【番外編/バックパッカー】旅と学歴の謎

最も旅人が多い大学

三ヶ月に渡ろうとしているこの旅では日本人にもたくさん会った。せっかくの海外なので日本人だけでつるまないように努めてはいるが、それでもやっぱりほっとして饒舌になってしまったりする。自ずと各々のバックグラウンドを語り合うなかで、ひとつ気づいたことがある。学歴だ。

この旅で出会った日本人の出身大学で、最も多かった大学はどこか。なんと東京大学である。学部生、院生、留学生、卒業生。たくさんの東大生に出会った。吐魯番で二日間の行動を共にしたSくんもそのひとりだった。Sくんは博士課程の卒業生だ。英語で論文の読み書きをしていたとか。どうりで達者なわけだ。吐魯番のユースホステルではなぜかたくさんの日本人と出会ってしまった。ぼくとSくんが到着した翌日には、慶応大学の男女のグループがやってきた。彼らは旅行サークルの企画できていた。ぼくとSくんが話していると、ひとりの慶応ボーイが極めて自然に会話にジョインした。その時点でぼくは彼らの学歴を知らなかった。サークルで旅行していると知らされてはじめて「どこ大?」と訊ねた。慶応ボーイは「慶応大学です」と答えた。
「そうなんだ、ぼくは早稲田だよ」
「あ、そうなんですね」
そしてぼくは、自分からは言い出しづらいだろうSくんを紹介する。
「この人は東大だよ」
中国の奥地、新疆ウイグル自治区の小さなホステルの中庭でテーブルを囲む三人の日本人は、東大、早稲田、慶応だった。Sくんは苦笑しながら言った。
「海外旅行者は高学歴が多いですよね」
身も蓋もないことを言いなさる。しかしそれは真実だった。そして、そのときのぼくたちが妙な自負心で連帯していたこともたしかだった。

ウランバートルでは、すでに世界一周を成し遂げて、いまは東京で働いている短期旅行者のMくんと出会った。Mくんは同志社大学を卒業していた。ぼくが早稲田だと言うと「なんとなく早稲田だと思った」とMくんは言った。Mくんは世界一周中にたくさんの早大生に出会ったらしい。雰囲気で分かるのだから余程のことだ。少しの遠慮もなく学歴を訊いてきたことも印象的だった。Mくんは、バックパッカーが学歴ホルダーであることになんの疑いももっていなかった。

東大どころではない人もいた。ウルムチで出会った日本人女性のKさんはなんとカリフォルニア大学バークレー校(ソフトバンク孫正義の出身大学)を学部生として卒業していた。Kさんはそのまま帰国せずサンフランシスコで十年働いた後ヨーロッパでバックパッカーをして、いまは東京の外資系企業で働いていた。日本人以外で言えば、これまた新疆で出会ったイギリス人カップルのジョンとミランダはオックスフォード大学を卒業していた(ぼくには二人がハリーとハーマイオニーに見えて仕方がなかった)。旅人には高学歴が多い。一聴するとそれは意外性を伴ってきこえる。はじめのころ、たしかにぼくは出会う日本人が皆高学歴であることに驚いていた。学歴と活動性・積極性・自由放蕩さは反比例する、というステレオタイプな人間観はいまでも日本では根強い。しかし学歴ホルダーかつ旅人の当事者であるぼくは旅と学歴の正比例関係を、そりゃそうだ、当たり前だ、とその本心では完全に納得しきっていた。

 

持てる者と持たざる者

まず第一に彼らには英語力があった。英会話など学ばずとも、ふらっと海外旅行ができる程度の英語力を、彼らは高校卒業時点で身につけていた(そしてぼくの場合そこがピークだった)。

基礎教養があった。基礎教養は新たな学びへの好奇心に繋がり、体験への意欲を掻き立てる。世界史、地理、政治経済、物理、生物、地学、文学、美術。文理を問わず教室で学んだものはばかにならない。それでも知識不足を痛感させられることばかりだった。勉強は世界そのものへの好奇心の礎なのだ。ただたくましいだけでは世界は楽しみきれない。思えば沢木耕太郎も横浜国立大を出た筋金入りの文学青年だった。

金と時間があった。Sくん、Mくん、Kさんの三人は頻繁に海外旅行をしており、まとまった休みをとるなどの融通をきかせやすい上等な職場に勤めているようだった。当然予算も潤沢そうだった。ぼくのような大人のドロップアウト組はさすがに海外勢が多かったが、本質的には大差はないと言える。事実、皆が長旅をする予算を持ち、キャリア復帰などどうとでもなるという自信を持っていた。

もちろん英語も教養もキャリアも、学歴が無くたって手に入る。そのそれぞれにおいて、あるいはすべてにおいてぼくよりも優れているひとをたくさん知っている。しかしそうなると尚更謎は深まるのだ。じゃあどうして、旅に出たのはぼくなのかって。じゃあどうして、ぼくの会う日本人の半分は東大生なのかって。

あるいはそれは偉そうな言い方をすれば「持てる者」の怖いもの見たさなのかもしれない。言うまでもないかもしれないが、いま振り返れば韓国は完璧な先進国だった。キルギスビシュケクに、韓国からの旅人はいるがモンゴルからの旅人はいない。ヨーロッパ人を筆頭に、先進国の旅人がアジアを見ようとやってくる。「持てる者」が「持たざる者」を見ている。「持たざる者」が「持たざる者」を見て、面白いわけがない。好き好んで「持たざる者」を愛しにくるのは、好き好んで「持たざる者」の魅力を発見しにくるのは、好き好んで「持たざる者」にこそ同化したいと願うのは、ヨーロッパ人たちが、そして学歴ホルダーのぼくたちが、生来の「(学歴だけじゃないあらゆる点においての)持てる者」としての自分たちを少しも疑っていないからなのかもしれない。

2018年9月 たいchillout

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