【インド/コルカタ】コルカタからカルカッタへ

インドの噂

とりあえず街の真ん中まで出ようと決めて、ひたすら歩き続けた。ぼくの見立てでは四から五キロの距離だと言うと、実質的に徹夜明けのイェジィはそのくらい歩くのは全く問題がない、「行こう行こう」と言った。
バックパッカーにとってインドはやはりどこか特別で、ぼくも大いなる期待と同時に不安も抱えていた。カンボジアで会ったカズキは、デリーで親しくなった日本人に連れていかれた飲食店で大量のマリファナ入りのラッシーを飲まされ(もちろんマリファナ入りだなんて知らずに)一週間ホステルでダウンし生死の境を彷徨ったらしい。カズキは他にも、数百円のはずの鉄道のチケットを一万円以上の価格でインド人に騙されて買ってしまうなどといった、幾多の笑い話もとい武勇伝を語ってくれた(当時彼は十八歳だった、よくやったと思う)。新疆ウイグル自治区で出会った東大の博士を修めたSくんはインド北西部の街で野良犬に噛まれた。偶然近くにあった日本人宿のオーナーに病院を紹介してもらえたからことなきを得たものの、それが数時間だけ遅くなれば致死率百パーセントの狂犬病が発症していた可能性が十分にある状況だった。カザフスタンで会ったロシア人のマークはインドを「他のすべての国と違う」と言った。ウランバートルで会った二年の旅を続けているアメリカ人のトムに、トムの考えるBest Countryを訊いたら迷うことなく「India. Everything is cheap...」と言った。誰しもの発言・助言も深夜特急で描かれた旅の山場としてのインドのキャラクターイメージを支えた。とにかくインドは刺激的で危険で、常識が通じず、汚くてヤバイ(でもそこがいい)。だから冒険心を暖めながらも、ぼくにしては珍しくネットで最低限のリサーチを行うようなことまでしていた。
だが、ホステルから出て地図アプリを参考にゆらりと歩きはじめると、その景観には考えていたほどおそろしげな印象を持たなかった。詐欺師も見かけないし、汚らしさも旅の基準では平凡なレベルで、言うなれば「普通にきたない」くらいだ。それはここが郊外住宅地だからだろうか。多くの集合住宅が広めの区画に適度な間隔で立ち並び、謎感が漂うショッピングセンターも近くにあった。ともあれそれはショッピングセンターだ。イェジィとぼくはやはり同じ感想を持ったようで「なんだインドって綺麗じゃん?」と話していた。

 

ココナッツジュース

歩きはじめて早々に、リヤカーを押したココナッツ売りからイェジィはココナッツを買った。
ココナッツ売りの男性は、オノともナタともつかない大きな刃を右手に持ち、左手に掴んだココナッツにおもいっきり振り下ろした。それが左手そのものにヒットして鮮血の飛沫、なんてことはもちろんなく、三、四回カットすることで綺麗な多角形がココナッツの実にくり抜かれる。ストローをさした実を丸ごとイェジィが受け取った。
草むらにはウィスキーのショットサイズのいくつものチャイのコップが粉々になって捨てられていた。粉々のバリバリだ。「なんでコップをこんなふうにしちゃうの…」とイェジィは悲しそうに言ったが、ぼくは深夜特急で読んだエピソードが目の前で再現されていることに感動を覚えていた。本当にインド人はチャイを飲んだコップを地面に投げつけるんだ…。物に溢れた国でないはずなのに平気で粗末にするのは不思議だが、あのコップの原価は実質的にゼロに近いと考えられる。素材はどうやら土らしいので、土に還すという風にとらえると考え方としては間違っていない。考え方としては。

 

早合点

ついに街の中心にやってきたと思ったのだが、どうも活気が足りないような気がする。事前知識がなければこういうものかと納得したかもしれないが、深夜特急コルカタは特に熱狂的でカオスな、常に何かが起き続ける場所として描かれていたのでどこか釈然としなかった。五キロはゆうに越していた。
その原因は判明した。ぼくが街の中心の場所をすっかり誤解していたのだ。地図アプリ上では、現在ぼくらがいる地点には旧宗主国イギリスによる都市計画の痕跡を思わせるデザイン性の高い大広場が位置しているように描画されており、その類の広場は常に街の中心にあるものだとぼくはこれまでの経験から決め付けていた。しかしそれは早合点だった。どうやらここにあるのはただの運動場と駐車場を合体させたらしき砂地であり、確かにこの地点から円環状かつ放射状に計画的な街路が敷かれているが、街の中心はもっと西側にあった。ここからさらに五キロありそうだった。
失態をイェジィに打ち明けると気を悪くした様子はなかったが、とりあえずこの辺りで昼食を食べようという話になった。食べ終わったところで、イェジィはリキシャでホステルに戻ることを選び、ぼくは意地でも街の中心まで行くことに決めた。

 

バスで寝てそして

地図アプリでアタリをつけたのか、イェジィと入った食堂に勤めるスタッフの男やリキシャのドライバーから聞き出したのか、あるいは両者の情報を組み合わせたのか正確なところは忘れてしまいメモにも残っていないのだが、ともかくぼくは市内を走る路線バスの詳細を確認できたので、イェジィのリキシャを見送ってから、それを掴まえて乗ってみることにした。532番のバス。運転手とは別に客の呼び込みや集金を受け持つ青年が乗っており、ぼくが彼に徴収されたのは10ルピー(16円)。ドアは常に開け放たれており、青年はバスが走り続けている間もそこからずっと顔を出して街行く人々に気前のいい声かけをしていた。一月末のコルカタは乾季で、ちょうどいい小春日和だった。ぼくはあろうことか路線バスの中で寝てしまった。初めての国の初めての街でこんなことは初めてだ。目が覚めたときにはバスは市の中心部に差し掛かっており、喧騒の高まりが感じられた。人と商売の集まる気配。それを感じとったとき、この日一番の高揚感がみなぎることを自覚した。
紛れもないそこに、あのカルカッタがあった。

