仕事納め、そして納会があった。ひかrewriteは全く関係のない業務委託の男性に惚れられ、クリスマスプレゼントと共に実質的に愛の告白を受けていた。もちろん歯牙にもかけなかった。依然としてひかrewriteは深い傷心の只中にあり、それゆえにハイテンションだった。業務委託の彼もひかrewriteの傷心ゆえのハイテンションに「勘違い」を起こしてしまっていた。ぼくはひかrewriteから吉井和哉のDVDを借りていた。無限に話すことがあった。上場を目指しはじめた会社は社内統制を推し進めて、それ以前の社風と全面的にかち合っていた。派閥が生まれ、上下関係が生まれ、評価が生まれ、嫉妬が生まれ、死角が生まれ、秘密が生まれた。口は出すが手を動かせない取締役が外からやってきた。そして売り上げは下降していた。ひかrewriteの部署異動も彼氏の退社も、そして二人の関係の破綻も(それどころか二人の関係の発生すらも)、上述のように組織がゆさゆさ揺れている時期であることが、多大に影響していた。会社が実力以上のスケールを遂げようとし、どこかに歪みが発生するとき、個人がそのとばっちりをくらっているのをぼくは何度も見た。しかし依然としてぼくは社内の多くの人を友だちだと感じて、大切に思っていた(古い社員たちとともに、良かった時代や去った人々を懐かしむことも多くなったが)。納会から抜け出すときに業務委託の彼をなんとかかわして、ぼくとひかrewriteは新宿のスタバでコーヒーを飲んでその一年を終えた。
その一ヶ月の間に、ひかrewriteお茶の水でサックスを買った。元彼と付き合っていたとき、あるいはその前の彼と長く付き合っていたとき、本当の自分を抑圧していた。自分が好きなことややりたいことについて考えないで、縮こまって、顔色をうかがって、相手に合わせていた。もやもやしていた。こうなってしまったのは、そうやって自分に嘘をついていたからだ。だから今の自分に必要なのは、そんな自分を変えること。そして、新しい彼氏を探すこと。その二つは矛盾なく結びつき、サックスや絵や外国やハンバーガーや……なんでもいいからそのとっかかりとなるものを探し求めていた。そして2018年がやってくる。

(たいchillout)

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