【中国/新疆ウイグル自治区/ウルムチ】醒めない夢と I Miss U

プレオープン

50メートル間隔で警察がいる。中規模以上の店に入れば荷物検査。ぼくはあたかもウルムチに生まれ育った人のような顔をして歩く。彼らの眼には留まらない。乾いたこの街には徹底して木が植えられている。緑豊かなストリートの数々。

初日、緊張感を持って街を歩く。「地球の歩き方」はおろか、Wikipediaすらも読んでいない。どうやらこの街で日本人が拘束されたとか。街で写真も撮っちゃだめだとか。綺麗めなカフェに入る。言葉は通じない。コーヒーがない。ティーもない。英語を話す青年が偶然そこにいる。おすすめを尋ねてそれをオーダーする。そのカフェはまだプレオープンのカフェだった。英語を話す青年はオーナーである女性の息子だった。幸運にもぼくは無料で、無限に店のパンの試食ができた。大学生の彼とその幼い弟と語り合った後、彼にきいた情報を元にウルムチの街歩きがはじまった。

 

beauty of life

別の日の夕方、彼のおすすめの街角までバスを乗り回した。そこでこれまたカフェを探した。なかなか見つからなく「卓球 coffee beer」などと書かれた地下にあるお店に入ってみる。未成年禁止。少し怪しい。薄暗い店内には卓球台ではなくビリヤード台が沢山あった。バーの一種のようだった。警察がいて肝をつぶしたが、警察たちも寛いでビリヤードをしていた。休憩中だろうか。気だるい昼下がりの気配が漂っていた。ぼくが外国人だとわかっても気にしていない様子だった。

スタッフにはcoffeeという単語が通じた。そして聞かれた。「コリア?ジャパン?」。コリアとジャパンを知っているとは。ウルムチにしては珍しかった。間をおいて、片言の会話を何度かした。だんだんと、お互い、話がしたいのだろうということが伝わった。店のパソコンの前に移動してGoogle翻訳で会話した。近くにいた警察も覗き込んだ。お店の若きオーナーだろうか。彼は日本のポップカルチャーに強い影響を受けたと言っていた。旅の話をした。これまでの旅での収穫は?ぼくはそう聞かれた。人は優しいということ。人生は素晴らしいということ。旅は素晴らしいということ。それと、英会話のスキルだ。そう答えた。笑わずに受け止めてくれた。オチではちゃんと笑ってくれた。彼の意見を聞かせてくれた。「あなたは旅でbeauty of lifeを見つけるのだろう」。美しい表現だった。彼もいつか仕事をやめてシルクロードの旅に出たいと言っていた。気がついたら店では日本の音楽のメドレーになっていた。アニメソング。Jポップ。for you。あなたのために。彼はそう言った。

 

チャイナテレコム

別の日simカードを買いに行った。ぼくはウルムチ秋葉原に泊まっていたようだった。チャイナテレコムというそのお店に外国人がくることは非常に珍しいらしく、段取りが悪い。英語はほとんど通じない。近くの窓口のスタッフたちを巻き込んでちょっとした騒ぎになって、やっと買えた。帰り際、担当してくれたお兄さんが、隣の窓口のおねえさんを指してぼくに片言の英語で言う。「彼女がお前のことをキュートでハンサムだと言っている。友だちになりたいってさ」。見ると女性は照れて笑っていた。

 

アイ、ミシ、ユー

別の日、ウイグル族によって開かれているグランドバザールに行った。数年前ここで大規模なテロがあったらしい。たくさんの人がいる夜だった。露店でラーメンのようなものを買い、夜空の下のフードコートでテーブルを探した。混雑している中、とある姉妹が席をつめて空けてくれた。ラーメンを食べ終わると、羊の肉の串焼きを譲ってもらった。気分が良くなりビールを買って戻ってきた。会話は続かない。でも目があえば笑う。それで良いんだ。喧騒と夜風が心地良い。生ビールの注がれた透明なコップには中国語で「艾・蜜思」、英語で「I Miss U」と書かれていた。後で調べたら「艾」は「愛」であり、「蜜思」は「ハニー」という意味を持ちながら「ミシ」と読むことができるらしかった。アイ、ミシ。アイ、ミシ、ユー。私はあなたがいなくて寂しい。そう、寂しいのだ。誰がいなくて、何を失って、ぼくは寂しいか。I Miss Uビールを夜空に掲げて、黄金色の液体の中で屈折する街明かりの、なんと旅情溢れることか。