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【インド/コルカタ】インドの洗礼・インドのサラリーマン

インドの洗礼

空が明るくなって空港を出た。「これはインドの空気だね!タイとは違う!」両手を広げたイェジィがそんなことを言っていると早速タクシーの客引きが寄ってくる。
ぼくが予約しイェジィもついてくることになったホステルまではそれなりに距離があり、タクシーで行くことは決めていた。ぼくはいくつかのドライバーに相場を確認しその上で乗る交渉をするタクシーの選定をはじめるつもりだった。しかしイェジィは最初に声をかけてきたドライバーに愛想よく応じ、あれよあれよと少し離れた屋根のある場所に停車してあった彼の車に乗り込むことになった。まあ、仕方ない。わりかしぼくは同行者の旅のスタイルに合わせるタイプだ。
二人のバックパックとイェジィの楽器のハードケース二つをトランクに詰め込み、ぼくは助手席、イェジィは後部座席に乗り込んだ。ドライバーはエンジンをかけた後、プラスチックのケースに入れたパンフレットのようなものを取り出しぼくに極めて自然にこう言った。
「ツアーの行き先は、○○と△△と××な。ひとりXXXルピーだから」
シートベルトは閉めてな?ここ最近ポリスがうるさいんでね。そんな形式的なセリフを挨拶代わりに言ったかのようなフランクな口ぶりだったが、内容はめちゃくちゃだった。ツアーを申し込んだ覚えはないし、ぼくたちはただホステルへ送ってくれと言っただけだった。それを約束してくれたから乗ったのだ。金額もバカげている。
「ノー。ぼくたちはツアーはいらないんだ。ホステルに送ってほしい」
ぼくが改めてそう言うと、ドライバーは今ここで初めてその事実を知ったような顔をつくった後、謝罪してくるかと思いきや、何事もなかったかのようにしらばっくれた会話を続けた。
「いや。これはツアーだよ」
なぜそれをお前が決めるのか。
「ノー。ツアーじゃない。ぼくたちはツアーはいらない」
「いや。だからこれはツアーなんだ。いいか? 出発するぞ?」
「ノー! ツアーはいらない! ホステルに行かないなら降りる!」
ぼくが断固折れないことを理解したのか、ドライバーはわがままな客のけったいな要望に仕方なく応じたような顔をして言った。
「わかったわかった。じゃあホステルまでひとり790ルピーずつな」
それも最初に合意した金額よりもはるかに高かった。信じられない。ぼくたちはいわゆるぼったくりタクシーにつかまったのだ。イェジィに加勢してもらおうと後ろを振り向くと、イェジィは二人のやりとりをまったく聞いておらず安心し切って荷物の整理をしていたので、「イェジィ!」とぼくは呼びかけて事情を説明した。
イェジィは適正価格でホステルに行くことを約束するのであればこのタクシーでもかまわないと考えたのか、ホステルに行くことを念押しした上で価格の交渉を続けた。しかしドライバーは790ルピーをどうしても譲らなかった。これはもうダメだと思ったので、ぼくはイェジィに「(タクシーを) チェンジしよう」と言い、ストップをかけるドライバーを無視して自らドアを開け外に出た。イェジィも続いた。トランクから二人の荷物を取り出し、次第にテンションの高まるドライバーも車から出てきて何かを喚いていたが、ぼくはひたすら「ノー!」と言い続け、イェジィを促して足早にその場から立ち去った。

それから冷静になって空港の真正面を見ればそこにはプリペイドタクシー乗り場があった。プリペイドタクシー。つまりチケットを事前購入することができてドライバーと直接交渉する必要がない安心安全なタクシーだ。窓口は個々のドライバーではなく、全てのプリペイドタクシーを管轄する専用のカウンターがある。そこで定額のチケットを買い、整列している黄色いプリペイドタクシーに渡せば完了だ。二人で280ルピー。なんてことのない。これで良かったのだ。ぼったくりが横行するこの地では、国か空港か市かタクシー協会かわからないが公的な力でそれを防ごうとする力学もちゃんと働いていた、それがプリペイドタクシーというシステムなのだ。
プリペイドタクシーのチケットカウンターに並んでいるときも、さっきとは別の白タクの運ちゃんたちが代わる代わる声をかけてきた。さっきの白タクでは結果的に身の危険に晒されるような事態にはならず、ぼくは車中で強気に対応し強引に逃げ出すことで切りぬけたが、一寸遅ければタクシーは発車していただろう危ういタイミングでの脱出だった。もしそこで英語が聞き取れずに曖昧に肯くなどの対応をしていたら即刻アウトだっただろう。気付いたときには全てに同意の上と見なされ、抗議も聞き入れられず、どこに連れて行かれるのか判らない状況であの手この手でプレッシャーをかけられていたに違いない。要するに、大掛かりなトラブルに発展する可能性のかなり高い瀬戸際の状況だった。気をつけなければならない。それでも多少面白がっていたところも内心はあったのだが、紛れもなくこれは呑気なぼくらへのインドからの洗礼だと受け止めようと思った。

 

中国人英語・朝のチャイ・インドのサラリーマン

プリペイドタクシーの良心的なドライバーによって送り届けられ、朝っぱらながらチェックインを認めてくれたホステルでは男女共用の六人部屋に案内された。東京一人暮らしでいうワンルームのサイズに二段ベッドが三つ。ベランダがついている。下段は全て埋まっていたのでぼくとイェジィはそれぞれ別のベッドの上段をキープした。はしごで登るとベッド全体がぐらぐらする。パイプ式の貧弱な二段ベッドである。
ぼくのベッドの下段にはアジア系の男性、イェジィのベッドの下段にはインド人男性がいた。二人とも学生っぽさはないがそれなりに若い。まだ青年という感じだ。ドミトリーに入るまでに通り抜けたリビングルームにはカート・コバーンに似た西洋人男性がいたが彼も同じ部屋だろう。ぼくたち朝早い新客がやってきたことでドミトリーは活気づき、早速ゆるやかにコミュニケーションがはじまった。
ぼくのベッドの下段のアジア人男性の名はペイという。ペイはとにかく声が大きかったが、彼の英語のなまりを聞いて一発で中国人だと分かった。ぼくよりは語彙が豊富で腹の底から出した声で自信たっぷりに話すが、イェジィのパーフェクトなイギリス英語と並ぶといかにも不完全で聞き取りづらい。
オーナーが淹れてくれた自家製のチャイを手に、四人 (ペイ、インド人男性、イェジィ、ぼく) はテラスに出た。薄く雲はあったが晴れの日だった。暖かいチャイは徹夜明けのインド初日の喉に、胃に、脳味噌に、心の底に、やさしく染み渡った。これから先、短くはないインド旅でぼくは何度もこれを飲むことになるのだろう。
イェジィは次はバラナシに行くと言った。ペイもバラナシに行くと言った。ぼくもバラナシは最有力候補のひとつだった。だが三人とも移動日は異なった。ペイは明日に出発、イェジィはあさって以降、ぼくは気の済むまでコルカタを探検するつもりだったから不明。
旅する三人の東アジア人をインド人男性は心底羨んでおり、ペイが離席した頃、その羨みの感情を率直にぼくとイェジィに伝えた。彼は南部の都市から旅行でコルカタに来ていた。
「自分は短い休みしかとれない。また帰ったらすぐ仕事がはじまる。仕事をやめることはできない。やめたら仕事がない。仕事を続けてもメイクマネーする (お金を貯める) にはすごく時間がかかる」
ぼくもイェジィも何も言わなかった。だからといって聞き流すわけでもなかった。彼のあまりに大きな目を見て話を聞き、うんうんと頷いて、それぞれがゆっくりと慌てずにものを考えていた。ぼくはまず「インド人の瞳」があまりに美しいことに驚愕して、そして彼の率直さに一番の感銘を受けた。また彼の、張りがあって色の濃い頬から健康的でまっすぐなヒゲがバランスよく伸びているのを見ながら少し冷静になって考えたのは、そんな彼でもインドでは中流以上であるだろうということだった。彼はおそらく好きではない仕事に忙殺される生活を送っており、長い休みをとれないことを憂いているが、その物腰や服装、さらには事実こうして短期でも休暇をとって旅行できているところも含めて推察すると、おそらくホワイトカラーのサラリーマンであるに違いなかった。ぼったくりをするわけでもなく物乞いをするわけでもなく、こつこつではあるが道徳的に生きて清潔な身なりをし、教養や柔らかな人あたりを身につけ旅行資金を貯めることができる。そのくらいの社会的階層には位置しているインド人なのだ。あるいは彼のようには生きられない本当に貧しい人々と自分を比較しようとも考えず、彼がエリート意識なるものを少しも持っていないのだとすると、それはインド全体の経済が底上げされる中で「サラリーマンの悲哀」のような価値観が日本のように一般化しつつある証拠なのかもしれない。それはぼくにとって純粋に興味深い事象であり、インドについてのリアルな理解が早くもぼくの内部で立ち上がりつつあることも意味していた。

