【キルギス/ビシュケク】ポロフを食べながら

心境の変化

あれからしばらくぼくは考えた。ビシュケクタシュケント行きの鉄道は五日後の朝に出る。それに乗るつもりだった。しかし本当にそれで良いのだろうか。ビシュケクを見ただけでキルギスを出てしまって良いのだろうか。南部にはオシというローカルでディープな街があるようだし、オシを起点にパミール高原に行けるとソンジェは言っていた。結果的にタシュケントに行くにしても、オシは遠回りにはならない場所に位置していた。
しかし、ぼくは車よりも電車が好きだった。オシには鉄道が通っていない。オシに行くにも、オシから移動するにも、バスと言う名の「乗り合いタクシー」を利用する他なかった。乗り合いタクシーの乗り場がどこにあるか知らなかった。乗り合いタクシーを利用するなら、事前に乗り場を訪れ、相場感や大凡の出発時間、一日の本数などを把握しておく必要があった。同じことをビシュケクとオシでそれぞれやる必要があった。やればできるが、これまで何度かそれをやったからこそ、面倒ではあった。だって電車は乗っているだけでタシュケントまで行ってくれるんだから。

やがてこのときのぼくは、タシュケント行きの鉄道でも、オシ行きの乗り合いタクシーでもなく、第三の道を選ぶことになる。それは、ソンジェと一緒にオシに行くという選択肢だった。ソンジェは数日以内にドクターの許可が出てオシに行くことになっていた。そこに便乗させてもらってはどうか。ぼくは、街間の移動を他の旅人と共にしたことはなかった。むしろそうなることは避けていた。だからこれはとても大きな意味を持つ心境の変化だった。

誤解を恐れずに書くのなら、ぼくはこのときの自分の旅に物足りなさを感じていた。アルマトイも楽しかったし、ビシュケクだって楽しい。それはこれまでブログに書いてきたとおりだ。しかしながら実のところぼくは、ここまできてもまだ、ウランバートルのことを考えていた。今この瞬間と、今いる街と、いま出会っている人に向き合わなければと思いながら、楽しかったウランバートルを思い返してぼんやりしている時間がとても多かった。思い出は大切にしたいが、それにとらわれてはいけないことはわかっていた。追憶を振り切る手段としてそのときのぼくが思い描いていたものは、ウランバートルを忘れるくらいのドラマに自分を巻き込む、ということだった。
これまでやっていないことをしなければ、自分は変われない。ドラマは起きない。易きに流れてはならない。このままではなにも起きない。妥協するな。もっと、もっと、もっと。もちろん、ソンジェへの尊敬と信頼があったのは大前提だ。とはいえ、街の移動を共にするという自分のとっての初めての試みに気持ちが向かった背景にはこのような、試行錯誤とも言える心理が働いていたのが実情だった。少しだけ苦しい、現実を変えていきたい欲求があった。
あるいは、ビシュケクでもアルマトイでもすでに十分すぎるくらいの何かは起きていたのかもしれない。しかし、そのときのぼくはそれに満足できていなかった。比較対象はあくまでウランバートルだった。旅はドラマの連続でなければならない。そしてぼくにはそれができる。知らない間に期待値が大きく上がっていた。

 

ポロフ

翌朝、一緒に行きたいとソンジェに申し出た。夕方、ドクターの許可が降りて、早速次の日にオシに行くことが決まった。その日も一緒に夕飯を食べた。ソンジェの友人で、ビシュケクで学生をしている韓国人のファンくんもやってきた。ファンくんは日本には小さなバーがたくさんあって羨ましいと言っていた。

翌日は、夜行の乗り合いタクシーでオシに行くことになっていた。夕方にホステルで落ち合った。それぞれバックパックを背負い、タクシー乗り場まで例の街バスで向かった。十五分程度の街バスの中でもソンジェはパソコンを広げ、翻訳の仕事をしていた。バスを乗り換えると、近くに座っていたおばちゃんが何の前触れもなくキルギス語でぼくに何かを話しかけた。ぼくの代わりにソンジェが答え、しばらくキルギス語で話していた。おばちゃんはぼくに「Ethnicity(民族)」を訊ねたらしい。
「お前の民族はなんだ」
ぼくの顔を見てそう訊いてきたのだ。どこから来たか、ではなく、なんの民族か。その質問は、複数の民族が混ざっている中央アジアという土地に自分がいることを強く意識させられるものだった。

先日訪れたバザーの近くに乗り合いタクシーの乗り場があった。日が傾き始めていた。すべてはソンジェが先導してくれた。運転手らしき男を探し当て、ソンジェが価格を訊ねると1000ソムとのことだった。値引き交渉もせず言い値に応じたソンジェはぼくを振り返って小さな声で「Good price」と言った。トランクに荷物を詰めて、同乗者が揃うまでの間に夕食を食べようということになった。運転手に言われるままにすぐ側の食堂に入った。メニュー表はなかったが、ぼくたち二人は間をおかないで、チャイ、ナン、そしてポロフを頼んだ。キルギスではどの店に入ってもポロフがあり、安くて美味しかった。ポロフは中央アジアで最もメジャーな米料理のひとつだった。名前が似ている通り「ピラフ」の起源になったとも言われている。

 

