【ラオス/シーパンドン】四千の島と星空

自由と責任のネバーランド

カンボジアからラオスに越境した。バンのようなものを乗り継ぎ辿り着いたカンボジア側の国境には小さな商店が一つ。「ラオス側よりここの方がレートが良い」と言うバンの運転手の言葉を信じ、ぼくたち乗客は揃ってその商店で両替をした。
カンボジア側の国境を越え、ラオス側まで、両国の国境の間を歩く。そこはがらんとした空間だ。向こうまで100メートルはないだろう。周囲は林。空も広く、ラオス側の国境の向こうにもなにもないだろうことが感じ取れる。同じバンに乗り合わせて来た日本人青年のRくんは、開放的な気分になったように、ぼくたち周囲の越境仲間に向けて言った。
「Here is nowhere !」
ここはどこでもない場所。そう、ここはカンボジアでもラオスでも日本でもない無国籍地帯なのだ。フランス人男性が応じる。
「No country ! My land !」
どこの国でもない、じゃあ今からおれの土地ね。ぼくは笑って二人の言葉をただ聞いているだけだった。しかし心でそのシンプルな言葉たちを反復し、その手触りを深く確かめようとしていた。
マイランド。私が治める私の国。旅の途上にいることは、たとえどこかの国の国境の内側に入っても、マイランドにいることなのだ。私の国が私の身体を伴って移動している、ただそれだけ。どこにも属さないことを選んだ人だけが暮らす自由と責任のネバーランド

 

若者の生き方

ラオス側のイミグレでは噂に聞いた通り、2USドルの賄賂を請求された。この2ドルはビザでもなければ入国税でもない。何の法的後ろ盾のない、係員の懐に入るだけのただのチップだ。国境を通過するのが1日100人だとして、それだけで200ドルのチップになる。もちろん給料も別に出ているわけだからなんともシャクな話だ。旧東側諸国であり、「アジア最貧国」とも言われるラオス。その闇の一端をこういうところで知る。

国境の向こうには案の定なにもない。バスが迎えに来るまで一同は各々好き勝手に時間を過ごした。ぼくは免税店でアイスラテを飲んだ。
Rくんは大学生。彼も『深夜特急』の読者であり、三回読んだと言っていた (悪いがぼくは三回どころではない) 。ボランティアだか大学の実習だか何かでカンボジアに通い詰めたのはすでに6回にのぼる。ヨーロッパなどの先進国には行ったことがないと言うので、よほどこの辺りが好きなのだろう。卒業後の進路は未定だが、青年海外協力隊への入隊も考えていると言う。
青年海外協力隊」という言葉は、「ジャイカ (JICA) 」や「ワーホリ (ワーキングホリデー) 」と並んで、旅する日本人に会うと耳にする機会が多い言葉だった。ぼくはそれぞれについて詳しいことは知らない。だが、ふとしたきっかけで旅や異国というものに魅せられることになった若者や学生が、改めてその後の人生を模索するときに浮上してくる選択肢の一つとして、それらがとても有力で現実的なものであることは確かなのだと、だんだんと分かるようになってきた。若者たちがそれらの言葉を発するとき、その多くは肯定的に━━ひとつの夢として━━語られたが、逆に反発心を抱いている人も少なくなかった。「自分はそういう生き方はしないし、する人は安易だ」と彼らは言った。ぼくにはそれが、自分と似た思考をする同族への、愛憎の入り混じった感情からくる言葉だと分かった。
確かに安易な場合が多いかもしれない。どこがどう安易なのかそこで指摘されるべきことはぼくも冷静に認識しているつもりだ。でもそれも込みで、協力隊もジャイカもワーホリも、いいのではないかとぼくは考える。
行動的な若者に会い続けることで、偽善だとか、自分探しだとか、逃げだとか、そういった考え方をぼくはしないようになっていた。実際に自ら動きそこに来ている人を自分の目で見ると、(月並みな表現だけど) やっぱり輝いていて、それ以外のすべてのことは、どれほど強固な理屈に裏付けされていても嘘だと感じてしまうのだ。

 

国際カップ

やがて迎えに来たのはバスではなく、トラックをベースにした大きいトゥクトゥクだった。十五人くらい乗れるだろうか。そこに後から来た国境越えチームと一緒に乗り込んだ。ぼくは最後部座席で、後ろを向いて座った。トラック型のトゥクトゥクには後ろから乗り込むようになっており、そのまま後ろの壁がない。だから一番後ろからは流れ去る景色が良く見えた。陽が少しだけ翳ってきた。いい夕日が見れそうだが、宿につく時間を考えるとまだ太陽にはいて欲しい気持ちもあった。
突然トゥクトゥクが止まった。どうやらガス欠だと言うことがわかって乗客たちから笑いがおきる。西洋人男性の誰かが言った。
「Welcome to Laos !」
今度は皆がドッと笑う。ラオスクオリティーの手厚い歓迎、というわけだ。
そのユーモラスな男性こそ、その日ぼくと同じゲストハウスを予約していたアルフレッドだった。

一応町らしき場所の空き地のようなほこりっぽいバスステーションでトゥクトゥクを下され、一同は解散となる。
「この中で誰かDゲストハウスに行く人いるー?」
その際に皆にそう声をかけたのがアイリーン。アイリーンと並んで立つのはアルフレッドだ。二人はカップルであり、Dゲストハウスはぼくが予約していたゲストハウスだった。挙手したのはぼくだけで、ぼくは二人と一緒に行くことになった。自己紹介をし、ここではじめて二人の名前と出身を聞いた。黒髪で天然パーマのアルフレッドは南米のアルゼンチン出身、真っ白い肌に金髪のアイリーンはドイツ人。国際カップルと言うわけだ。アルフレッドはぼくに名乗るときにやたらと名前の「レ」の部分を過剰な巻き舌で強調した。アルフレレレッッッドといった具合に。どうやらこれは彼の定番のギャグらしく、アイリーンはハイハイといった感じであしらっている。アルフレッドは一つの会話に一つは面白いことを言わないと気が済まない性格のようだった。これがラテン系というやつか。