シャワーも浴びず仮眠もとっていなかったが、ドミトリーメイトたちもばらけていったところで少しだけ無言で荷物整理を行い、イェジィとぼくは街に出てみることにした。

(たいchillout)

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【インド/コルカタ】靴下の穴

ファイト一発

アライバルビザの発行にそれほど時間を要した記憶はない。真夜中のコルカタ空港、インド入国の一歩手前。二人きりで待たされた我々は一通りの自己紹介をした。
コリアンガールはイェジィという名であり、わずかな会話でも英語が抜群にうまいと気がついたが、訊ねてみるとやはりイングランドへの留学経験があった。出身はソウル。その日焼けと服装から相当な旅の熟練者だと覚悟したが、出国してからまだ三ヶ月とのことだった (ぼくはこの時点で七ヶ月弱)。しかもその三ヶ月はずっとタイにいたらしい。タイのとある島の「海の家」のようなところで住み込みでボランティアをしながら無料のベッドと三度の食事にありついていたらしいのだ。どうやら海にLoveらしい。
やがて空港職員が現れ二人それぞれにパスポートを返された。パラパラとめくるとビザのスタンプと入国スタンプも押されている。どうやらすべてはスムーズに進行したようだ。このビザで日本人のぼくはこの国への約二ヶ月の滞在が許され、二回の入国が認められる。一回目の入国は今この瞬間に使ってしまったので、プラスあと一回の再入国ができることになる。一度だけ再入国できるということはイコール一度だけインドから出国できることを意味する。その一回はネパールに使うつもりだった。インドからネパールに陸路で行き、そしてネパールからインドに再び戻るのだ。できればそれぞれ別のルートを利用して。
そんなことを考えていたら、同じように自身のパスポートを確認していたイェジィが場の静寂にそぐわぬ一声を発した。
「いぇーい!」
グーにした両手を耳の両脇で天高く伸ばして笑っている。パスポートから顔を上げてそちらを見ても何がいぇーいなのかしばらく理解できずにいた。ぼくに向けているのかすらよくわからないそのスマイルを見ながら頭を二三秒働かせて、やっと「ビザをゲットし入国できた」ことがいぇーいなのだとわかった。なんと唐突な。
ぼくはそれに調子を合わせたほうがいいと思い、リアクションを取ったが、やはりぎこちなくなってしまった。「い、いぇーい…」

人前でいぇーいと言うような振る舞いはあまり得意ではない。恥ずかしいのもあるし、私はそもそもからして感情がハッピーに振り切れることの少ない、ローファイ・チル・ボーイなのである。

──これから朝を待てるいい場所が空港内にあるだろうか
──イェジィと何を話しどう接しようか
──身体に疲れを溜めてはいけない
──ホステルはチェックイン時間前にシャワーを使わせてくれるだろうか
──イェジィはどこに泊まるのだろう?
──コルカタ空港ではWiFiが使えずSIMの販売も無いという説だが果たして
──せめてコンセントだけでも手に入るかしら

上述のネパールの件に加えて、ぼくの脳内はおおむねこのような話題で占められていた。 次の行動、次の行動だった。大人になったぼくはかつての慎重な性格 (石橋を叩いて観察日記をつけるような性格) から完全に脱却していたが、そんなぼくも生きていくための実務的&建設的そして旅的思考をいつしか溜め込み、さらには旅というものにすっかり慣れてしまい、やがてそれらと引き換えに「外国に行く」というただそれだけがもたらす圧倒的喜びに素のままに浸ることもなくなっていたのかもしれない。
だからイェジィはちょっと大切なことを思い出させてくれた。こういうときはファイト一発「いぇーい!」でいいのだ。という旅人の初歩的な心得を。

 

必要なもの全部

イェジィは預け荷物があるようだった。二人で受け取りに行くと、我々だけがアライバルビザ手続きで遅かったためにもうそこには誰もおらず、イェジィの荷物はベルトコンベアから下ろされてポツンと床に置かれていた。
その荷物は二つあり、片方はどう見てもギターケースだった。この人、ギター弾くのか。ただでさえある種の宿命的な出会いをしていると感じていたが、まさかギターとは。
「ギター弾くの?」
「うん」
「アコースティック?」
「No. Classical」
もう一つの荷物は何かわからなかったが、同じようにハードケースであり、少なくともリュックの類ではなかった。
「そっちの荷物は?」
「これ? これはAuto harp」
オートハープ!? 何それ?」
「コードを鳴らせるハープ」
なんと、この人は楽器を二つも持って旅をしている。イェジィのクラシックギターよりも小さなウクレレサイズのギター「ギタレレ」を旅に持って行こうと計画していたぼくは、まさに出発当日にやっとこさパッケージしたバックパックの重さにKOされ、土壇場で六弦と共にする旅を諦めていた。
話を聞くとやはりイェジィもあてのない旅をしていることがわかった。あてのない旅。いつ終わるのかわからない旅だ。一つならまだわかる。それでもフットワークには甚大な影響がある。なのに楽器のハードケースを二つ持って終わりなき旅をするのは、なんといっても規格外だ。だから当然その疑問をぶつけた。「どうして二つも楽器を持ってるの? どっちか一個でいいんじゃないの?」と。ぼくの質問には若干「あんたそれ頭おかしいよ」というニュアンスが含まれていたかもしれない。ぼくは半笑いだった。するとイェジィは真顔で答えた。
「もう韓国に帰るつもりはないから、全部持ってきたの。自分にとって必要なものは全部」