 

天山天池

別の日、一日がかりで天山天池という山奥の湖に行った。山間を潤す美しい湖だった。飛び込んだ旅行会社で組まれたツアーに参加したのだ。ぼく以外全員中国人。片言の英語を話すツアー客の女性が気にして面倒を見てくれる。その彼氏もニコニコ笑っている。途中、日本に留学してそのまま東京で働いている女性に話しかけられる。ぼくが日本人だと後から気づいたようだ。久しぶりに日本語で会話した。その女性は中国の南部の省出身で、夏季休暇で中国へ帰省しているついでに新疆に旅行にきているようだった。中国の話、東京の話、仕事の話、それぞれの旅行の話。はてはコミケや東京グールの話まで。ささやかなひとときとはまさにこのことだった。その女性の出身の街に、この旅で行きたいと思った。

 

夢と現実

帰りのバスの中で、ウランバートルでできた友人と連絡をとった。その友人はすでに東京に帰っていた。「東京はどんな調子?」そう聞くと友人は「夢から醒めた現実という感じ」と返してきた。「現実あっての夢だからね」などとなんとも気の利かない返事をして思った。果たして本当にそうだろうか。ぼくはいまもずっと夢の中にいるのではないだろうか。ぼくはこの旅で、現実あっての夢、という相対構造をこそ壊したかったのではなかったのだろうか。ぼくは人生のすべてを夢のように生きたくて、この旅をしているのではなかったか。少なくともいまのぼくに現実はなかった。仕事も家庭も就活も卒論も無かった。ともに過ごしたウランバートルでの夢はたしかに彗星のように過ぎ去った。しかし、ぼくが旅という夢をまだしぶとく生き続けていることに変わりはなかった。

 

have a sweet dream

夕方に街につき、ホテルで休んでから飲みに出かけた。すでに一度行った店だ。東京にも上海にも北京にもない、新疆のビールが安く飲めた。店のBGMでStevie Ray VaughanやThe Eaglesがかかっていた。店の看板猫を膝に乗せてひとりで飲んでると、若い男女に中国語で声をかけられる。

片言の英語で話す。男女は仲良しだがカップルではなくブラザーらしかった。全然似てない。女性は美女だが男性は三枚目だ。本当か?そう聞くと、中国では仲の良い友達をブラザーと言うのだと教えてくれた。男性は二十歳。女性は十八歳。大人っぽいなあ。

見た目は大人っぽいが、叩きあったり、膝をつねったり、やりとりはかわいらしい。本当に仲が良いんだ。男性は、これまた美しいガールフレンドの写真を見せてくれた。女性にボーイフレンドはいないようだった。ぼくは全ての荷物を自席にほったらかしたままブラザーたちの席で飲んでいた。

途中別の女性が合流する。気がついたらその女性と二人で飲んでいた。ブラザーたちは帰っていた。ウイスキーをオーダーしかけたが高いのでやめた。数分後店員がきた。半額にする、飲む?

女性は作家だと言っていた。小説を書くのかと聞くと、小説も書くが詩も書くと言っていた。ぼくたちはゆっくり英語で会話した。そしてぼくは言われてしまった。

「酔ってるでしょ?」

なんということか。ぼくは酒には強かった。酔ってるでしょ?なんて最後に言われたのはいつだろうか。確かにぼくは酔っていた。半額なのにウイスキーの量はやたら多かった。明らかに酔っていた。0時はとっくに回っていた。ぼくは突然言った。

「帰らなきゃいけない」

女性がぼくのためにオーダーしてくれたビール瓶がまるごと残っていた。ぼくはそれに気づかないフリをして急に席を立って、ホテルに帰った。

翌朝目が覚めたら、ズボンが丸まって脱ぎ捨てられていた。少しだけ頭痛がした。ウルムチでは個室に泊まっていた。夢を覚えていた。夢の中でもぼくは英語を話していた。その夢には故郷に今も住んでいる、少年時代からの古い友人が出てきた。

iPhoneを見ると夜中に一件のメッセージがきていた。ケータイも見ずにぼくはベッドに倒れ込んだようだった。昨日最後に飲んでいた女性からだった。メッセージはたった一言だった。


have a sweet dream


甘い夢をみれますように。夢。ぼくの夢は醒めない。旅はまだ続くのだ。醒めない夢と、I Miss U。旅の本質に似たなにかがそこにはあるような気がした。ぼくはメッセージを返さなかった。

(たいchillout)

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