【中国/新疆ウイグル自治区/ウルムチ駅】途切れていくWiFiに離れていく距離を感じて

ウルムチ駅の高い天井

23:26発のアルマトイ行きの鉄道に乗るために、ぼくはウルムチ駅にチェックインしていた。荷物検査でハサミを没収された。
「なぜ持ち込めないんだ?長い旅をしてるんだ。これで髪を切るんだ」
そう言っても聞いてもらえなかった。
「お前のせいでぼくはロングヘアーになっちまうよ」
そう言い残して、ぼくは諦めて進んだ。

ウルムチ駅は空港かと見紛うほどに巨大で、夜中でも賑わっていた。上海、北京、西安成都、広州……。名だたる中国の大都市を結ぶ寝台車たちが長い夜の始まりを待っていた。構内で充電コンセントのあるカフェを見つけられなかったぼくは、広場のような場所に靴を脱いで仰向けになった。ウルムチ駅の高い天井を見上げて、また移動するのだ、と感慨にふけっていた。iPhoneの充電が切れないか心配だったが、iPhoneには幾度となく新着メッセージの通知がきていた。その日の夕方にぼくは、新疆でできた友人たちにWeChatで別れと感謝のメッセージを送っていたからだ。

 

寂しくなりますね

一人は日本人のSくんだった。吐魯番の天国のようなホステルでは、マリンバ弾きの女性以外に、ほぼ同い年の男性とも出会っていた。それがSくんだった。結論から言えば、ぼくとSくんは丸二日行動を共にした。両日とも午後はタクシーをチャーターして、フランス人男性と南アフリカ人女性も含めた四人で遺跡や洞窟や火山を巡った。吐魯番でこの旅のスタイルをとったのは正解だった。ぼくに旅のスタイルがあるとするならば、それはシティライフからゆっくりと旅を切り開いていくスタイルと言えるだろう。しかしシティと言うには吐魯番は小さかったし、日数は限られていた。英語も堪能でガイドの手配なども卒なくこなす上に、中国語もかじっているSくんのいなかった吐魯番をいまは想像できない。Sくんは川崎から来ていた短期旅行者だった。
「楽しかったので、寂しくなりますね」
別れ際の一言には個性が出る。Sくんはそう言った。その後、WeChatでやりとりしたときもSくんからは同じ文面が送られてきた。

 

through your photos

一人は以前のブログにも登場した、日本のポップカルチャーに影響を受けたビリヤードバーの店主だ。彼はAという。Aからは、時間があればウルムチのオススメのスナックに連れて行ってあげると言われていた。その誘いは、吐魯番で延泊したために断ることになってしまった。それでも気を悪くすることなくAはぼくに次のようなメッセージをくれた。「I also visit Kazakhstan through your photos(私もまたあなたの写真を通してカザフスタンを訪れる)」。Aにはこの先も旅の写真を送る約束をしていたのだ。Aも、仕事をやめて子どもの頃からの憧れであるシルクロードの旅に出たいと言っていた。手放せない仕事と家庭を持ちその夢がいまや現実的ではなくなりかけているAは、夢をリアルタイムで叶えているぼくのことを正直に、羨ましいと言っていた。Aはぼくの旅を通して、シルクロードの旅をしようとしているのかもしれなかった。

 

Dont forget

一人はモンゴルからウルムチまでの国境越えを共にしたMというモンゴル人女性だった。共にした、という表現はある意味間違っている。ぼくはMの助けがなければウルムチに辿り着けたかどうかすらわからない。それくらい、一方的に世話になった恩人だった。例えば中国側の国境前で、Mはバスの引率係の言葉を通訳をしてくれた。「ケータイからダライ・ラマの写真を消して」。Mはそう言った。聞けば、ダライ・ラマはこの土地で「思想的にNG」らしいのだ。ダライ・ラマの写真なんて持ってるわけないと思うだろう? シャオロンじゃないんだから。しかしなんと、ぼくのケータイにはダライ・ラマの写真が入っていた。クラウラやシャオロンとのツアーで何の気なしに撮っていたのだ。ぼくはその数枚を削除した。その直後、ひとりひとりのスマートフォンの中身がチェックされた。
Mはモンゴルのホブド出身ながらウルムチの大学で学んでいた。夏季休暇での帰省を終え、スクールライフを再開するための国境越えだった。国境越えのメンバーの中でただひとり英語を話した。モンゴル側の国境の町ブルガンで、トイレを探していたぼくが飛び込んだホテルのロビーにいたのがMだった。偶然とは恐ろしい。Mがいなかったら、Mが英語を話せなかったら、ふとしたキッカケでMとの距離が縮まることがなかったら。
ダライ・ラマはまだ序の口だ。割愛するがそこから先はもっと困難だった。しかしながらMがぼくを見捨てなかったおかげで今のぼくがあることだけはたしかだ。ハードな国境越えでお互い余裕はなかった。そこにあったのは情と優しさ以外のなにものでもなかった。ウルムチで一度くらい食事に誘おうかとも考えたが、大学がはじまって忙しそうだったこともあり遠慮してしまった。2020年の東京オリンピックで日本に行きたいと言っていた。Mからの最後メッセージがまたシンプルで素敵だった。「In 2020 meet you. Dont forget me」。忘れるわけがないだろう。ウルムチも、モンゴルも、あなたのことも。ぼくはそう返した。

 

途切れていくWiFi

一人は以前のブログに登場した、プレオープンだったカフェの息子だ。彼はKという。Kも、この街で困ったら何でも訊いてくれ、と連絡先を教えてくれていた。それ以来ぼくは連絡をとっていなかった。しかし最終日のこの日、吐魯番からウルムチに戻ってアルマトイ行きの鉄道に乗るまでの間に少し時間を作っていたので、ぼくはKのカフェに寄った。Kはいなかったが、そこでぼくはiPhoneを充電しながら人々にメッセージを送っていたのだ。ぼくのウルムチはKのカフェではじまりKのカフェで終わる。七割の無意識と三割の意識で、旅のシナリオは美しく引かれていく。Kのカフェにバックパックを預けて、夕飯を食べるために食堂に出かけた。何度も行ったその店でいつものチャーハンを食べた。帰りにいつもコーヒーを飲んでいたパン屋に寄った。列車旅の食料にしようとパンを買った。ぼくを見てまた来たなって顔で笑ってくれる小柄なお姉さんが今日もいて良かった。そのお姉さんにGoogle翻訳で今夜カザフスタンに行くことを伝えた。知らないだろう? 半分はあなたに会いに来たんだよ。
Kのカフェに戻るとKがいた。ぼくは改めて念入りに充電をし、人々とメッセージのやり取りを続けた。出発の時間がきた。ぼくはバックパックを背負った。店頭に立っていたKと、静かに言葉を選んで話した。握手をして抱き合って別れた。take care。はじまりのカフェ。終わりのカフェ。Kのカフェをあとにする。百度地図で駅へ向かうバス停の位置を表示した。そしてぼくは気がついた。ぼくのiPhoneがまだKのカフェのWiFiを掴んでいることに。
百度地図を見ながらぼくは歩みを進めた。だんだんとKのカフェから遠ざかった。WiFiはしぶとかった。しかし次第に弱くなり、やがて途切れた。

途切れていくWiFiに離れていく距離を感じて。

そんな言葉が頭に浮かんだ。物理的距離の拡大に逆らわず、少しずつ弱まり、やがて消えていったWiFiのシグナルは、今まさにこの街での繋がりを絶ってまたひとりになろうとしているぼくの行く末を、これ以上ないほどに象徴しているような気がしていた。

(たいchillout)

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