これまで出会った旅人や自分自身も含めて、ここまで覚悟という覚悟が決まっている人は初めてかもしれない。年齢を訊ねると二十六歳だと言う。その年齢ならまだ学生をしてる可能性もあるので音楽の学校にでも行っているのかと訊くと、「No. アクターの学校に行っていた」と言った。役者志望だったのか。「だけどやめて音楽をやることにしたんだ」と。そして今、旅をしている。
「ところで、たいchillout。ホステルの予約はしてる?」
「してるよ。イェジィは?」
「してないよ」
「してないの!」(ここでぼくはさらに驚いた。人生初めてのインドで!)
「してない。そこのホステルやすい?」
「やすいよ。確か…○○バーツ」(ぼくはタイの通貨表示でBooking.comを利用していた)
「○○バーツ。うん。やすいね。そこドミトリーだよね? まだ空いてるかな?」
「空いてると思うよ」
「一緒に行っていい?」
オフコース。ぼくはそう答えた。

タクシー走ってるかな、とイェジィが言うのでぼくは「I think」と口を挟んだ。今は午前三時で、ぼくが予約していたのは次の夜のベッドだった。この時間に街に出るのは普通に考えて危険だし、実際は危険がなくても危険の有無を見極めるために気を張る必要だけはある。タクシーがいてもいなくても、この真夜中に街に出るなんて考えられない。セオリー的に。
「I think──ぼくは思うのだけれど、街に出るのは夜が明けてからにしよう? 夜は危険だと思う。それまで空港で待とう」
イェジィは「それもそうね」という感じで素直にうなずいた。

 

靴下の穴

やがて荷物を積んだカートを押して、話しながらアライバルロビーに出たぼくたちは、そこで朝を待つのにふさわしいスペースを探した。ベンチはいくつかあったが横になれるものはすでに別の誰かが横になっている。しかし全体としては人はそれほど多くなく、気怠い気配があった。インドのインドらしい部分はまだそれほど感じない。
仕方ないのでなるたけすみっこに連なっているベンチの一群を選んだ。横並びに連結されたベンチが数列。一つ一つに肘掛が付いているために身体を横たえることはできないが、向かい合った二列とその前後のベンチに人影はなく、気を抜いて休めそうではある。ぼくはひとつのベンチに座って、向かいのベンチに足を乗せた体勢で眠ろうとした。しかし向かいのベンチとの間隔が意外に広いせいで脱力して休むことはできなかった。二人の荷物一式はカートの上に放置している。盗む人はいなそうだが、ここはインドだからなあ、という心配も少しはあった。
どうにも身体を休めるポジションを見出せずにぼくはほとほと絶望しかけていたが、イェジィは違った。向かい合った二列のベンチの間のスペースにショールを広げ全くためらうことなく床の上に横になったのだ。脱いだ靴を揃え、楽な体勢を見つけて身体を曲げた。顔にもショールを被せて、あっという間に肩で寝息を立てはじめた。
この人はすごい。バックパッカーファッションも二つの楽器も決して見掛け倒しではない。自由さと言う点において、スタイルだけでない部分をしっかりと持っている。何度も書くがここは生まれて初めてのインドであり、この人は二十六歳の女性なのだ。同じように生まれて初めてのインドにきている二十九歳男性のぼくが持っている警戒心や清潔意識は、決して過剰なものではない。むしろかなり緩い。そんなぼくが「まじか」と唸っちゃうのはずいぶんなことだ。なんならさっき出会ったばかりのぼくという人間だってイェジィにとっては素性不明の外国人男性でしかなく、どれだけ危険かわかったものじゃないのに。

軽くうとうとしたのちにぼくは空港内のトイレに出向き、帰りに売店で温かい (インド初の!) チャイを買って戻ってくるのだが、眠っているイェジィと荷物を置き去りにしていいのかしばらく迷っていた。そんなとき、あまり見ないようにしていたがそれでもふとそちらを向けば、寝ているイェジィがこちらに向けている靴下に大きな穴が空いているのが見えた。
インドの旅はもうはじまっている、と思った。

(たいchillout)

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【インド/コルカタ】二つのアライバルビザ

2時間35分

コルカタ行きのAirAsiaの機内で隣り合ったのは、インド屈指のIT都市として名高い南部のバンガロールからきたタイ旅行帰りのインド人男性だった。奥の座席に通してもらうためにぼくが「Excuse me」と声をかけると、彼は座席の肘掛に乗せた両手の力だけで自分自身の体をひょいと持ち上げて、手の力だけで全身を四分の一回転させた。そうすることで通路側に両足を移動し、ぼくが通り抜けるためのスペースを空けた。機内では『Into the Wild』という英語の本を読んでおり、独特のちかしさがありながらインテリジェンスを感じさせる男だった。もっとも時間帯はすでに深夜零時をまわっており、知られざるインド大陸に向けてせめてもの鋭気を養っておきたかったぼくは、彼に深く関わろうとはせず、機内の消灯を待って早々に目を閉じた。フライト予定時間は2時間35分 (RCサクセションだね) 。定刻を大幅に過ぎて出発し、たしかコルカタ時間の午前二時過ぎに到着した。バンコクコルカタには一時間半の時差があった。日本とコルカタの時差は三時間半。余談だが、この旅はひたすら西へ向かう旅であったため、旅路が進むにつれて段階的に日本との時差が広がっていく体験をした。それはヨーロッパまで行っても終始時差ボケ知らずの旅ができた点でまず健康的で良かったし、時差を貯金のように積み重ねることは、前進している「感覚」を忘れさせずにいてくれて、長旅においては大切なモチベーションになっていた。

 