外国語を習得するために重要なこと

小さな店で、入り口のドアは開け放たれていた。そこから夕日が見えていた。ぼくは夕日に向かって、ソンジェは夕日を背にして、テーブル席に座っていた。テーブルの上にはナンを入れるバスケットが置いてあった。おなじみのやつだ。ヒジャブ姿のおばちゃんが手づかみでナンを二つ持ってきて、ぼくたちの目の前で素手でそれぞれのナンを二つに引き裂いた。そしてバスケットに積み重ねた。お決まりの儀式だった。チャイを片手にぼくはそれをつまんだ。ソンジェはポロフが来るまでナンには手を付けなかった。大きな壁飾りが掛かっていた。ぼくには理解できない文字が書かれていた。
「これはウイグル語ですか?」
ソンジェに訊くと、違うアラビア語だ、と答えた。ふと思い立ってぼくは別の質問をした。
「あなたはたくさんの外国語を話せます。外国語を習得するために重要なことはなんですか」
ソンジェはしばらく考えて言った。
「母国語を知ること」
ソンジェなら面白く、有益で、考えさせられる答えを返してくれるだろうと期待していた。その期待は当たったわけだ。母国語を知ること。外国語を学ぶコツを訊かれて、こんな風に言える人が他にいるだろうか。
ソンジェは続けた。
「自分の言いたいことを自分の国の言葉で話せるようになること。それができないのに英語を学ぶ人は多いが、それではだめだ…」
「わかります。日本にも日本語が話せない日本人がたくさんいます」
ソンジェは笑った。
ぼくはソンジェの話がとてもよく理解できた。言語は思考を規程する。頭で考えることは自由自在だと思われがちだが実際はそうではない。
たとえば「AはBである」という構文しか母国語で知らない人は、実質思考のすべてが「AはBである」に置き換えられてしまう。それ以上の事を考えられない。しかし日本語はもっと柔軟な表現が可能だ。例えば「AはCの限りにおいてBである」という構文がある。この構文を知っている日本人は、物事を「AはCの限りにおいてBである」という形に当てはめることができる。これは語彙力とはまた違った話だ。少し脱線するが、引用をしたいと思う。読書に関する面白い文章だ。しかし引用元がどこの誰なのか忘れてしまった。知っている人がいたら教えてほしい。

 

読書をしない人は、読書を、知識と語彙力のためのものだと捉えていることが多いです。

読書の旨味はそこにはありません。文語体にあります。
文語体は、口語体では成立しないような入り組んだ立体的な表現を、ひとつのセンテンスの中で可能にします。人は言語によって思考するので、文語体を浴びれば当然、文語的な思考が身につきます。

言い換えると、読書の旨味は語彙を増強できることにあるのではなく、語彙と語彙のフレキシブルな接続を身をもって知ることで、思考と思考のフレキシブルな接続を身につけることにあります。

ちなみに小説において上記のフレキシブルな接続は、会話文と地の文の往復で実現しています。会話のみで進行する現実世界と違い、地の文による内省と発話を行き来することで立ち上がるナイーブで多次元的な思考状態は活字ならではです。簡単に言えばこれらはすべて、考える力になります。

 

重要なのは、「語彙と語彙のフレキシブルな接続を身をもって知ることで、思考と思考のフレキシブルな接続を身につけることにあります。」ここの部分だ。ぼくも全く同感だったのでメモ帳にコピーしていた。読書の旨味は語彙や知識を学ぶことにはない(それだったらあまりにつまらなくてぼくは本を読まない)。著者の考えを学ぶことですらない(それもただの知識だから)。思考と思考のフレキシブルな接続。ずばりそれだ。文語体を身体で覚える(引用文に従えば「身をもって知る」)ことで思考がフレキシブルに接続し、生成され、変形するようになる。人は驚くほど「AはBである」という考え方しかできない。ちょっとマシになったとして「AはBかCのどっちかである」程度だ。その手の人々は思考が苦手なのではなく、言葉の接続が苦手なのである。彼らは、言葉と言葉がもっとフレキシブルに接続できるものであることを知らないために、言葉と言葉をフレキシブルに接続してみることで考えをもっと正確に言い表してみよう、とチャレンジしてみる発想自体が存在しないのである。

話を戻そう。ぼくは母国語には比較的自信があったので、ソンジェの回答に感動し、そうか自分は語学の素質があるかもなといささか気を良くしたというのが結論だ。しかしその感動を英語でソンジェにフィードバックすることができず(素質があるはずなのに!)オーバーなリアクションに頼るしかなかった、というオチがその場に成立していたことは、いまの自分だけが知っている。

 

旅のワンシーン

ソンジェはトイレに行くと言って席を立った。ぼくは、店のコンセントで仲良く充電させてもらっていたソンジェのiPadとぼくのiPhoneの側に寄って時間を確認した。日が暮れていた。乗客はまだ揃っていないようだった。予約もなにもない。オシに行く人がいなければ、乗り合いタクシーは永遠に出発しないのであった。ぼくはソンジェがポロフを手で食べていたことを思い出していた。それが伝統的なスタイルらしかった。ぼくはスプーンを使った。ぼくは自分はスプーンでも良いのだと思ったが、それはただ自分にそう言い聞かせただけなのかもしれなかった。しばらくしてソンジェが帰ってきた。なぜかニヤニヤしている。ぼくが困惑しているとソンジェは突然ポケットからキルギス産の瓶ビールを取り出した。全く予想していなかった。チャイのコップでぼくたちは乾杯した。飲んでいる間に運転手が現れた。どうやら出発の時間らしい。さあ、長い夜の始まりだ。良い晩餐だった。新たな移動が始まる高揚感を抱え、ポロフを食べながらソンジェの背後に夕日を見ていたとき、この場面はこれから先ずっとあとになっても思い出す旅のワンシーンになるかもしれないなとぼくは思っていた。

(たいchillout)

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