【タイ/バンコク】生活、雨、夢

ブチ抜け

バンコクからシンガポールまで鉄道で行くことに決めた。それは45年前の深夜特急のオマージュであり (いたるところでオマージュしている) 、KLからバスを中心に乗り継いだ「往路」との差別化でもある。直通の鉄道はないので、タイとマレーシアの国境の Padang Besar で一度、KLで一度乗り換え、ジョホール・バル (JB) まで行く。JBはマレーシア第二の都市であり、バスで橋を渡ればすぐそこはシンガポールだ。KLからバンコクまで三週間かけて北上したが、バンコクからシンガポールまでは、タイ国鉄の寝台車で一泊、KLとJBでそれぞれ一泊ずつ、合計3泊4日でブチ抜けるつもりだった。

 

Too Fast To Sleep

「Too Fast To Sleep (寝るには早すぎる) 」というイカした名前の、勉強する高校生か大学生しかいないカフェがバンコクでの行きつけだった。タイの東大と言われる「チュラロンコーン大学」からの徒歩圏内にあった。バンコク最終日、Too Fast Coffee を飲み終え、いざ鉄道駅へ向かおうと立ち上がったとき、足元がフラついた。
少しだけ、身体がダルいようだ。咳や鼻水はなかった。熱はどうだろうか。風邪かもしれない。冷房にあたりすぎたのかもしれない。寝台車に乗る前にぼくは、チョコワッフルを買って、日本から持ってきていた「ルル」を飲んだ。これから移動が続く。無理はしない。

 

バンコク生活

バンコクでも、かなり淡々と、ひとりですごした。流石に消極的すぎだろう?というくらい観光地にも行かなかった。バックパッカーの聖地とも言われるカオサンロードには一度だけ行ったが、正直、予定調和でつまらなかった。

とはいえ、バンコクの街は好きだった。KLよりもさらに都会で、生活のしやすさは抜群だ。セブン、スタバ、ダイソー、無印、さらにはラーメン屋から「やよい軒」「大戸屋」まである。特にコンビニの多さが目を引く。駅ビルの最上階のフードコートで中高生のグループがダラダラと勉強している。スタバで小奇麗な若者たちがノートPCをカタカタ鳴らしている。夕方の公園で老若男女が音楽に合わせてエクササイズをしている。プーケット同様、ドミトリーは清潔で、ベッド毎にカーテンがあり、エアコンもWiFiも安定。ホットシャワーはもちろんのこと、シャンプーとドライヤーまで完備だ。

あえて屋台通りに出向けば、安くて程々にこぎたない、バックパッカーらしいミニマムライフを楽しめたが、東京と同じだけの予算をかければ東京と同じだけの生活水準が容易く手に入る大都会が、ここバンコクだった。そして多くのバンコク人が、その水準で生活しているようにぼくには見えた。

ぼくはiTunesStoreで買ったアルバムを聴き、KindleStoreで買った本を読み、Steamで買ったゲームをやった。耳かきを無くしたのでダイソーで綿棒を買い、夜道に座りこんで覇気のないリコーダーを吹き続ける少女に5バーツを渡した。少女は吹くのをやめ、リコーダーを持ったまま両手を合わせて、ぼくの足だけを見て頭を下げた。

気がつけばシンガポール発香港行きのフライトまであと一週間と少しというところまできていた。ぼくは慌てて鉄道駅まで駆け込んだ。

 

ルルを飲んで体調は回復したようだった。寝台車は昼過ぎに出発した。雨が降りはじめた。通路を挟んだ隣のコンパートメントはニュージャージー州からきたアメリカ人男性二人組だった。ゲイのカップルだろうか。二人の距離感を見て、直感的にぼくはそう感じた。ひとりが窓の外に手を振り「バイバイバンコク」と、アヒルのような声で言った。

中央アジアの枯れた大地が懐かしくなるほどに、緑に溢れたタイの田舎がナナメの雨に打たれていた。恰幅のよい車掌がまわってきた。一人ひとりから乗車券を受け取り、パチっと穴を開ける。日本と同じスタイルだ。ぼくはWEBで予約していたので乗車券を持っていなかった。予約画面を開いてケータイを渡した。車掌はぼくのケータイを左手で持ち、右手の改札鋏 ("かいさつばさみ"と言うらしい) をケータイの隣に掲げた。そしてパチっと、空の切符をきった。難解な映画で良くあるような、場面転換を象徴的に暗示する、無意味だけど無駄に印象的なカット。そんな光景だった。

 

夢を見た。夢の中でぼくは中国にいた。しかし見たことのない街。街には中国語でなにかのアナウンスが繰り返されるが、ぼくには意味が分からない。そして場面は夜に切り替わる。ぼくは道路に仰向けで寝転んでいる。急に街の電気が一斉に消え、遠くから謎の振動と轟音が響いてくる。それがだんだんと大きくなる。夜に沈んだ街の彼方から謎の振動と轟音と共に巨大な光源が迫ってくる。街には人っ子一人いない。ぼくだけがいる。そこでぼくは気がついた。中国語のアナウンスは避難命令だったのだ。この街は「爆破実験」の対象として選ばれたのだ。金縛りにあったかのように動けなかった。死ぬ。とぼくは思った。

ハッと目が覚めると、ぼくは暗い寝台車の下段ベッドに寝ていた。どうやらまだ生きていたが轟音は続いていた。トンネルの中だった。そう、トンネルに入ったのだった。爆破実験の振動と轟音は、長いトンネルに入ったときの振動と轟音だったのだ。トンネルを抜けたら雨は上がっていた。寝転んだその姿勢のまま、窓から三日月が見えた。

(たいchillout@アラブ首長国連邦)

バンコク編終わり。

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