コルカタ空港のアライバルビザ

コルカタ空港に到着した。眠気というか、身体に無理をさせている感じはあった。だがぼくにはやらなければいけないことがある。それはアライバルビザを取得することだ。
日本人がインドに入国するにはいかに短期間であろうとビザが必要である。これまで滞在した国でビザを買ったのはカンボジアだけだった。それ以外の国は、それぞれ期間は違えど、一定期間内であればビザがなくても滞在できた。
インドの観光ビザは三つの方法で手に入る。一つは事前に日本にあるインド大使館などを通して手に入れること。これは日本にいないぼくには不可能だ。もう一つはeビザというやつで、インターネットで事前予約のようなことができるらしい。だが、ぼくはそれもやらなかった。インド行きを決めてすぐに直近のチケットを買ったためにeビザ発行までの日数が足りなかったのだ。そのために第三の方法、「アライバルビザ」で入国することになった。アライバルビザとはその名称の通りアライバルしたときに空港で購入するビザだ。インドがアライバルビザを許している国はそれほど多くないため、一般的な方法ではない。また、どこの国でもアライバルビザというモノは情勢に左右されやすく、なんなら担当者のさじ加減にすら左右される。早い話がリスキーであり、心配性な人はググればググるほどやめたくなってくるはず (もっとも今の時代なにごともググればググるほどやめたくなるのでググりはじめたら物事は進展しないと考えた方がいい) 。
事実この日のこの便の乗客で、アライバルビザの手続きをしたのはぼくを除けば他にはただ一人しかいなかった。

 

民族判定

イミグレから少し離れた場所に、それぞれ「e-Visa」「Visa on Arrival」と銘打ったカウンターがある。乗客のほとんどは直接イミグレ方面に出向くインド人だ。一部に「e-Visa」のカウンターに歩み寄りスムーズにパスしていく外国人がいる。ぼくは誰も寄り付かない「Visa on Arrival」のカウンターで待機しているインド人 (当たり前だ) に「アライバルビザはここか!?」と形式的な質問をした。想定通りにインド人はとある方向を指差し、「あそこでカードに記入してもってこい」と言った。
こういうことはわかっていても人に訊くことがコツだった。ダブルチェックのためではなく、いったん自分に注意を向けさせることが大事なのである。こうしておくことで、イレギュラーな事態が発生したときにどうしてだか気にかけてもらえるようになる。「なんだか知らんがあいつは必死になっている」。こういう漠然とした感覚を認識してもらうのだ。これがいざというときに効いてくる。
離れ小島のようにカウンターの前にカードの記入スペースがあった。ぼくは機内に丸ごと持ち込んでいたバックパックをベンチに置いたまま小島に歩み寄り、カードの記入をはじめた。
気がついていたのは、ぼくの後に同じように「Visa on Arrival」のカウンターに一声かけたアジア系の女性がいたということだった。女性はやはり同じように指示を受けたようで、ぼくの正面にやってきて、同じように記入例を見ながらカードの項目を埋めはじめた。
顔立ちは日中韓のどれかに見えるが、民族判定の経験をそれなりに積んだぼくでもそのどれなのかが判別がつかなかった。
その風采は独特でインパクトがあり、それがなおぼくを混乱させた。
まず第一に日焼けなのか本来の肌の色なのかわからなかったが、日本、中国、韓国の女性にしては肌が小麦色というか褐色すぎた。そのためにぼくは女性がタイ人である可能性についても一度は考えた。
服装は、旅慣れた──それどころか旅疲れすらしている様子のある見事なバックパッカースタイルだった。この人は旅を抜けだせず何年も旅を続けてしまっている種類の人かもしれない。肩ベルトを伸ばしてリュックを低い位置で背負い、ショールのようなものをまとっている。全体的にベージュからブラウンのトーンで統一されており、上下ともにゆったり袖口の広がった締め付けのない服を着ている。ほっそりしていて黒髪の頭は雑なお団子。姿勢が良いところも含めて少し浅田真央なんかに似ているかもしれない。そしてまったく化粧をしていない様子だった (もっともインド行きの深夜便だし、これでいいのかもしれない)。
中国人の若い女性はもっと観光客らしいレディーな身なりをしていることが多いし、韓国人女性はなんといっても美白への意識が高いイメージがある。アジア人女性のソロトラベラーは日本人に多い。日本人にしては肝が座りすぎている印象があったが、それでも日本人の可能性がギリ高いと踏んだぼくは、なかなかその女性が気になって、タイミング良くその手元にパスポートを広げたところを目の端で捉えることができた。それは韓国のパスポートだった。

 

答えを知っている

「はぁ〜〜ぁ」
女性は声を出して大きなあくびをした。ぼくがパスポートを覗き見たことは気づかれなかったようだが、そのあくびはまるで自分以外誰もいない自分の部屋でしたあくびみたいにボリュームのある立派なあくびだったために逆にぼくという存在を正しく認識しているようにも感じた。
声をかけようか迷ったがやめた。このときは。
ビザ申請書を記入し終えたのはぼくが先だったが、担当官に提出し、代金をクレカで決済したあともしばらくベンチで待たされた。なぜ待たされるのかわからなかった。離れたベンチに空港のスタッフらしきインド人女性が二人座っており、そのうちの若いひとりが泣いていた。その理由もわからなかった。もうひとりは年配の女性で、泣いている女性の肩を抱いていた。なにかトラブルがあったのかもしれない。それ以外は静かだった。やがてコリアンガールは記入し終え、ぼくの目の前で担当官に提出し、いくつかのQ&Aをこなした。一連はぼくとまったく同じ手続きだった。
さて、ぼくの番がもう一度まわってくるはずだ。そして女性は長らく待たされるのだろう。と思いきや、コリアンガールの手続きを終えた担当官はそのままぼくの方を向いて手招きし、「ついてこい」と言った。ぼくたちは一緒にカウンターを通された。
どうやら別室に移動し次なる手続きが行われるようだった。二人を個別に案内するよりも、待たせといてまとめて片付けてしまおうという魂胆らしい。
担当官はがらんとした通路を足早に進み、置いていかれまいとしているぼくたちがいる。午前三時。空港は静寂で周りには誰もいない。他の乗客はとっくに入国しているのだ。さんざん疲労が溜まっており、この人にあえて積極的になる気もなかろうと一度は決めたことだが、このシチュエーションでむっつり黙りこんでいるのはさすがに旅人として、あるいは男としてもいけ好かないように思えた。逆に言えば、レディーに気やすく声をかけることの許されるお膳立てなり大義名分なりがいま完璧に整っていた。
ぼくは勇気をだして質問した。
Where are you from? その答えを知っていることは秘密だった。

(たいchillout)