 

星空

さて、ここはラオスのシーパンドンと言う土地だ。南端にある。シーパンドンとはラオス語で「四千の島」を意味する。そんな名がつけられるのには理由があって、メコン川の川幅が広がるこの土地では、その川の中洲に大小たくさんの島があるのだ。その島々が実際に四千を数えるらしい。ぼくも直前までこんな場所の存在は認識していなかったが、「カンボジアからもっとも近いラオス」について調べていくと気がついたときには足が向いていた。
Dゲストハウスはまさに中洲のD島にある。予約時に英語で丁寧なメールが送られてきており、それによるとバスの到着地点でSIMカードを購入し、まず宿に連絡をいれる必要がある。すると迎えが手配され、ボートで島まで運んでくれるとのことだった。
同じメールを受けていた三人はまずSIMカードを購入する。
「ゆーてもそれツーリスト価格やろ?」
ルフレッドは商店の店員にそんな感じで声をかけ、いともフランクに全員分の値引きをキメる。三つ買って、ぼくとアルフレッドが先に開通させるとアルフレッドはアイリーンに「See you♪」と軽口を叩いて歩き出そうとする。「おっ先にー♪」と言うわけだ。
しかしネットが使えるようになってもなぜか電話を開通させることが三人ともできず、妥協策としてアイリーンがスカイプで電話してくれることになった。ここまでで大きく時間をロスし、迎えがきてくれた頃には辺りは完全に暗闇に沈み、三人とも手足が蚊に食われて大変だった。

迎えの車はトゥクトゥクどころか、完全なトラックだった。こいつが船着場まで連れて行ってくれるらしい。ぼくらは椅子もない荷台に靴のまま乗り込み、そこがどれだけ汚れているかもわからないままどっかりと腰と手をついた。大きく揺れながら走り出したトラックがやがて平たい道で安定し、空を見上げたぼくは思わず感嘆の声をあげた。開いたままの口も、上向いたままの首も動かすこともできず、星空の大パノラマに釘付けになった。それをトラックの荷台からみていることも、ぼくを不思議な感覚にさせた。それは間違いなくこの旅でみた最も美しい星空の一つであり、ぼくがこの人生でみた最も美しい景色の一つだった。自分が物語の一部になったようなときめきが全身を覆い尽くした。
星空はボートに乗り換えてからも変わらずそこにあった。当たり前だ。モーター式だが、とても細く小さいボートだ。ぼくたち三人は二人の男性に挟まれてそれに乗った。それ以上は乗れなそうなボートだった。辺り一面は暗く、星影は川面にも揺らめいている。顔に無数の羽虫がぶつかる。気にならなくはないが、口を開けないように注意していれば大丈夫。ぼくは虫を受け入れた。それはこの満天の星空をみるために、当然払わなければいけないとても小さな代償だと思えた。虫たちの存在が、この星空が本物であり、これが現実であることをより説得力を持って証明しているように思った。暗闇に島の影が浮かび上がり、野生の匂いがして、ループ再生のように流れ星が降り続けた。

 

あいつらみんな蚊帳の外

ボートに乗せてくれた男性に案内され、夫婦で経営されている小さなゲストハウスに到着した。この日のゲストはこの三人だけだった。食事場所などの共有スペースはすべて屋外にある。木のテーブルを囲む木の椅子に座り、ウェルカムドリンクとしてライスウィスキーをいただいた (絶品) 。キャンプに来てるような感じだ。灯りがここだけなので虫が集まってくる。メコン川の流れる音が聞こえる。暗闇で位置関係が掴めないが川沿いにいるようだ。アルフレッドが軽い調子で言う。「おれメコン川で泳ぎたいんだよねー」。するとアイリーンが川の方向に顎をやって「Just go」と言い放つ。「行けよ?泳ぐんだろ?ほら」といったニュアンスだ。アルフレッドは情けない顔をして肩をすくめる。この二人の掛け合いをぼくは好きになっていた。
このD島には食堂も商店もない。だからゲストハウスで食事も提供していた。ぼくは Beer Lao というラオス原産ビールとパッタイを頼んだ。ラオス人奥さんの作る料理は非常に美味しかった。スキンヘッドの大男であるオーナーはなんとオランダ人。こっちも国際夫婦なわけだ。見た目は怖いが物腰は柔らかい。宿泊棟であるヴィラも含め、ここにあるものはほとんど彼がDIYで木を切るところから手作りしているという。どんな人生を経て彼がここに落ち着いたのかわからないが、そこにもきっと一筋縄ではいかない骨太の物語があるはずだった。

そこら中にいるありとあらゆる虫に怯えながら共有のシャワーなどをすまし、ヴィラに入る。Dゲストハウスはすべて個室だ。久しぶりの個室だが、WiFiもなければ虫はいる。何せ建物ごとDIYなのでそこら中隙間だらけで、灯りをつければどんどん虫が入ってくる。ベッドには蚊帳 (モスキートガード) が備え付けられていた。これがあればなんとか寝られるかもしれない。横になり目を閉じると、虫たちの大合唱が世界のすべてに変わる。一際声の大きいやつが、どんどん近くに寄ってきているような気がする。まさかね。仮にやつが部屋の中に入ってきたって大丈夫さ。あいつらはみんな「蚊帳の外」なんだから。
そんなことを思っているうちにこの日もあっけなく眠りに落ちた。

 

(たいchillout)

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