【パレスチナ/ベツレヘム】メッセージはアートを……

生誕の地

二泊したラマッラからシェアタクシーを利用して同じパレスチナ内のベツレヘムへ移動する。ここでも水不足は大きな問題らしく、シャワーの時間は7分以内にするように宿の主人に厳命される。
ラマッラはひらけた坂の街だったが、ベツレヘムは崖の街だった。石造りの建物が多く、街は全体的に石灰色めいている。
ベツレヘムはキリストの生誕の地であるらしいが、ぼくはそうしたことをイスラエルに入国するまで知らなかった。ユダヤ人の作った国であるイスラエルに、イスラム教徒の暮らすパレスチナは従属を強いられ、パレスチナの内部にキリストが生まれたベツレヘムが存在する、という複雑な地政である。エルサレムからパレスチナに入ると街でコーランが耳に入るようになったが、ベツレヘムでは教会のスピーカーから夕方のコーランが流れていた。
到着したその晩はケバブを夕食とし、翌朝はスターコーヒーという、スターバックスに似た喫茶店でパンとコーヒーで過ごす。外を出歩いたり宿に戻ったりを繰り返した後、昼前には、有名なバンクシーの壁まで歩いていく。「メッセージはアートを必要とするしアートはメッセージを必要とする」というのがそれを見たときに自分が残したメモ書きだが、なにを考えていたのか今となっては正確にはわからない。帰り道、目についた店に入り、昼だったがビールを飲んでハマスとコロッケを食べる。
その名もまさしく「生誕教会」という教会は、観光地になっている。門の前に立っているTシャツ姿の西洋人女性は、今まさに内部の観覧を終えたところであり、一歩進んでから教会を振り返って、キリスト教式の祈りをごく自然に捧げてからその場を後にした。仏教、ヒンドゥーイスラム……。各地でそれぞれの宗教の敬虔な信者たちを目にする機会があったが、その女性を見てぼくは、自分がキリスト教圏に近づいていることを意識した。
この朝は宿でブログを書き進めたが、夕方もパソコンに向かいプログラム作業を進めた。作業に疲れたり食事を取りたくなると、いそいそと街に出て、さして当てもない散策をはじめた。目抜通りがささやかな街灯に照らされたベツレヘムの夜は繰り返し歩いても変わらずに美しかった。

 

旅人の身勝手さ

ベツレヘムに二泊して、エルサレムに戻った。その際、エルサレムからパレスチナに入るときは存在しなかったチェックポイントを通過する。そこでは荷物とパスポートの検査が機械的に行われたが、国境と呼べるほどの緊張感は微塵も漂っておらず、人出もなく閑散としていた。
新市街のホステルに一泊だけ、100シェケルでチェックインする。これでも最低価格ライン。ラマッラでは65シェケルベツレヘムでは60シェケルだった。イスラエルパレスチナの厳然たる物価格差は、両者の平均的生活クオリティの格差でもあるだろう。ぼくはエルサレムのホステルの洗練されたポストモダン的コモンルームのおしゃれな雰囲気や、タブレットを使った現代風のチェックインシステム、湯だくさんシャワー、スタッフの安定した英語力に、大いに旅の英気を養われることを自覚しながらも、悲鳴を上げる財布とパレスチナの境遇を身勝手に重ね合わせて複雑な気持ちになったりした。
そう、実に身勝手なことだが、旅人は旅がしやすい土地を短絡的に「いい国」だと結論づける。その逆もしかり。特に放浪系バックパッカーは「物価高」を、己を標的にした理不尽で非合理な暴力であるかのように捉えがちなのである。

2019年4月 たいchillout