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【タイ/バンコク】黒衣の切符切り

刺激 (Hi-Fi) も安らぎ (Lo-Fi) も

バンコクドンムアン空港からインドのコルカタ行きの格安便は2019年1月26日、深夜0時5分に飛び立つ。20日から北部のチェンマイに滞在していたぼくは、実質的な出発当日である25日の日中にバンコクへ移動すればフライトに間に合うスケジュールだったが、余裕を見てバンコクに一泊することにした。要するに24日にバンコクへ前乗りしたわけだ。
三ヶ月ぶりのバンコクだったが、前回とは宿泊エリアが違った。そのためか街の印象がガラリと異なっていてハッとした。
前回は大都会の中心地の歓楽街の近くに泊まっていた。そこでは水商売の男女も多く、高架を走るモノレールに閉塞感を感じた。今回は空港へのアクセスを優先して観光の利便性に優れない街外れの小綺麗なホステルを選んだ (清潔そうなシーツの写真が決め手になった) 。そこでぼくは地元の人々が足繁く通う良質な食堂やこじんまりとしたショッピングセンターに巡り逢うことができた。庶民の審級に耐えうる適正な物価。バス停に並ぶ学生や老人。旅人に目もくれない通勤OL。
日当たりの良さを感じるのはなにも物理的な理由だけではあるまい。のんびりしている人もせかせかしている人も、みんなそれぞれ自分の時間を生きている。耳元に息も吹きかけられそうな距離にいる他人に関心を抱かない。あるいは関心を抱いた瞬間に忘れる。そこでは誰とすれ違うこともできるし、誰と出会わないこともできる。それが都会の刺激であり安らぎなのだ。そこに異国の香りがブレンドされれば、刺激 (Hi-Fi) も安らぎ (Lo-Fi) も双方がより官能的なものになる。

こういうこと (ミャンマーバングラデシュを抜かしてインドへ飛ぶというプラン変更) でもなければ今回のバンコク再訪はなかったことを思ってぼくは空恐ろしい気持ちになった。バンコクのイメージを刷新したこの値千金の一日は、何もかも曖昧な偶然の要素の掛け算によって手に入ったものでしかないと強く意識することになったからだ。旅人は限られた滞在の中でそのひとつの側面だけを見て国や都市を理解した気になりがちだが、そうした旅人が本質的なことを掴めている可能性はそれほど高くないと認めざるを得ない。大都会は懐が広く、いくつもの異なる顔を持つわけだ。

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インド情報

最寄りのバス停からだと、29番のバス、510番のバス、A2番のバスが空港に向かうとジュース売りのお姉さんに訊いた。それぞれ30分から一時間に一本の間隔だ。バスに乗るのは夜なので、ぼくは昼食を食べにホステルの近隣を歩き廻った。45バーツでガパオを食べて、病院の近くのスタバでコールドブリューを飲んだ。
すでにホステルをチェックアウトしていたが、シャワーを浴びさせてもらい冷房のきく吹き抜けの共有スペースで深夜便に備えて身体を休めた。その間、広州のセンに送ってもらったDevdutt Pattanaikというインド人のプレゼンによる『EAST VS. WEST─THE MYTHS THAT MYSTIFY』と題されたTEDの動画を観た。これからインドに行くならぜひ観ておくべきだと紹介してくれたのだ。西洋的価値観との異質性を強調しながら、東洋の、インドの、ヒンドゥーの世界をわかりやすく語り抜いたパワフルなスピーチだった。
それは全くの偶然だが、この一月をかけてセンは友人とインド周遊の旅をしていた。ぼくはその予定を十二月に会ったときに聞いていた。ぼくもやがてインドに行くのだと話していたが、予想では二月か三月だと伝えていた。
ぼくのインド行きが早まったのはたかだか三日前のことで、センにはその情報を共有していないはずだった。センが今頃インドを旅していることをこっちは認識していたが、それとぼくの決断は無関係だった。だからこの日ドンピシャなタイミングで「たいchilloutはいつインドに行くの?」という連絡がきたのが全くの偶然だ。無論ぼくは「それがねえ、明日なんすよ」と答えた。お互いのスケジュールをシェアすると残念ながら合流には向かないことがわかったが、それは、TEDの動画やおすすめのインド映画とともにリアルタイムのインドに関する生の声 (SIM事情、電車の予約方法、使えるアプリなど) をまさかの現地入り前日にキャッチアップするという僥倖であった。

 

 黒衣の切符切り

開け放たれた窓からアジアらしい生暖かい夜風が入ってくる。それでもいまは乾季の一月だからむしろ気持ちが良かった。29番バスに乗ってぼくは空港へと向かった。
現在地や行き先を示すデジタルの掲示板や案内板は例によってこのバスには付いていない。google mapを常時起動していれば降車地点を間違えずに済むが、これからのフライトを考えて、iPhoneのバッテリーはなるべく節約したかった。フライトはLCC (格安航空券) なので座席に電源コンセントやUSBソケットは付いていないと想定しておく必要がある。空港内の電源コンセントは十中八九競争過多であり、ありつけないと考えた方がいい。
だからぼくはスマホを起動せず、ほとんどバスが止まる度に「ここは空港か!?」と添乗員のババアに怒鳴るように尋ねることになった。
添乗員と言ったが、ババアの役目はただ添乗することにあるのではない。新しく乗車してきた客をひとりずつ廻り乗車賃を集金して切符を渡す。それがババアの役目だ。
ババアは黒い服を着ており、まるでローブをまとった軽装の魔術師のようだった。黒衣の切符切りだ。手には筒のようなものを持っておりそれが「財布」だった。おそらく小銭を種類別にしまう仕切りが備え付けられているのだろう。その筒は、ぼくにはまるで卒業証書を入れるあの筒にしか見えなかった。
ババアの身のこなしは軽快で、荒っぽい運転をもろともせず滑らかに車内を移動した。大勢の客が乗り込んでも、誰が新しい客で誰がすでに集金した客なのかを正確に見分けた。ひととおり集金し終えるとバス前方の定位置にシュルシュルと戻るのだが、その移動中に「シャカッ」と筒を一振りするクセがあった。推測だが、それは筒の中にひとまず乱雑に詰めこんだコインを整列させるために行っているようだった。どこかコミカルなババアのその動作を見て、「シャカッ」という気持ちの良い音を耳にして、そしてアジアの生暖かい夜風に吹かれていると不思議と懐かしく満ち足りた気持ちにとらわれた。ずっと旅をしているしこれからもしばらくこれが続くのだなあと、悲観も楽観もなく考えた。仕事を終えた勤め人たちと旅を終えない旅人を乗せたバスは大都会をその北端まで走り抜ける。

(たいchillout)

タイ編もとい東南アジア編終わり

 

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【タイ/チェンマイ】旅の星廻り

旅の星廻り

意外かもしれないがぼくはタイでは友だちができない。昨年 (2018年) 11月にプーケットバンコクで累計二週間以上滞在したが、そのときも連絡先を交換したのは確かせいぜい三、四人で、特にバンコクでは終始一人で過ごした。
もちろん、それはそれで構わないのだが、タイでは「出会わない」という謎のジンクスがあることだけは確かなようだった。
この旅二度目の訪泰である今回もそのジンクスは有効だった。チェンライとチェンマイを合わせて六泊過ごしその後バンコクに一泊してインドのコルカタに飛んだ。その間「出会った」と思える出会いは一つも無かった。
長い旅は面白い。国境をまたぐだけで、このようにして旅の星廻りのようなものがガラッと明確に変わることがある。そして一度変わったものはどう踏ん張っても元に戻せないことが多い。不思議なことに。
何もかも上手くいく国、空回りになりがちな国。それを決めるのは国と旅人の相性だと簡単に言い切ることはできない (そのようにして国を嫌ってしまう人々をもったいないと思う) 。ましてや経済レベルでも国民性でも国家としての日本との関係性でもない。
星廻りなのだ。
一度変わった星廻りを元に戻すことはできない (戻せてしまったらそれは星廻りではない) 。散々なときは散々だし、地味なときは地味なまま行く以外に方法は無い。そしてごく例外的に、素晴らしさばかりが続く金色の季節が突然やってくる。

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屋上の月

バンコクに次ぐ第二の都市と言われたわりには、チェンマイはなんとものんびりとした街だった。スケールにしてバンコクの十分の一以下であることは確かだ。バックパッカー向けの宿屋街というのが一箇所にまとまっているストリートが旧市街を外れたところにあって、ぼくはその中の一つに泊まっていた。
月の出ている暑い夜だった。飼い猫なのか、住み着いている猫なのか、とにかく猫を二匹かかえている宿だった。その猫たちが夜はどこで休んでいるのかわからなかった。
ぼくがこのようにして屋上のデッキチェアに寝そべり真夜中の月を見上げているのは、このバックパッカー・ストリート全体が停電しているためだった。屋上にはデッキチェアがある。ソファもある。昼も夜もそこで自由にChillできるようになっているのだが、決して清潔なものではない。
停電するとまずWiFiが使えなくなる。そして扇風機が止まる。エアコンのない部屋で寝苦しかったので、ぼくは消灯後のドミトリーで窓際のベッドに横になり、扇風機の羽音に癒されながらiPhoneからインターネットに接続していた。その緩慢な悦楽が停電により断たれたのだ。

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屋上に出ると涼しい風が吹いていて綺麗な月が出ていた。このときはじめてこの宿だけではなく、ストリート全体が停電していることに気がついた。
シャワーを浴び終え、パジャマと部屋着を兼ねている半ズボンと清潔なTシャツに着替えていたが、ぼくは、首を上に向けずとも月が見れるように、太陽の下で見たときは随分と汚れているように見えたデッキチェアにそのまま寝そべった。ささやかな月光の下ではデッキチェアは新品同然だった。
そのまま数十分をそこで過ごしたときの静かな「落ち着き」を、完全ではないけど、今でも覚えている。その「落ち着き」は日常生活では滅多に出会うことのないものであり、旅をしていても短い旅行であれば一つの旅に一回くらいしかやってこないあの特別な時間だ。
誰でもわかる言い方をするとそれは「非日常」というやつだった (もっともぼくにとって旅は日常であり、旅を非日常から日常に「格下げ」することがこの旅の狙いでもあった。例えば毎日寿司を食べていたら寿司を嫌いになるだろうか。寿司を食べながらラーメンのことを考えたりするようになるのだろうか。好きだから食べ続けるのはバカな行為だろうか? ぼくにとって旅は寿司であり好きなものがどれだけ好きなのかを追求する度胸試しがこの旅だった) 。
あるいは風呂上がりの夜風というものは、それだけで非日常の一要素でもあるのだが。

ストリート全体に通電し、近隣のホステルで歓声があがった。
街に明かりが戻ったことで月の魔力は後退し、非日常の時間も終わりを告げた。
ぼくはiPhoneWiFiに繋いで扇風機のある部屋に引き返した。その瞬間、旅という日常が戻っていた。

このチェンマイでぼくは四枚の航空券を同時に買うという大きな決断をした。これは四ヵ国先までの渡航スケジュールが確定したことを意味する。

バンコクからインド (コルカタ) へ。
インド (コチ) からモルディブへ。
モルディブからスリランカへ。
そして、スリランカからオマーンへ。

合計61,120円。最初の一枚目のフライトは三日後だった。

(たいchillout)

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【タイ/チェンライ】伝説のギターリフといくつもの可能性

伝説のギターリフ

ぼくはシャワーを浴びている。もちろん共用のシャワールームだ。一つの部屋の中に電話ボックスのごときシャワーボックスが、三つか四つ隣りあっている。ぼくは自分のいるボックスの中に石鹸と、てぬぐいと、ロッカーキーと、着替えを全て持ち込んでシャワーを浴びている。脱いだTシャツや下着を置く場所などないので、それらは扉の上にひっかけている (トイレの個室を思い浮かべてもらえばいい) 。
ぼくはこの横に長い部屋の中でもっとも入り口に近いシャワーボックスを利用していた。反対側、つまり部屋の奥側にある二つか三つのボックスは、シャワーではなくトイレの個室になっている。それぞれのボックスから出ると目の前は洗面台になっている。
なんてことはない、ホステルやゲストハウスのバス&トイレルームはどこもこれと同じような作りをしていた。暖かいお湯がでるだけここは幾分「ハイクオリティ」だと言えた。

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シャワーを浴びながら音が聴こえる。音楽。バンド演奏だ。ホステル一階のカフェ&レストラン&レセプションで今日はライブイベントが行われている。現地の若者バンドがなかなかいいロックを演奏しているのだ。
Stand by me. All my loving. スタンダードとも言っていいナンバーをぼくは二階の吹き抜けから観ていた。素晴らしい演奏だった。無論、これをタイのチェンライで聴いているという感慨もあっただろう。iPhoneのカメラを起動して動画を撮ってみたが、この感動をインスタグラムのストーリーズで共有したとして、誰一人として伝わらないだろうと思い、やめた。
長いイベントだったのでぼくは途中で観続けるのを終わりにし、シャワーを浴びることにした。洗面用具を取りに薄暗いドミトリーに戻っても演奏は聴こえた。そしてシャワーボックスに入って水が身体を打つ音に包まれても、演奏は聴こえた。

ぼくはシャワーを浴びている。名も知らぬタイの若者が歌う英語のロックナンバーを聴きながら。どの曲もかっこよかったが、ぼくはあるとき、シャワーを浴びながら自分が腰を振っていることに気がついた。
リズムにノッているのだ。ぼくはそれがなんの曲か認識する前にシャワーを浴びながら裸の腰でリズムを取っていた。腰が動いた後にそのことに気がついた。
冷静になって分析すると、ぼくを踊らせたのはその曲のギターリフだった。あまりにキャッチーでクールなギターリフだったのだ。はて、これはなんの曲だっただろう? 絶対に聴いたことのある曲だった。そんなことに頭を悩ませた瞬間、ボーカルパートが始まった。そして隣のシャワーボックスで、同じようにシャワーを浴びていた西洋人男性が歌い出した……。I can't get no…… satisfaction……
!!! サティスファクションだ!
ザ・ローリング・ストーンズ
このときぼくは二重の感動に包まれたのだ。シャワーを浴びるのに集中していた人間を無意識に踊らせた曲、それが『サティスファクション』のギターリフであったこと。ぼくは裸でノッていたのだ。「全てのロックは『サティスファクション』の派生だ」というニュアンスのことを当のキース・リチャーズが言っていたのをどこかで読んだことがある。むべなるかな。まさに本能に働きかけられたかのように、ぼくは腰をクネっていた。極まったギターリフが持つ宇宙的エネルギーを身体で思い知ったその体験に、ぼくは感動していた。
もうひとつの感動は、隣で同じようにシャワーを浴びていた名も知らぬ西洋人男性が、【『サティスファクション』が始まった時だけ】歌い始めたことだ。【『サティスファクション』が始まった時だけ】ぼくが踊りだしたように。彼が口ずさんだのも、無意識だったのではないだろうか。ここはタイで、チェンライの青年が歌う『サティスファクション』を、チェンライの青年が弾くあのリフを、聴いて、日本人のぼくと西洋人の彼がゼロからブチあがるようにして突然最高の気分になった。世界を繋ぐのはロックミュージックであり、世界を最高の気分で串刺しにするのは、キース・リチャーズのギターだった!
その瞬間ぼくは自分が信じていたものの正しさが証明されたことの嬉しさに、叫びだしたいような気持ちだった。

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いくつもの可能性

ラオスのファイサーイから入国したタイ。その北部の街、チェンライのひとけの少ないバスターミナルを囲む屋台の一つでガパオ50バーツ (170〜180円。スープ付き) を食べたとき、あまりの美味しさに泣けてきた。
2018年の7月に始まったこの旅で二度目のタイ。この時点で2019年の1月後半。一度目の入国は2018年の10月末から11月前半にかけてだった。そのときはマレーシアから陸路で入国しプーケットからバンコクまでを渡り歩いた。バンコクからはまたマレーシア方面に引き返し、鉄道を乗り継いでシンガポールまで突き抜けたのだった。
シンガポールから香港に飛ぶことが決まっていたあの時とは随分と気分が違っている今回のタイ入国。やはり色々とやり遂げてきた気分、駒を進めてきた気分があった。モンゴルで出会った友だちと再会できたこともそうだし、ベトナムカンボジアラオスという、どうあっても外せない国々をしっかりと見納めてきた満足感があった。

そしてタイは、極めて旅の難易度の低い国であった。英語が通じて、人が穏やかで、食事は美味しく、気候が良い。交通や通信のインフラも安定している。その上物価が十分に安いときている。大まかなところ以外はこの先のルートもスケジュールも決まっていなかった。まさに解き放たれた気分だ。
ぼくは確かにいくつかの峠を越えてきていた。この先インドや中東という別種の峠が控えていたが、それについてはまだ考える必要がなかった。だからこのときは長い旅の中でも最もリラックスしていた時期の一つとして考えて良いかもしれなかった。タイは穏やかで平和で光に包まれていた。

バスターミナルから街中まで五キロ歩いてクレジットカードでホステルにチェックインした。ホステルの一階はレストランになっておりライブスペースに楽器がセッティングされている。どうやら今夜ここでライブイベントが行われるらしい。
街中に出てセブンイレブンの自動端末で、SIMカードにバーツをチャージする。以前の滞在でSIMカードを買っていたものがそのまま使えた。そしてその夜、ぼくは『サティスファクション』を聴いて裸で腰をクネらせることになる。

そのホステルに二泊して、チェンマイに向かった。チェンライからチェンマイに向かった。チェンマイバンコクに次ぐ、タイ第二の都市だ。そのバスの中でぼくはこの先の旅のプランについて思いを馳せていた。
東南アジアはそれなりに制覇した。バンコクはもちろん、マレーシア、シンガポールベトナムカンボジアラオス。やがてインドに行くつもりだったが、ミャンマーバングラデシュを経由するかどうかが不確定だった。その2カ国間の国境を陸路で越境することが難しそうなのだ。少数民族の問題で対立があるようだった。
ミャンマーからインドに抜けることもできそうだった。インドからバングラに入り、もう一度インドに抜ける手もあったが、一連のプロセスで多くの時間と予算を費やすことが避けられない。
それであればいっそ、タイからインドに飛んだらどうだろうか。バンコクからコルカタへ、格安の航空便があるという。コルカタ。『深夜特急』の読者にはカルカッタという植民地時代の旧名で馴染み深い、あの香港と並ぶ『深夜特急』の聖地だ。
ミャンマーバングラデシュには未練があるが、これまでだって多くの土地に未練を残してきた。モンゴルから行くことを諦めたロシアのウラン・ウデイルクーツクアルマトイから北上するか南下するか迷い、結局行かなかったカザフスタン北方の首都アスタナ。カスピ海ウズベキスタンからの周遊を断念したトルクメニスタンタジキスタン。あるいはマレーシアのボルネオ島西安成都重慶など中国内陸の古都たち。いくつもの可能性を手放し心を残してきた。
それは必然だった。可能性を手放し心を残してくることで、選んだ方の可能性に賭ける気持ちが強まった。旅とはそういうものなのだ。出会わなかった無限の人々とのストーリーをぼくは思い浮かべることができる。それは逆に、あの日あの場所でしか出会えなかった、そしてそれが永遠となった、そんな出会いをいくつも思い浮かべることができるからだ。
いいかもしれない。コルカタカルカッタ。インド。そこに行けばまた、別の旅がはじまるかもしれない。

(たいchillout)

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